調子悪いです。
鼻がグスグスです。
なんか以前もこんなこと書いたような・・・
朝、家の前が雪で埋まっていたので除雪したんですけど、寒い中で汗かいたのがいけなかったかな?
なんとなく頭も痛いよー。
今日は船ネタ。
大日本帝国海軍が明治期に成立して以来、海軍の軍人を養成するために練習艦を必要としてきました。
しかし、日本は国家予算の大きな部分を軍事費に投入していたとはいえ、戦闘用艦艇の新造及び改修に海軍予算のほとんどが使われており、練習艦は長い間旧式となった巡洋艦などを使ってきておりました。
しかし昭和期に入ると、練習艦に使える旧式巡洋艦の老朽化や他への転用などにより、練習艦自体が足りなくなってきました。
そこで海軍は、新たに練習専用の練習艦を新造することに決定します。
こうして建造されたのが、日本海軍の香取型練習巡洋艦でした。
基準排水量5900トン。
全長123.5メートル。
最大速度18ノット。
14センチ連装砲塔を二基備え、水上機や魚雷発射管なども装備した本格的練習艦であり、候補生を375人乗せて諸外国を訪れることができるよう、内装などもそれなりに整えられた軍艦です。
ただ、やはり極力予算をかけないようにと商船に近い構造とし、速力も18ノットという巡洋艦としては低速に押さえられました。
香取型練習巡洋艦は、昭和15年に一番艦の香取、二番艦の鹿島が完成し、翌昭和16年に三番艦の香椎が完成しました。
しかし、完成年を見ても明らかな通り、日本は間もなく太平洋戦争に突入することになります。
そのため、一番艦香取と二番艦鹿島がたった一回だけ練習艦隊として航海しただけで、いずれも実戦に投入されることになってしまいました。
実戦使用を前提としていない香取型は、速力も低く実用にはつらいものがありましたが、一隻でも戦闘艦艇が欲しい日本海軍としては遊ばせておくことなどできなかったのです。
香取は一時期第六艦隊の旗艦として過ごしたのち、昭和19年2月17日トラック島で空襲を受け損傷。
その後米軍の艦砲射撃によって沈められました。
香椎も昭和20年1月12日に空襲で沈没。
終戦まで生き残ったのは鹿島のみでした。
目的と違った使われ方をする艦艇が日本海軍はやたら多いのですが、香取型練習巡洋艦も練習艦としての任務よりも、まったく違う任務に従事させられた軍艦だったんですね。
それではまた。
- 2008/02/24(日) 20:10:28|
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