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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その16

精強島津隊の世に名高い前方撤退によって、関ヶ原での「関ヶ原の戦い」は終わりを告げました。

慶長5年(1600年)9月17日には、戦場より逃亡した石田三成の居城佐和山城が東軍の攻撃により陥落。
これは東軍に寝返った小早川秀秋が中心となって行われ、東軍一万五千に対して佐和山城守備隊は二千八百ほどしかなく、城を預かっていた石田三成の父石田正継(いしだ まさつぐ)をはじめ、三成の妻や兄も討ち死にしたといわれます。

9月19日、西軍の武将の一人小西行長が東軍方竹中重門(たけなか しげかど)に捕らえられます。

9月21日、今度は西軍の事実上の総大将石田三成が田中吉政によって捕縛。
関ヶ原での西軍方の敗走と三成の捕縛を知った西軍の名目上の総大将毛利輝元は、急ぎ家康に対して交渉を行い、大坂城を明け渡すことにします。

9月23日、西軍方武将安国寺恵瓊が捕縛され、同日、毛利輝元は大坂城を退去。
吉川広家の策略により関ヶ原では何もできなかった毛利秀元が、大坂に戻ってきた折に毛利輝元に大坂での篭城戦を進言したといいますが、輝元はこれを拒絶。
家康との交渉により本領安堵が約束されたと信じた輝元は、家康に抵抗するつもりなどなかったのです。

9月27日、家康は再び大坂城に入城します。
これ以後、関ヶ原の戦いにおける戦後処理は、徳川家康が一手に握ることになりました。

9月29日、東北方面で伊達、最上、上杉が戦いを続けている中に関ヶ原の戦いの詳報が入ります。
上杉景勝はもはや戦う意味はないとして直江兼続に撤退を命令。
10月1日に始まった撤退戦は、兼続自身がしんがりとなった見事な采配により、上杉軍は伊達最上連合の追撃を切り抜けて10月4日には米沢に帰還しました。
この撤退戦は「長谷堂口の撤退戦」といわれ、のちにこの戦いの様子を聞いた家康が兼続を賞賛したと伝えられます。

10月1日、京大坂を引き回した上で京都六条河原において石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の三人が斬首されました。
このとき、石田三成がのどの渇きを訴えて水を所望したところ、水の代わりに柿を差し出され、柿は躰によくないからと断ったというエピソードが残っています。
これから死ぬのに躰のことなどどうでもいいではないかと笑う人々に対し、大事をなす者は最後まであきらめないものだと答えたといいます。

10月2日、家康との間に密約を結び、毛利秀元率いる毛利本隊を釘付けにした功績により、毛利家家臣吉川広家に二ヶ国の所領を与える旨が伝えられます。
しかし、吉川広家は喜ぶことはできませんでした。
続いて伝えられたのは、毛利家取り潰しの厳しい処分だったからです。

吉川広家は愕然としました。
彼は自分の所領欲しさに家康に接近したわけではありません。
何事も毛利本家のため、毛利本家をつぶさないために家康に接近したのです。
また、毛利輝元も本領は安堵されるであろうという起請文を黒田長政や福島正則らよりもらっておりました。
そのために安心して大坂城を出たのです。
しかし、家康のほうが一枚上手でした。
起請文は黒田や福島が出したものであり、家康自体は本領安堵など約束していないのです。
また、吉川広家にも充分すぎるほどの恩賞として二ヶ国を与えるといっているのです。
その上で、家康は西軍総大将として大坂城に入った毛利輝元は罪が重いとしたのでした。

必死に嘆願する吉川広家でしたが、処分が覆るはずもなく、万策尽きた広家は与えられた所領を返上する代わりに、毛利本家の存続を願い出ます。
これ以上の過酷な処断をして、毛利家に窮鼠猫を噛むがごとき反旗を翻されてもかなわないと見た家康はこれを了承。
10月10日に周防、長門(双方合わせて現在の山口県)の二ヶ国計三十六万石あまりを毛利家の所領とする旨を伝えます。
百二十万石以上の大大名だった毛利家は、約四分の一にまで削られてしまったのでした。

毛利輝元はこれを受けて家督を毛利秀就(もうり ひでなり)に譲り出家。
吉川広家ともども家康にしてやられたという思いが残ったのではないでしょうか。
その思いが、幕末まで根強く残り、倒幕の原動力となったとも言われますが、はたしてどうだったのでしょう。

石田三成ら三人を斬首し、毛利氏の処分が早々に行われたのち、10月15日に大坂で家康によって東軍参陣武将への論功行賞が発表されました。
本来であれば、この論功行賞こそ家康ではなく豊臣秀頼が行わなくてはならないものでした。

関ヶ原の戦いは、豊臣秀頼の名において豊臣政権にたてつく上杉討伐から始まっているのです。
そして石田三成も毛利輝元も秀頼の名において家康討つべしと兵を挙げたのです。
である以上は、豊臣秀頼がこの関ヶ原の戦いの論功行賞を行い、臣下にけじめをつけなくてはならないのです。
それをしない豊臣家は、関ヶ原の戦いを武士同士の喧嘩としてしか見ようとはしませんでした。
関ヶ原の戦いが何であったかわかっていない。
これが、豊臣家の大きな錯誤でした。

その17へ
  1. 2008/01/31(木) 20:33:30|
  2. 豊家滅亡
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歌詞が歌えない国歌

昨日まで掲載したSS「デスダム2」ですが、思いのほか皆様に楽しんでいただけたようで、たくさんの拍手をいただくことができました。
拍手や感想はSSや記事を書く上ですごく励みになりますので、よければこれからも感想や拍手をお願いいたします。

今日はミリネタとはちょっと違うんですが、小ネタを一つ。

今年は北京オリンピックがありますね。
たくさんの競技でいくつものメダルが争われると思いますが、メダルを獲得すれば付き物なのが表彰式ですよね。
凸型の壇上にメダルを獲得した選手が上がり、国旗が掲揚され、一位選手に対しては国歌の演奏も行われます。

この国歌、国を代表する歌であり、日本では賛否あるものの「君が代」が国歌として歌われています。
卒業式その他で皆様も歌ったことがあるのではないでしょうか。

国歌にはさまざまな国のさまざまな国歌がありますが、国歌の(一部の)歌詞を歌うことが禁じられている国があるのをご存知でしょうか?

実は「ドイツ連邦共和国」がこの国歌の一部の歌詞を歌うことを禁じられている国なんですね。

ドイツ連邦共和国の国歌は「ドイツの歌」というタイトルの歌でして、一番から四番までの歌詞が付いておりました。
これは第二次世界大戦前から使われている国歌なのですが、現在は一番と二番は歌うことが禁止され、三番の歌詞のみがドイツ国歌として歌われるだけとなっているのです。

これはタイトル自体も戦前は「世界に冠たるドイツ(すべてに優るドイツ)」とされており、一番にはドイツの領土は「マース川からメーメルまで、エッチュ川からベルト海峡まで」という歌詞があり、これを当時のナチスが利用したためと、現在のドイツ領ではない地域が含まれるために不適当とされました。

さらに二番の歌詞もどことなく女性蔑視を感じさせ、女性に悪感情を与えかねないとして不適当とされました。

この一番と二番は法的な禁止なのですが、四番に関してはちょっと事情が違いました。
戦後長いこと歌われなかったために、大多数の国民が歌詞を忘れてしまったのだそうで、幻の四番となってしまったのだそうです。

結局、現在のドイツ国家は三番の歌詞のみで構成されるものになりました。
北京でもドイツ選手が金メダルを取った暁には歌われることになるでしょう。

日本もそうですが、慣れ親しんだ国歌を変えるということはなかなか大変なことなのかもしれないですね。
日本も結局君が代を使っていますからね。

それではまた。
  1. 2008/01/30(水) 19:49:09|
  2. 趣味
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元旦の続きです3回目

「デスダム2」の三回目、これでこのSSはおしまいになります。
三日間お付き合いくださりありがとうございました。
また、いつもながらSS作成に多大なるご支援を下さった親愛なるメンバーの方々に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

それではどうぞ。

「デスダム2」(3)


無言で任務に励む女戦闘員たち。
各地の情報収集に余念がない。
日本を征服するという崇高な目的のために首領様に全てを捧げる彼女たちを、DACは倒さねばならないんだわ。
それはDACにとっても苦しい戦いとなるだろう。
だからこそ一刻も早く私を救出に来なくてはいけないはずなのに・・・
無能な奴らめ・・・
もっとも・・・このデスダムのアジトは完璧なカモフラージュによって護られているわ。
そうそう簡単に見つかりっこない。
DACごときじゃ見つけられないのかもしれないわね・・・

「ヒャイーッ! エリアKにおける新アジトの建設状況の報告があります」
一人の女戦闘員が、髑髏のレリーフの前にやってくる。
新アジト?
新しいアジトを建設中ということなのね。
『うむ。報告せよ』
「ヒャイーッ! し、しかし・・・」
チラッと私の方を見る女戦闘員。
ああ、そうよね。
私は部外者だもの・・・
首領様への報告を私が聞くわけにはいかないわ・・・
私はちょっと寂しく感じながら、その場を離れようとした。
『かまわん。シャドウレディの前で報告せよ』
えっ?
私は立ち止まる。
いいの?
私がそんな大事なことを聞いてもいいの?
「首領様・・・」
私は思わずレリーフを見上げる。
『シャドウレディよ、お前はわが話し相手だ。報告も聞くがいい』
「ハッ、ありがとうございます」
うれしい。
なんてうれしいのかしら。
私は膝を折って一礼すると、立ち上がって女戦闘員に向き直った。
「首領様のご命令よ。報告しなさい」
「ヒャイーッ! では報告いたします」

報告はエリアKにおける新アジトの建設が計画通りに進捗しているものの、DAC隊員による警戒が厳しく、このままでは早晩接触してしまうだろうというものだった。
エリアKか・・・
確かあそこには・・・
「DACの警戒が厳重なのも当然ですわ」
『ほう、なぜだシャドウレディ』
「エリアKにはADOの研究施設がございます。DACがデスダムの襲撃を警戒しているのは当然です」
あそこの研究施設はADOの重要施設の一つ。
警戒も厳重になろうというもの。
『ふむ。だがシャドウレディよ、それをわれらに教えてしまっていいのかな?』
「うふふふ・・・」
私は口元に手を当てる。
「私なりに考えた上でのことですわ。あえてADOの施設があるといえば、デスダムは警戒するでしょう。そうなれば動きが鈍くなり新アジト建設も滞るはず」
動きが鈍れば、DACとの接触も少なくなるはずだわ。
もっとも・・・これでDACが新アジトを見つけるのも困難になるかもしれないけど、それはそれ。
『ふむ。そういうことか。ならばその情報はありがたくいただこう。新アジト建設チームに警戒するように伝えるのだ』
「ヒャイーッ」
女戦闘員が戻っていく。
私はそれを見送った上で髑髏のレリーフに向き直る。
「ですが首領様はご存知でしたはず。洗脳した83号をはじめ、ADOの施設の存在などの情報は簡単に手に入ります。だからこそエリアKに新アジトの建設をされるのでは?」
私は先ほどから感じていた疑問を首領様に向けてみる。
デスダムの首領様がADOの研究施設の情報ぐらい知らないはずはないわ。
『気が付いていたようだな。それでこそシャドウレディ。そうだ、われは知っていた』
やっぱり・・・
「うふふ・・・やっぱりそうでしたか。首領様もお人が悪いですわ。私に情報の裏づけをしゃべらせたんですね」
首領様の考えが見通せたことで私は思わず笑みが浮かぶ。
首領様とのやり取りは知的ゲームのよう。
お互いに心を通わせつつも腹の底を探り合うような。
それがとても楽しいわ。
裏づけをとらせてしまったような形になったけど、どうせ施設のありかなど隠し通せるものじゃないわ。
知られた上でなお襲撃を受けないようにするのが施設運用というもの。
その点ではデスダムの方が一枚も二枚も上手だわ。
見習わなくちゃね。
はたしてDACの連中はどこまで楽しませてくれるのかしら?
うふふふふ・・・

                           ******

もうこのアジトで暮らして何日経ったのかしら?
一週間?
十日?
それともまだ五日ぐらい?
私はいつものように首領様のおそばでデスダムの組織運用に目を配る。
DACに付け入れられる隙があれば、すぐにそれを首領様に申し上げるのだ。
私がDACに戻れば、そういった隙は見逃さない。
でも、そんな隙を突いてデスダムに勝利したとしても、それは一次的なものに過ぎないわ。
少しの隙もないデスダムを倒してこそDACが日本を護れるというもの。
だから少しでも隙を見せるわけにはいかないわ。
だというのに・・・

「それでイカゲゾー、そのままおめおめと逃げ帰ってきたというのですか?」
私の前にはデスダムのイカ型怪人イカゲゾーが肩を落としてうずくまっている。
首領様の怒りを恐れているのだろうけど、首領様どころか私だって腹が立つわ。
あれほどDACパワーズは甘く見てはいけないと念を押したにもかかわらず・・・
「お、お赦しくださいシャドウレディ様。決しておめおめと逃げ帰ってきたわけではありません。ADOの研究施設にはそれなりのダメージも与えたし、パワーズブルーにも相当のダメージを与えたはずでございます・・・」
「お黙り!」
思わず私は声を荒げてしまう。
ADOの研究施設など、いずれ復旧されるのは目に見えている。
それにパワーズブルーのお調子者は、どうせスタンドプレーの挙句にダメージを負った程度でしょう。
その程度のことと引き換えに、こちらの女戦闘員を十四名と新アジトの放棄では割に合わなさ過ぎるというものではないか。
デスダムの怪人はその程度のこともわからぬ愚か者なのか?
『パワーズピンクがいなくなったことで、DACパワーズの戦力は大幅に減ったはず。だが、油断はならぬと申したはずだな、イカゲゾー』
首領様の重々しいお言葉がホールに響く。
思わず私も周囲の女戦闘員たちも息を飲む。
「け、決して油断など・・・」
がっくりとうなだれているイカゲゾー。
「油断をしないでそのざまとでも? それこそ無能者の証ではないの?」
「そ、そんな・・・」
イカゲゾーがすがるような目で私を見る。
ふふ・・・
うふふふふ・・・
そんな目で私を見ても無駄なこと。
首領様のおっしゃるとおり、私のいないDACパワーズは本来の力を出せていないはずなのよ。
これだからデスダムの怪人がDACパワーズに勝てないんだわ。
もう少し戦い方を考えたらどうなのかしら?
私は思わず腰に巻きつけたムチに手をやっていた。
首領様のお言葉さえあれば、これを打ち付けてやれるのに・・・

「首領様、このような無能者はデスダムには不必要なのではありませんか? DACパワーズを利するだけのような気がしますわ。もっとも、私はその方がありがたいのですけど」
私はあえてそう言った。
だが、これは本気じゃない。
イカゲゾーを処刑すれば、それこそDACパワーズが喜ぶだけ。
冗談じゃないわ。
DACパワーズごときにそうやすやすと勝利させるわけには行かないのよ。
彼らが今のままでは日本を護れないと気が付くまで攻めてやらなくては・・・
「お、お赦しを。首領様。シャドウレディ様」
肩を震わせて処刑の恐怖におびえるイカゲゾー。
うふふふふ・・・
なんて可愛いのかしら。
恐怖におびえる姿を見るのは最高に気分がいい。
もっと痛めつけてやりたくなるわ。

『シャドウレディよ。イカゲゾーには再度チャンスを与えてやるのだ。だが、このまま放免というわけにはいかん。犯した失態の痛みを教えてやるがいい』
「はい、かしこまりました首領様」
首領様のお許しが出たわ。
うふふふふ・・・
私は腰のムチを取り外してイカゲゾーの前に立ちはだかる。
「シャ、シャドウレディ様・・・」
「首領様のご命令が下ったわ。イカゲゾー、お前にムチ打ちの刑を下します」
恐怖にすくむイカゲゾーを前に、私の興奮は高まっていく。
ムチを持つ手が震えてくる。
「お、お赦しを・・・」
「だめよ。失態の痛みを知りなさい。それっ!」
ヒュンとムチが空を切り、イカゲゾーの背中を打ち付ける。
パシーンという小気味よい音が響き、イカゲゾーの表情が苦悶に満ちた。
あはぁ・・・
なんて気持ちいいの・・・
無能者をムチ打ち、矯正してやるのは最高だわ・・・
もっとよ・・・
もっとおびえて悲鳴を上げなさい!
そしてデスダムの大義をその身に刻み込みなさい!
首領様の御心の尊さを知るがいいわ!
もっと!
もっと!
もっとよ!
私は何度もイカゲゾーをムチ打ちながら、自らにもデスダムの大義が染みとおる快楽に酔いしれた。

あっ!
突然イカゲゾーの触手が私の頬を張り飛ばす。
恐怖のあまり身をかばおうとした触手が、私の頬に当たったのだ。
私は思わず床に叩きつけられ、サークレットがはじけ飛ぶ。
えっ?
張り飛ばされた頬の痛みと、床に叩きつけられた衝撃が、私の頭をすっきりさせる。
い、いったい?
いったい私は何をやっていたの?
あ・・・
私は・・・
私は・・・

「シャドウレディ様!」
「シャドウレディ様、大丈夫ですか?」
女戦闘員たちが駆け寄ってくる。
「も、申し訳ありませんシャドウレディ様。つい躰をかばおうと・・・」
イカゲゾーも私の方を心配そうに見てくれる。
ムチ打たれていたのは彼の方なのに・・・
私はそんな彼をムチ打って・・・
喜んでい・・・た?
あ・・・
そんな・・・

気が付くと私はホールを飛び出していた。
あんなところにはいられない。
私は・・・
私はDACパワーズ。
パワーズピンクなのよ。
それなのに・・・
それなのに・・・
私は走った。
どこへなんて考えずに私は走った。
この数日の間にすっかりなじんでしまったロングブーツ。
脱ぐことなど考えられない、私の肌になってしまったようなボンデージ。
それらが私に力をくれる。
いくら走ったって問題ない。
でも・・・
でも、そんなのはいやぁ・・・
私をここから出してぇ!!

薄暗い倉庫。
最初に閉じ込められていた牢屋の近く。
あまり使われていないこの倉庫に女戦闘員が来ることなどめったにない。
私はいつの間にかこんなところにうずくまっていた。
膝を抱えて泣いていたのだ。
どうして・・・
私はどうしてあんなことを・・・
デスダムに協力し・・・まるでデスダムの一員のように振舞っていた・・・
シャドウレディなんていうコードネームで呼ばれ、それを当然のようにさえ感じていた・・・
DACを強化するためなどと思い込み、デスダムの強化に役立つようなことばかり教えていた・・・
首領様の命令で怪人をムチ打ち、ムチ打つことを喜んでいた・・・
あの・・・
あのサークレットのせいだわ・・・
きっとそう・・・
寝るときすらはずさなかったあのサークレット・・・
あれが私を洗脳していたんだわ・・・
でも・・・
でも、いまさらどうしようもない。
今の私にできることは、すぐにここを脱出してDACに戻り、デスダムのアジトで得た情報を彼らに伝えること。
それしかないわ。
だから一刻も早くここを出て・・・
ここを出て・・・?

ドクン・・・
心臓が跳ね上がる。
DACに戻る?
DACに戻ってどうなるの?
洗脳されたとはいえ、私はデスダムに協力したのよ・・・
DACに対する重大な裏切り行為だわ・・・
裏切りは赦されるものじゃない・・・
少なくともデスダムでは裏切った者は死を与えられる・・・
裏切った者は死・・・
そう・・・裏切り者や無能者、非効率な者が死を与えられるのは当たり前・・・
だから私も・・・
ドクンドクン・・・
裏切りは死・・・
やだ・・・
やだよ・・・
死にたくない・・・
死にたくないわ・・・
怖い・・・
怖い怖い怖い・・・
DACには戻れない・・・
DACに戻れば殺される・・・
怖い怖い怖い・・・
私はもう、DACには戻れない・・・
いいえ、戻るもんですか・・・
でも・・・
でもどうしよう・・・
私はどこにいたらいいの?

「ヒャイーッ! シャドウレディ様、こちらでしたか」
顔を上げた私の前にデスダムの女戦闘員が立っていた。
「シャドウレディ様、これを」
差し出されたのはあのサークレット。
デスダムの髑髏のマークが飾られたあのサークレットだ。
「これは・・・これは洗脳サークレットだわ。私にまたこれを付けろというの?」
「ヒャイーッ! それはシャドウレディ様のご自由です。首領様はただ一言、待っているぞと」
待っている?
私を・・・待っている?
私は・・・ここにいてもいいの?
首領様は私を待っていてくれているの?
私はデスダムに必要とされているの?
このアジトに来てからのことが脳裏をよぎる。
首領様とお話をする喜び・・・
デスダムを運営強化する喜び・・・
怪人や戦闘員を思うままに指揮する喜び・・・
無様な失態を犯したものをムチ打つ喜び・・・
そして・・・首領様に洗脳され支配される喜び・・・
そうよ・・・私はもう一度洗脳されたい・・・
私はもう一度支配されたい・・・
私は・・・
私はごくりとつばを飲み込む。
女戦闘員の手の上で鈍く輝くサークレット。
その髑髏のマークが私に微笑みかけている。
これを付ければ・・・
これさえあれば・・・

私は女戦闘員の手からサークレットを受け取った。
そして私の意志でこのサークレットを頭に嵌める。
すうっと恐怖がひいていく。
DACに対する恐れは消え去った。
私はデスダムの女。
私はデスダムのシャドウレディ。
DACはもはや私の敵。
これからは私がお前たちに恐怖を与えてやるわ。
楽しみにしているがいい。
私は立ち上がると、女戦闘員を従えて力強く歩き出す。
私の敬愛する首領様の下に向かって。

END
  1. 2008/01/29(火) 19:44:48|
  2. デスダム
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元旦の続きです2回目

「デスダム2」の二回目です。
勿体つけてすみません。

「デスダム2」(2)


金属の鋲が打ち込まれた黒エナメルのハイネックレオタード。
金属のとげとげがついた黒エナメルの長手袋。
太ももまで達する黒エナメルのハイヒールブーツ。
これはいったい・・・
いわゆるボンデージっていう奴かしら・・・
これを私に着ろというの?

「どういうこと? これを着ろとでも?」
私は紙袋を突き返す。
こんなもの着られるわけがないじゃない。
何を考えているの?
「おい」
「「ヒャイー!」」
リーダーらしき女戦闘員が背後の二人にあごでしゃくって命令する。
たちまち二人の女戦闘員が私の背後から両腕と両肩を押さえつけてしまう。
「な、は、離して」
私は必死にもがくが、パワーズスーツを身につけていない今はこいつらは振りほどけない。
そして、動けなくなった私の頬にリーダーらしき女戦闘員の平手打ちが打ち付けられた。
「くっ」
私は痛みをこらえて精いっぱいにらみつける。
悔しい。
絶対に赦さないんだから。

いきなりスパッとブラウスが切り裂かれる。
見ると女戦闘員の人差し指の爪がナイフのように鋭く伸びていた。
これまでも私たちを襲ってきた強靭で厄介な不可解な素材でできた爪だ。
思わず私は身構えたけれど、爪は容赦なくスカートを切り裂いていく。
ストッキングも引き摺り下ろされる。
ショーツとブラジャーもあっという間に切り裂かれてしまい、私は生まれたままの姿にさせられてしまった。

「ふっ、着たくなければその格好で首領様に会ってもらうが、それでもいいのか?」
口元に笑みを浮かべる女戦闘員。
くっ、なんてこと・・・
裸じゃどうしようもないじゃない・・・
仕方・・・ないか・・・
私は観念して着ることにした。

黒エナメルのレオタードはハイネックになっていて、背中のファスナーを下ろしたうえで身につける。
下着も切り裂かれちゃったから、素肌に身につけるしかない。
うう・・・
何でこんなことになっちゃったのかなぁ・・・
腰まで引き上げて袖を通すと、躰にぴたっと張り付くようでなんだかひんやりとする。
背中のファスナーは女戦闘員の一人が何も言わずに上げてくれ、首までぴったりとしたレオタードに包まれる。
黒光りするエナメルのレオタードは、所々に銀色に光る金属の鋲が埋め込まれていて、なんだか強そうにも感じるわ。
私は次に、長袖のレオタードにもかかわらず二の腕までもある手袋を嵌めていく。
これも手の甲や手首のあたりなどにとげとげが付いていたりして、殴ったりしたら結構なダメージが行きそう。
手を握ったり開いたりして手袋をなじませると、最後に私は太ももまでもあるロングブーツに足を通す。
サイドのジッパーをぎゅっと上げると、ブーツは私の脚にぴったりと密着し、なんだか履いているというよりも一体化したみたいな感じがするわ。
普段履かないハイヒールだから、慣れるまでは歩きづらいかもしれないけど、これならそんなに問題はなさそうね。

「着替え終わったわよ。これでいいの?」
私はくるっと一回転して戦闘員たちに姿を見せ付ける。
なんだか私が私じゃないみたい。
こんな服を着るのは生まれて初めて。
結構いい気分だわ。
「最後にこれを嵌めなさい」
女戦闘員が出してきたのは髑髏のマークの付いた毒々しいとげとげのサークレット。
「えっ? ちょっと待ってよ。こんなの着けたらまるで私がデスダムの一員になったみたいじゃない」
「黙って嵌めるのだ」
「ふう・・・わかったわよ」
逆らっても無駄のようだわ。
今はおとなしくしていたほうがいいわね。
それに何も本当にデスダムの一員になるわけじゃないんだもの。
サークレットぐらい嵌めても問題ないわ。
それに・・・
結構この格好って素敵じゃない。

私は髑髏のマークの付いたサークレットを頭に嵌める。
何か洗脳みたいなことをされるのではないかとも思ったけど、別になんてこともないみたい。
デスダムは日本を狙う悪魔のような軍勢だし、私は彼らから日本を護るDACパワーズの一員よ。
デスダムに協力するつもりなんてこれっぽっちも起きないわ。

「首領様のお見立てどおり。とてもよくお似合いです」
女戦闘員たちが私を見つめている。
なんだかとても気持ちいいわね。
こうして部下を従えるってのも悪くないわ。
「さあ、こちらへ。首領様がお待ちです」
「わかったわ。案内して」
私は女戦闘員たちに従って、デスダム首領の元に向かった。

                       ******

そこはホールだった。
ここはいくつかあるデスダムのアジトの一つということらしかったけど、このホールはどこでも造りが同じらしい。
正面に髑髏のレリーフが飾られ、周囲のコンソールには女戦闘員たちが操作のためについている。
私は戦闘員たちの後に従ってホールの中央に行き、そして髑髏のレリーフに向き合った。
「ヒャイーッ! 首領様、パワーズピンクこと糊倉美智留をお連れいたしました」
いっせいに右手を上げてレリーフに敬礼する女戦闘員たち。
まさか、この髑髏が首領なの?
『ようこそ糊倉美智留。いや、DACのパワーズピンク』
驚いたことに、髑髏の眼窩の奥が赤く光り、そこから声が聞こえてきたのだ。
「なるほど・・・本体はどこか別のところにいて、このレリーフを通して指令を伝えているってわけね」
首領が呼んでいるなんて言ったって、こういうことだったのね。
私はちょっとがっかりした。
もしかしたらデスダムの首領の正体がわかるかもしれないとかすかに考えていたのにね。

「それで? 私に何の用かしら? 私がDACパワーズの一員なんて言っているけど、見当違いもいいところ。私は単なるOLよ。DACとはなんのかかわりもないわ」
おそらく調べられているのでしょうけど、あっさり認めるわけにも行かない。
できるだけごまかさなきゃ。
奪われた装備だって、パッと見ただけじゃDACの道具だとはわからないものも多いしね。
『クククク・・・無駄なことはやめたまえ。君がDACパワーズのパワーズピンクであることは調べは付いているのだ』
ふう・・・やっぱりね。
でもどうして情報が漏れたのかしら・・・
まさかDAC内部にスパイがいるのかしら。
だとしたら大変だわ。
早急に手を打ってもらわなきゃ。

『君を呼んだのは他でもない。われは少々退屈なのだ。お前に話し相手になってもらいたい』
「ええっ?」
私は驚いた。
話し相手になってくれですって?
いったい何を考えているの?
「話し相手ですって?」
『そうだ。だが、心配することはない。DACの秘密を漏らせなどというつもりはないし、デスダムに協力しろと強要するつもりもない』
「デスダムへの協力など、そんなこと頼まれたってできるものですか!」
私は大声で怒鳴りつける。
戦闘員たちに殺されたってかまうものか。
私はDACパワーズのパワーズピンクよ。
見損なわないで。

『君にはこのアジト内を自由にうろつくことを許可しよう。戦闘員たちも自由に使役してかまわない。怪人に関しては若干問題があるが、その衣装を着ている限り我がデスダムの怪人といえども容易には君を害することはできんだろう』
えっ?
容易には害せない?
私は思わず自分の姿を見下ろした。
黒エナメルのボンデージレオタードがつややかに輝いている。
この衣装にそれほどの力があるというの?
『このアジトから外に出ることは許さん。もし外へ出ようとしたときには、君は死ぬことになる』
「死ぬ?」
『そうだ。このアジトを出た瞬間、その衣装には高圧電流が流れるようになっている。君は一瞬で黒焦げだ』
なんてこと。
やっぱりこの衣装は罠だったんだわ。
私はすぐさま背中のファスナーに手を伸ばす。
でも、ファスナーが降りてこない。
がっちりと固定されちゃったんだわ。
しまったぁ・・・
『無駄だ。その衣装は脱ぐことはできない。あきらめるがいい』
「卑怯者! 私にこんな格好をさせてどうしようって言うの?」
悔しい。
こんなことなら裸の方がましだったわ。

『言っただろう。われの話し相手になれと。それだけでいいのだ』
私は唇をかんだ。
どうやらこの衣装が脱げない以上どうしようもない。
外に出れば電流が流れるということは、アジト内でも流そうと思えば流せるだろう。
私は自ら電気椅子に座ってしまったようなものなのだわ。
「わかったわ。話し相手にはなります。でも、それ以上のことはしません。いいですね」
『結構だ、シャドウレディよ』
「シャドウレディ? 影の女ってこと?」
『美智留とかパワーズピンクなどと呼ぶ気にはならんのでな。勝手ながらそう呼ばせてもらおう。なに、ここでのコードネームのようなものだ』
「くっ、勝手にしなさい」
私は髑髏のレリーフをにらみつけた。

                          ******

驚いたことに、このアジト内での私の行動は自由だった。
自室も用意され、お酒や食事もちゃんと用意された。
読みたい本や雑誌も用意され、お菓子だって食べられた。
気味が悪かったのは、この衣装を脱ぐ必要がまったくないこと。
このボンデージを着て以来、私はトイレに行っていない。
もうあれから三日にもなるというのに一度もだ。
どうもこのボンデージ自体が私の代謝に影響を与え、排泄物を分解してしまうらしい。
肉体も強化され、女戦闘員たちとも互角以上に渡り合える。
それにパワーズピンクの時に主武器として使っていたムチもデスダム特製のものを渡されて、今では腰の金具にいつでもムチを巻きつけている。

デスダムの首領が話し相手が欲しかったというのは本当のことだったのかもしれない。
ここでデスダムの連中を観察していると、怪人たちはともかく女戦闘員は個性を消されてしまっているので、会話を楽しむという目的には不向きなのだ。
驚いたのは、この女戦闘員たちが元は人間だったってこと。
83号なんてDACの隊員の一人だったらしい。
強化レオタードによって肉体を強化し、洗脳マスクによってデスダムへの忠誠心を植えつけることで、人間の女性がデスダムの女戦闘員となってしまうのだ。
私がDACパワーズの一員であることが知られていたのも無理はない。
この様子では、他にもADOやDACの関係者が女戦闘員にされているかもしれないわ。
まったく・・・
DACはそんなことも気が付かないのかしら・・・

コンコンとノックの音がする。
私が入室の許可を出すと、すぐにスライドドアが開いて一人の女戦闘員が入ってきた。
「ヒャイーッ! シャドウレディ様、首領様がお呼びです。すぐにいらしてくださいませ」
右手を高く上げて敬礼し、用件を伝えてくる戦闘員。
なんだかこれって悪くない気分なのよね。
シャドウレディ様って呼ばれるのも慣れてきちゃった。
ここだけのことなんだし、別にいいよね。
DACに戻ればパワーズピンクになればいいだけなんだし。
「わかりました。すぐに行きますとお伝えを」
「ヒャイーッ! 失礼いたします」
回れ右をして女戦闘員が部屋から出て行く。
その動作はきびきびしていてとても気持ちがいい。
DACももう少しきびきびしたところがあってもいいんじゃないかしら。
護人や健二だっていつもいつもいがみ合ったりして。
日本を護るって言う意識が低すぎるわ。
無能な存在は抹消されちゃうのよ。
わかっているのかしら。
私は鏡台に向かって、いつものように黒の口紅で唇を染め、アイシャドウをひいて目元を妖しく黒く塗る。
全身を包む黒エナメルのボンデージと、黒く染まった目元や唇が美しい。
これなら首領様も気に入ってくださるはず。
私は鏡に向かってウインクをすると、首領様の元へ向かうのだった。

「お呼びかしら、首領様」
口調こそ皮肉っぽく振舞ったものの、私は髑髏のレリーフに膝を折って礼を尽くす。
ここで生かしていただいている以上、きちんと礼を尽くすのは当然のこと。
それに、私はこの聡明な悪の首領と話すのが嫌いじゃない。
他愛もないおしゃべりを悪の首領とするなんてどうかしているのかもしれないけど、デスダムの首領という存在をより深く感じるためにはとてもいいことだと思うわ。
いずれDACにも“偉大な首領様”のことを知らしめてやる必要もあるしね。
『来たかシャドウレディよ。またしばしそばにいるがいい』
重厚な声がレリーフの奥から聞こえてくる。
今日もこの声の主、声だけからでも想像が付く巨大な存在にただ一人で立ち向かうのよ。
まさに偉大な敵、いや・・・もっと何か・・・
その声を聞くだけで私は何か心地よささえ感じてしまう。
まるで敵というよりも大きな父性とかそんな感じ。
「ふ、仰せのままに」
私は再び手を胸にかざすと、ことさら礼儀正しく一礼してみせる。
でも、この皮肉は首領様にしか通じていない。
周囲にいる女戦闘員たちが私の態度をどう思っているかなどどうでもいいわ。
私の気持ちが首領様に届いていればいいのよ。
私はこれからの首領様と過ごす時間を楽しみに思い立ちあがる。
そして、レリーフの前にその身をさらすと、振り返って女戦闘員たちを見渡した。
  1. 2008/01/28(月) 20:32:19|
  2. デスダム
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元旦の続きです

ブログ妖精のココロも記事を書くんですね。
なんだかコメントまでいただいているし、拍手ももらってますよ。
私が記事を書くよりも受けそうです。(笑)

とりあえずこれからもココロの記事が書かれると思いますけど、笑ってみてやってくださいませ。

今日は先日報告したとおりSSを掲載いたします。
元日に掲載した「デスダム」の続編「デスダム2」となります。

本来なら全部いっぺんにお見せしたいところなんですが、やっぱりじっくりと楽しんで欲しいなというのもありますし、私自身がいっぺんはもったいないと思ってしまうので、今日から三日間で公開いたします。

今までのと似たような展開とは思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
それではどうぞ。

「デスダム2」(1)

「ヤアッ!」
毎日の訓練に研ぎ澄まされた躰が自然に反応する。
「ヒャイーッ」
デスダムの女戦闘員が私のムチ捌きで宙に舞い、そして地面に叩きつけられる。
ぐったりとなった女戦闘員の腹部にとどめの一撃を見舞い、私はすばやく体勢を立て直した。
『これであとは奴だけだ』
私が最後の女戦闘員を倒したのを見たレッドが、クラゲ怪人に向き直る。
『油断しないでレッド、デスダムの怪人はどんな能力を持っているかわからないのよ!』
ホワイトの言うとおり。
デスダムの怪人はどんな能力を持っているかわからない。
目の前の相手はその姿からクラゲがモチーフのよう。
両手にあたる太い触手のほかにも、いくつかの細い触手をうねうねと動かしている。
あまり素敵な姿とはいえないわ。

「シュルシュルシュルー!」
触手を伸ばす擬音なのか、それともそういううなり声なのかわからないけど、クラゲ怪人は私たちに触手を伸ばして攻撃してくる。
先ほどまでは戦闘員たちが連携していたために、私たちも単独での対応を余儀なくされたけど、戦闘員たちがいなくなればこっちのもの。
子供たちの見る特撮番組なら、単なる雑魚扱いの戦闘員たちだが、デスダムの女戦闘員たちはなかなか手ごわく、怪人と連携されると侮れない。
でも、怪人単独なら脅威は半減したも同じ。
『ウリャーッ!』
ブルーのソードが触手を叩き落し、イエローのハンマーが怪人の腹部を直撃する。
私も負けじとムチを振るい、クラゲ怪人の足を絡めて動きを止める。
『よし今だ! パワーズクラッシュをかけるぞ!』
「了解」
私はレッドの指示に答えると、スーツの導くままに体内の全ての力を放出する。
私の力はスーツによって加速され、まるで大砲でも撃ち出すかのように相手に向けた手のひらから放出され、それが五人分集まることによってすさまじいエネルギーの奔流を生み出すのだ。
このエネルギーの奔流に巻き込まれたものは、その肉体をばらばらに粉砕され、塵となって吹き飛ばされる。
「グギャァァァァァ」
デスダムの怪人だって例外ではない。
クラゲ怪人がエネルギーに巻き込まれて砕け散っていく。
でも、これは一度使用すると体内の力を放出してしまうので、連続では使えない。
そのためにこれは最後の切り札として、怪人の動きを封じたあとでないと使えなかった。

『ようし! これで今日もデスダムの野望は俺たちが打ち砕いてやったぜ!』
『ああ、俺たちDACパワーズがいる限り、日本はデスダムの好きにはさせないさ』
レッドとブルーががっちりと手を握る。
その上にイエロー、ホワイト、そして私が手を重ね、私たちは今日も勝利を噛み締めた。
『やったわね』
「ええ、今日も勝ちましたね」
『それはいいんだが・・・パワーズクラッシュは腹へっていかんよ。さっさと帰ってラーメンでも食いに行こう』
大きなお腹をさするイエロー。
思わず私たちは笑い出してしまったのだった。

「お疲れー」
「お疲れ様」
私たちはベースを出てそれぞれに帰宅する。
もちろんいつでも連絡は取れるし、集合となれば30分もかからずに現場に急行できるような態勢も整っている。
もちろんまだまだ日本全土での緊急態勢をとるには程遠いけど。
デスダムの出現パターンは首都に集中しているので、私たちも首都を重点に警戒しているのだ。
「美智留(みちる)、乗ってけよ。帰りにどこかで茶でもしないか?」
真っ赤なスポーツカーを歩き出した私の脇に止める健二(けんじ)。
スーツの色はブルーなのに、彼はことのほか赤が好きらしい。
そのためレッドの護人(もりと)とはスーツの色でいつも険悪になる。
なんでもスーツの色は各人の適正に合わせられているので、好きな色が与えられるというわけではないのだそう。
だから赤が好きな健二は、赤をもらった護人のことを妬んでいるらしいわ。
それにちょっと格好付けの所もあって目立ちたがり。
たまに先走ってデスダムの反撃に遭ったりするので、護人が時たまたしなめる。
それがまた気に食わないらしいのよね。
「ごめんなさい、今日は遠慮するわ。ほら、さっきみんなでニクタンと食事したでしょ。お腹いっぱいだし寄る所もあるから」
私はそう言って断りを入れる。
ニクタンというのはイエローのこと。
新多桑一郎(にった そういちろう)というのが本名なんだけど、あの通り大きな躰をしているし、桑一郎の桑の字がくわとも呼べるので、新多のにと桑のくでにく、あだ名だから可愛くしてニクタンというらしい。
考えてみればひどい侮辱のあだ名なんだけど、本人は結構気に入っているらしくて、自己紹介でもニクタンと呼ばれてますって自分から言っちゃう人。
だからみんな彼のことをニクタンって呼んでいる。
「そんなこと言わずに乗ってけよ。行きたいところがあれば送るよ」
「ごめんなさい、またにしましょ」
私はとりあえず先送りにしようと思い歩き出す。
だが、健二はあきらめ切れないようで、スポーツカーをゆっくりと進めてきた。
困ったなぁ・・・

「健二、そのくらいにしておけ。美智留に嫌われるぞ」
いつの間にかやってきていた一台のバイク。
またがっているのは護人だ。
あちゃ・・・
ありがたいけどまずいかな。
「ちっ、護人には関係ないだろ」
明らかに不機嫌そうな顔をする健二。
デスダムと戦っているときはいいチームワークなのになぁ。
「関係ないことないさ。美智留が困っているじゃないか」
「わかったわかった。美智留、それじゃまたな」
ウインクをして窓を閉め、そのままスポーツカーを走らせて行ってしまう健二。
ホッとしたけど、なんか気まずいのも確かだわ。
「美智留、なんかあったら俺に言えよ。それじゃな」
ヘルメットのバイザーを閉めて、護人もバイクで走り去る。
ふう・・・
やれやれだわ。
私は去り行く護人に手を振って、自宅への道を歩き出した。

「ふう・・・」
自宅へ戻る途中のデパートで、気に入ったアクセサリーなどを買い求めてきた私は、セキュリティの完備した自宅マンションに戻ってくる。
入り口は暗証番号無くしては開かないし、暗証番号自体も二月に一度は変更される。
もっとも、そのたびに覚えなくちゃならないのは大変なんだけどね。
まあ、私がDACパワーズの一員のパワーズピンクだと知っているのは、DACの中でもごく一部だし、まさかDACパワーズがこんなマンションに住んでいるとは誰も思わないでしょうけど。
警戒は厳重にするに越したことはないってことよね。

「あら?」
マンション前にたどり着いた私は、マンションの入り口前に救急車が止まっていることに気が付いた。
赤色回転灯が点灯し、これから患者を運び出すみたい。
誰かが怪我か病気にでもなったのかな?
私はそんなことを考えながら、マンションの入り口を通り抜けた。

「えっ?」
突然わき腹にチクッとした痛みが走る。
「な、何?」
振り向いた私の目に、救急車の後部から現れるデスダムの女戦闘員。
白衣を着ているものの、黒いマスクに黒手袋は間違いない。
彼女たちはマスクから覗く口元に笑みを浮かべ、私を強引に救急車の中に連れ込もうとする。
私は必死に抵抗しようとしたものの、急速に力が抜けてくるのをとめることができなかった。
「ま、麻酔薬だ・・・わ・・・」
私は朦朧としてくる意識を何とかとどめようとする。
「うふふふ・・・無駄ですよ、糊倉美智留(のりくら みちる)さん。あなたにはこれからデスダムのアジトに来てもらいます」
私の耳元で女戦闘員がそう言っているのを聞きながら、私は救急車に連れ込まれて意識を失った。

                         ******

ピチャン・・・
ピチャン・・・
何の音かしら・・・
ピチャン・・・
そうだ・・・水道の蛇口がちゃんと閉まっていないんだわ・・・閉めなくちゃ・・・
私はうっすらと目を開ける。
夕べ飲みすぎたのか頭ががんがんするわ・・・
違う・・・
私はハッと気が付いた。
ここは?
私は周囲を確認する。
そうだ・・・私はうかつにもデスダムに捕らえられてしまったはず。
だとするとここは・・・
周囲は岩肌がむき出しになったような洞窟っぽい。
天井からは時々地下水がしたたっている。
その音が蛇口を連想させたんだわ。
正面にはしっかりと鉄格子が嵌められている。
そしてほかに出口はない。
どうやら天然の洞窟を牢屋にして使っているようだわ。
ふう・・・
湿っぽいところはいやなんだけどなぁ・・・

私は改めて状況を確認する。
躰のどこにも怪我はないみたい。
頭の痛みも麻酔薬のせいだったのか、今はほとんど感じない。
問題はこれから。
腕時計に見せかけた通信機もイヤリング型の緊急発信機も奪われている。
もちろんバッグなんてどこにもない。
靴のかかとに仕込んだ非常用の金属を切ることのできるワイヤーソーも、ご丁寧に靴ごと奪われているわ。
とりあえずレイプ紛いのことはされてないみたいだし、着ているものもブラウスやスカート下着は問題ない。
でも、靴無しのストッキングだけの足じゃ歩くには不便だわね。

とにかくここから脱出して救出を求めないとならないわ。
私は様子を確かめるべく、鉄格子に近づいてその向こうを確認する。
そこは洞窟の続きになっていて、先に扉がある。
あの扉、おそらく鍵がかかっているでしょうね。
でも、少なくても扉のこちら側には誰もいない。
どこかでモニターしているというのも考えづらい。
それらしいカメラらしきものは見えないからだ。
もっとも、手間暇かけて岩をくり抜いて配線をしてカメラを設置して、また岩に見えるようにカモフラージュするなんてことをしていれば別だけど。
そんなことしてまで牢屋を見張るメリットがあるとは思えない。
私はとりあえず鉄格子が緩んだりしていないかゆすぶってみる。
当然のことまったくびくともしない。
私の力でどうにかなる鉄格子じゃ意味がないものね。
パワーズスーツがあればこんな鉄格子ぐらい・・・

ガチャリ。
私は心臓が飛び跳ねた。
奥の扉の鍵が開き、デスダムの女戦闘員たちが入ってきたのだ。
美しいボディラインを惜しげもなくさらけ出す黒いレオタードにストッキング姿の女たち。
その数三人。
見れば見るほど人間そっくりだけど、デスダムによって作り出された合成人間という話だ。
真っ黒なマスクに覆われた頭部は口元だけが見える。
黒く塗られた唇が女の私から見ても色っぽい。
女戦闘員たちは鉄格子の前まで来て立ち止まる。
よく見ると、一人は何か紙袋を持っていた。
まるでショッピングにでも行ってきたみたい。
こいつらも買い物なんかするのかしら・・・

「糊倉美智留、出ろ」
鉄格子の一部を開き、女戦闘員が私を呼ぶ。
いい気分ではないけど、このままここにいるよりははるかにいい。
もしかしたらチャンスもあるかもしれないわ。
私は無言で鉄格子をくぐり、牢屋を出る。
「首領様がお呼びだ。これに着替えて着いて来い」
紙袋が私の前に差し出される。
着替えろ?
首領様が呼んでいる?
どういうこと?
私はよくわからないながら紙袋の中を覗いて見た。
「な?」
私は思わず声を上げてしまう。
紙袋の中には私が唖然とするようなものが入っていたのだ。
  1. 2008/01/27(日) 20:26:30|
  2. デスダム
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01月27日のココロ日記(BlogPet)

今、ココロの頭の中は他国でいっぱいです。

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2008/01/27(日) 07:07:45|
  2. ココロの日記
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ま、またしても・・・

今日の札幌も昨日に引き続き荒れ模様の天気。
気温も上がらず真冬日です。

朝から雪かきでへたばりましたけど、先輩をお迎えしてのウォーゲーム。
今日は「マレンゴの戦い」(タクテクス34号付録)をプレイ。
何度かやっているお手軽ナポレオニックです。

ナポレオンの「マレンゴの戦い」そのものについては、当ブログの2006年8月2日に記事があるのですが、要は兵力を分散させてしまったナポレオンに対して、オーストリア軍がマレンゴ村付近で反撃に出てきた戦いでした。

反撃に転じたオーストリア軍を先輩が、迎え撃つ立場のナポレオン率いる仏軍を私が担当してプレイ開始。
CIMG0002.jpg

アレッサンドラからマレンゴ村付近の仏軍めがけて進撃して来るオーストリア軍。
マレンゴ村近辺で一進一退の激しい戦いが行われます。

オーストリア軍は仏軍を圧倒する戦力を集中させて、マレンゴ村を奪取しにかかります。
仏軍は部隊数も少なく、後退を余儀なくされてしまいます。

激戦ののち、マレンゴ村はついにオーストリア軍の手に落ち、仏軍はあちこちで撃破され戦力をすり減らします。

CIMG0014.jpg

第10ターンには仏軍の反撃が始まるものの、時すでに遅く、オーストリア軍を押し返すことはできませんでした。
史実ではナポレオンが勝った戦いでしたが、今日の仏軍は勝てませんでした。

それにしても今日のサイコロの目は極端すぎでした。
ここぞという反撃がことごとく6で失敗。
先輩にも哀れられる始末です。
サイコロのせいにはしたくないので、敗北は私の作戦ミスだと思いますけれど、序盤から中盤にかけて部隊を失いすぎました。
そのために反撃ターンに反撃する戦力がなかったのです。

今年はこれで5戦して1勝4敗・・・
負けが込んでます。
何とか五分に持っていきたいなぁ。
次はがんばるぞ。

それではまた。
  1. 2008/01/26(土) 19:52:00|
  2. ウォーゲーム
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そういう年齢なんだよなぁ。

元旦に年賀メールを出した友人から、今日になって返事が返ってきました。

驚いたことに、昨年末から胆石で入院し、ようやく今日退院したとのことでした。
ともかく無事に退院したとのことで一安心なんですが、私もいい年齢だから気をつけなくちゃなぁ。

そういえば先日、あるブロガーの方が、「自分が死んだらブログはどうなるのだろう」という記事を書いていらっしゃったのを見たことがあります。
まあ、人間いつ何があるかわからないわけで、私も病気でなくても事故などでぽっくり逝くこともあるんですよね。
そんなときはこのブログはどうなるのだろう・・・

そのブログで提示されていたのは三つぐらいでしたかね。

1)誰かが引き取って続ける。
これは無理ですよねー。
だいたいそれじゃ「舞方雅人の趣味の世界」じゃなく、「○○XXの趣味の世界」ですもんね。

2)完全閉鎖
これはちょっと寂しいかな。
ここまで書いたものを無くしてしまいたくはないですもんね。

3)コメント欄閉鎖してひっそりと存続、ただし新規記事はなし
これが妥当でしょうかね。
もし身内かそのほかにでも依頼できる余裕があるなら、死亡告知ぐらいはしてもらってもいいかも。
それともそんな告知は無い方がいいのかな。
最近更新ないね、どうしたんだろうねって思ってもらったほうがいいのかもしれないですね。

まあ、ちょっと考えさせられたので、こんな記事書いちゃいました。
ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、平にご容赦を。
すみませんです。

当然のことですけど、まだまだ死んだりするつもりはないですからご安心を。
こんな楽しいことやめられますかって。(笑)

SSのほうですが、何とか目処が立ちましたので、日曜日から二日か三日に分けて掲載いたします。
まあ、今までと似たような話ですので、あんまり期待しないでお待ちくださいませ。

それではまた。
  1. 2008/01/25(金) 19:26:03|
  2. 日常
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豊家滅亡その15

「ブログ妖精ココロちゃん」なるブログペットを見つけたので張っちゃいました。
どうもこういう可愛いもの好きなんだよなぁ。

SSはもう少しお待ちくださいませ。
今日は「豊家滅亡」の15回目です。


小早川秀秋の寝返りによって、大谷隊、宇喜多隊、小西隊、石田隊いずれもが連鎖反応的に崩れ去りました。
関ヶ原の戦場から西軍主力はほぼ逃げ出してしまい、残っていたのは去就を定めかねていた部隊と、すでに東軍へと寝返りを決めた部隊のみでした。

いえ、ただ一隊残っていた部隊がありました。
西軍四隊の石田隊と小西隊に挟まれるような形で布陣していた島津義弘の島津隊です。

島津隊は島津義弘と島津豊久の二人がそれぞれ七百五十ほどの兵力を率いるだけで、双方合わせても千五百ほどの小勢力でした。
九州薩摩は僻遠の地とはいえ、これではいかにも少ないと義弘は思い、常に国許に増援を送ってくれるように手紙を出していたのですが、ついに国許からの増援が送られることはありませんでした。

島津家は紆余曲折ののちに西軍としてこの関ヶ原にやってきておりました。
もともと島津家は東軍として参戦するつもりだったのです。
朝鮮の役の恩賞を島津家に与えるように仕向けたのは家康であり、のちに起こった家中の争い(庄内の乱)を調停してくれたのも家康でした。
残念なことに朝鮮の役とその内乱とのおかげで領内が荒廃しており、また傷病者も多かったことから満足な兵力を出すことはできませんでした。
義弘が率いていた千五百は、義弘自身に自ら付き従おうとする言わば志願者のみの兵力だったのです。

義弘は最初家康の求めに応じて伏見城の増援に赴きました。
しかし、守将鳥居元忠は、伏見城は時間稼ぎの城であり落城は必至、それならば他国の軍勢を入れては混乱の元であり、内応されても困るとして入城を拒みます。
宙に浮いた形の島津勢は、小勢力であるがゆえにどちらかにつかねばなりませんでした。
結局三成の求めに応じて西軍に名を連ねることになったのです。

こうして関ヶ原の戦場に姿を現した島津勢でしたが、この戦場においてはきわめて消極的な戦いしかしませんでした。
自軍の陣に攻撃を仕掛けてくるものに対してのみ応戦をするだけで、積極的に討って出はしなかったのです。
三成からの出撃要請も黙殺し、壊走する小西隊の兵が逃げ場を求めてきても追い払いました。

気が付くと、周囲に西軍諸隊はもはやおらず、東軍がじわじわと攻めかかって来ようとしている状態でした。
寝返った小早川隊を始め、福島隊本多隊などが半包囲の状態で展開し、わずか千五百の島津隊を一飲みにするべく迫ります。

このまま陣を引き払えば、かさにかかった東軍諸隊の追撃を受けて壊滅するのは火を見るよりも明らかでした。
かと言ってこのままとどまっても多勢に無勢で勝ち目はありません。
もちろんただ負けるつもりもありません。
朝鮮の役では二十万の明・朝鮮連合軍をわずか五千の兵力で互角以上の戦いをし、石曼子(しーまんず)と恐れられた島津家です。
全滅覚悟で東軍に相当の損害を与えることも可能でしょう。

しかし、それではただ全滅するだけです。
お家のためには殿を逃がさなくてはなりません。
この半包囲の状況で、どこから殿を逃がすのか。
島津義弘は討ち死にも覚悟したといわれますが、豊久らの説得に逃げ延びることと決します。
そして、その逃げ延びるために採った方策は・・・

敵正面の布陣を突破して囲みを抜けて脱出するという、古今東西の戦史にもその例を見ない「前方撤退」というものでした。

喚声を上げて島津隊が東軍に突入します。
一瞬あっけにとられた東軍諸隊は島津隊に道を開けてしまいます。
気迫に飲まれたということもあるでしょうし、戦況が定まったあとに死に物狂いの兵を相手にして無駄な死傷者を出したくないというのもあったかもしれません。

徳川家康本陣の前面に達した島津隊の前に酒井家次らが立ちはだかると、島津勢は進行方向を変えて家康本陣の前面を横切りました。
島津隊逃すまじと井伊直政、松平忠吉、本多忠勝らが追撃に入ります。
ですが、島津隊は少数が立ちはだかって時間を稼ぎながら、その間に本隊を逃がすという戦法で、追撃側に多数の損害を与えて行きました。
井伊直政も松平忠吉もこの追撃戦でそれぞれ銃弾により負傷し、徳川隊は追撃をし遂げることができませんでした。

島津義弘がようやく追撃を逃れたときには、甥の島津豊久をはじめとして多数の島津兵が討ち死にしておりました。
大坂に帰り着くことができたのは、わずかに十数名だったとも言われます。
それでも、島津家はその勇猛さを天下にとどろかせ、殿を落ち延びさせることに成功したのです。
まさに恐るべき島津といえるかもしれません。

そして、この島津の前方撤退の終結をもって、「関ヶ原の戦い」は終わりを告げました。

その16へ
  1. 2008/01/24(木) 21:02:06|
  2. 豊家滅亡
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歴史群像2008年2月号

今回のメイン特集は「アルデンヌ1944」
つまりバルジの戦いです。

ウォーゲーム界でもメジャーなエピソードで、私もコマンドマガジン日本版で再販されたエポックバルジや、SSバルジを持ってます。

で、私のイメージとしては、パイパー率いる第一SS装甲師団の先遣隊が、序盤は暴れまくるものの燃料弾薬の欠乏から攻勢が頓挫。
最後まで前線でがんばったものの、ついには撤退。
そんなふうに勝手に思っていたんです。

でも、今回の記事読んでびっくり。
意外と早々にパイパー戦闘団は後退を決意して引き上げているんですね。
パイパー隊よりも第五装甲軍あたりのほうががんばっていたんですねぇ。

こういった記事はウォーゲームやる上でも有用ですよね。
今回は他に桶狭間の戦いの記事や、ノモンハンの今を写した写真なども載っており、いつもと変わらず楽しめます。
小林源文先生の漫画あたりはASLをやりたくなりますよね。

次号にはソードフィッシュのことが出るようなので、これも今から楽しみです。
ストリングバッグとあだ名されたメカジキがどう活躍したのか。
他にもドイツ騎士団の記事など楽しみです。

さてさて、近日中にどうにかSSを一本投下したいなと思ってます。
いつもと同じようなものですが、楽しんでもらえればと思います。

それではまた。
  1. 2008/01/23(水) 21:43:14|
  2. 本&マンガなど
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ほぼ固まったという感じでしょうか

どうやら下柳投手も阪神残留が決定したようですね。
FA宣言していたのでどうなるかと思っていましたが、阪神以外の選択肢はあまりなかったのかな?

それにしても2年4億はすごいですよね。
まだまだ阪神は下柳に頼らざるを得ないというところでしょうか。

そろそろ各球団の今年の戦力も確定してきたようですね。
2月にはキャンプインですから当然ともいえるのですが。

我が阪神は広島より新井選手をFAで獲得しましたが、人的保障で赤松選手が広島へ行きました。
濱中選手もオリックスへ行きましたので、外野が若干手薄になったのではないでしょうかね。
今岡選手の復活や林選手、桜井選手の状況も気になります。
野手は総合的に見て昨年とそう変わらない戦力ではないでしょうか。

投手は日本ハムから金村投手が入ってきましたね。
阪神投手陣の中心となってくれればいいのですが。
あとは福原投手、安藤投手の復活も必要です。
上園投手にも更なる飛躍を期待しちゃいますよね。

それにしても、ダルビッシュ投手や成瀬投手のような生きのいい投手が出てきて欲しいものですね。
CS出場もそうですが、やはり優勝して日本一になってほしいものです。

今年も舞方は阪神を応援ですよー。
阪神がんばってー。

それではまた。
  1. 2008/01/22(火) 20:44:56|
  2. スポーツ
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氷点下の北アフリカ戦

今日は平日でしたが、お互いに時間を合わせてのウォーゲームプレイです。
自宅に札幌辺境伯様をお迎えして「アフリカンキャンペーン」(コマンドマガジン日本版31号付録)をプレイ。
今日の札幌はとても寒く、まさに氷点下の中での熱砂の北アフリカ戦となりました。

両軍の初期配置としてはエジプトに侵攻したイタリア軍を、英連邦軍が迎え撃つ時点から開始されます。

今日は私が枢軸軍、つまりロンメルを。
札幌辺境伯様が英連邦軍、つまりオーキンレックやらアレキサンダーやらモンゴメリーやらというわけです。

初期の段階では、まだロンメル率いる独軍は盤上に現れてません。
しかも英軍の反撃から始まるので、イタリア軍はトブルクまで追い立てられてしまいます。

CIMG0004.jpg

イタリア軍は何とかトブルクを確保したままロンメルの登場を待ちたかったのですが、英軍の攻撃にトブルク周囲のイタリア軍はなすすべもなく壊滅。

CIMG0006.jpg

ロンメル率いる独軍がトブルク近辺にまでたどり着いたときには、すでにトブルクは陥落したあとでした。
(星条旗のマーカーは英軍支配の都市を示すために他ゲームより流用したもの)

こうなると、英軍は部隊の多さも手伝って内陸に戦線を張りながら進撃してきます。
包囲されないためには枢軸軍は思い切った後退が必要でした。

枢軸軍は海岸沿いに後退をしたものの、ベンガジの港を惜しんだ私の不徹底さによって、英軍にトリポリからの道路を遮断されてしまいます。

CIMG0009.jpg

あわや包囲によって壊滅かと思われた枢軸軍でしたが、第15第21の二つの装甲師団の攻撃により英軍も疲弊。
枢軸軍は何とか窮地を切り抜けます。

枢軸軍と英連邦軍との激しい攻防戦が続きましたが、先に根を上げたのは英連邦軍のほうでした。
英連邦軍は再度トブルク近辺に防衛線を張るために大幅な後退を決行します。

CIMG0013.jpg

こんどは再び枢軸軍がトブルクを包囲。
私はほぼ最後の攻勢に全てをかけました。

しかし無常にも枢軸軍の攻撃は空振りに終わり、トブルクは英軍が確保したまま確固とした防衛線を張られてしまいます。

増援も補充もなく力尽きた枢軸軍は来た道を再度戻ります。
しかし、英軍の部隊が先回りをして再び枢軸軍は海岸線で包囲下に。

CIMG0015.jpg

最後は完全に包囲された枢軸軍が部隊をすり減らし、救出の望みもなくなったということで終了。
1942年の7月のターンでした。

史実では1942年8月にエルアラメインの戦いがあるのですが、それより先に枢軸軍が力尽きてしまいました。
残念です。

それにしてもこのゲームは面白いですねぇ。
史実どおりには行かないですが、今日のプレイでも攻守が二度ほど入れ替わり、そのつど戦線が大きく東西にゆれました。
枢軸軍は補充も増援もままならないので、本当に苦しいのですが、15と21の装甲師団の威力は絶大でもあり英軍を各個撃破していくのも夢ではありません。
対する英軍も着実に与えられる補充を駆使して枢軸軍を地道にすり減らして行けば勝利はかなり近づきます。

勝利条件的な面で言えば厳しいので、枢軸軍が勝つのは至難の技でしょう。
ですが、私は今日枢軸軍をプレイしてとても面白いゲームでした。
このゲームはお勧めできるゲームだと思います。

それにしてもゲームをやりながらのさまざまな歴史談義は本当に楽しかった。
札幌辺境伯様、お付き合いありがとうございました。
こんどは入れ替え戦を楽しみましょう。

それではまた。
  1. 2008/01/21(月) 21:58:30|
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回りはみんな敵ばかり

1918年。
欧州各国を巻き込んで五年間続いた第一次世界大戦が終結しました。
オーストリア・ハンガリー二重帝国は崩壊し、ドイツ帝国も革命の勃発によって皇帝が退位し、ワイマール共和国が成立します。

一方、大戦の当事国の一つでもあったロシア帝国は、一足早い1917年にロシア革命が勃発。
皇帝ニコライ二世の処刑やロシア内戦などを経て、1922年に世界初の社会主義国家ソビエト連邦が成立します。

当時、社会主義は不気味で得体の知れない社会体制と思われ、欧州各国はソビエト連邦をなかなか承認しようとはしませんでした。

また、ワイマール共和国(ドイツ)は第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって、軍備などを著しく制限された上に多額の賠償金を背負わされておりました。

ともに欧州各国、特に英仏から阻害されていた両国は、相互に接近することでそれなりに利益があることを知り、1922年イタリアで国際会議があったのを契機に秘密条約を結びます。
これが世に言う「ラパロ条約」でした。

ラパロ条約は第一次世界大戦におけるドイツロシア双方の賠償請求権の放棄を始め、相互に最恵国待遇を約するもので、ソビエト側にはドイツの技術の導入やドイツを通じての資本主義国との接近、ドイツ国内でのソビエト赤軍の訓練などのメリットがあり、一方のドイツ側には、ヴェルサイユ条約で保持を禁止されていた航空機や毒ガスの研究をソ連国内で行うことができ、のちの再軍備の根幹を作ることができたのです。

のちの1941年より開始される独ソ戦においては、まさに不倶戴天の敵同士の感がある独ソ両国ですが、このラパロ条約の時点では、周囲が全て敵ばかりの状況で相身互いの親密感があったものと思われます。

ソ連国内に作られたドイツの戦車訓練学校や航空機訓練学校では、独ソ両軍の将校が互いに勉強したといわれ、ソ連赤軍はドイツ軍によって大いに近代化したといわれます。

わずか20年後に、その両国が互いに戦うことになるとは思いもしなかったのかもしれませんね。

それではまた。
  1. 2008/01/20(日) 21:13:05|
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海軍のロケット砲なんだよ

先日の88ミリPAK43/41の回の時、空風鈴様がシュトルムティーガーのことについてコメントで書かれておりましたので、今日はそのシュトルムティーガーとは何ぞやという事を書いてみたいと思います。

1942年のスターリングラードの戦いにおいて、独軍は強固に防御された建造物に対しては少々の砲撃では被害を与えられないことを痛感いたしました。
特に75ミリから81ミリクラスの野砲や迫撃砲では、コンクリートで固められた石造建築物に対して効果が薄かったのです。

そこで独軍は、急遽150ミリ歩兵砲を三号戦車の車台に載せた突撃歩兵砲33Bを20両ほど作成して送り込みますが、包囲されたスターリングラードにおいて全て失われました。

ですが、この150ミリ砲の威力は重建造物に対しても有効であることを知った独軍は、新たに四号戦車の車台に150ミリ臼砲を載せたブルムベアを作成し戦場に送ります。
そして、更なる高威力の大口径砲を搭載した自走砲が求められるようになりました。

ちょうどそのころ、ドイツ海軍もまた沿岸防御用の大口径ロケット発射機(便宜上ロケット砲と呼称します)の開発を進めており、380ミリという巨大な弾頭を持つロケット弾を完成させておりました。
この大口径ロケット弾を発射するロケット砲を自走化したいという要望が海軍から出されますが、ここで陸軍の横槍が入りました。
沿岸防衛用ならともかく、自走砲となればそれは陸軍の管轄だろうということで、海軍開発のこの380ミリロケット砲は陸軍が取り上げて自走化することになったのです。

ロケット砲ですので、弾頭自体が噴射して飛んで行くため、砲本体はきわめて砲身が短く作られるものの、やはりその重量と巨大さゆえに搭載車台にはティーガーが選ばれます。
基本としてティーガーの車台に完全密閉式の固定戦闘室を設け、そこに380ミリロケット砲を搭載するという形が決められ、ヒトラーに提示されることになりました。

巨大、重厚、高威力の三拍子が大好きなヒトラーは、この基本案を大いに気に入って、すぐさま試作し、月産10両で生産するようにと命じます。
一両でも多くの戦車が欲しい陸軍のグデーリアンはこの命令に驚き、何とか試作車を作るだけにとどめさせたため、とりあえずシュトルムティーガーはまず試作車が作られます。

試作車はオーバーホールのために戦場から引き上げられたティーガーが使われ、その車台にロケット砲を取り付けて装甲板で囲みました。
この装甲は市街戦での激しい戦いに耐えるためにティーガーよりも分厚いものでした。

380ミリのロケット砲は発射の時の後方への噴射をどうするかが悩みどころでしたが、何と砲身の後ろから砲口の周りにぐるりと小さな穴を開けた排気口ともいえる部分へ回して逃がすことになり、正面からシュトルムティーガーを見たときの特長ともなっています。
この排気口の小さな穴の数は車両によってまちまちで、規格を決めて量産されたものではないことをうかがわせました。

380ミリロケット砲弾は重量が350kg.もあるために、車内への搭載時には車体外部に簡易のクレーンを取り付けて行うことが必要で、車内には最大でも14発しか積めません。
車内での砲身への装填作業はそれこそ車内の操作員全員で行ったといいます。

射程は最大でも6000メートルほどでしたが、さすがに120kg.もの炸薬が入っているために威力は絶大であり、少々の重建造物でも一撃で倒壊するほどの威力を持っておりました。

ヒトラーはこのシュトルムティーガーを量産したかったのかもしれませんが、結局最後まで新規に作られた車台を利用してのシュトルムティーガーというのは作られませんでした。
戦場から修理のために戻ってきたティーガーの車台が利用され、細々と生産されたのです。
最終生産数はわずかに18両だったといわれます。

機動性を悪化させるほどの重装甲を施したシュトルムティーガーは、敵に破壊されるよりも燃料切れや機械的故障で放棄されるものがほとんどでした。
そのため、わずか18両ほどしか作られなかったにもかかわらず、2両が現存して博物館に収められているそうです。

それではまた。
  1. 2008/01/19(土) 19:24:06|
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豊家滅亡その14

うわわわ。
風邪気味と書いたことで皆様にずいぶんとご心配をおかけいたしてしまいました。
誘い受けみたいになってしまいすみませんでした。

市販の風邪薬を飲んで夕べは早く寝ましたので、今日はほぼ問題なくなりました。
まだちょっと鼻がグスグスするぐらいですが、ご心配は無用です。
暖かいコメント、皆様どうもありがとうございました。

今日は豊家滅亡の14回目。
関ヶ原も終局を迎えます。


徳川家康の苛立ちから行われた、松尾山の小早川秀秋に対する威嚇射撃は、まさしく危険な賭けでした。
東軍から敵とみなされたと思った秀秋が、西軍として家康に向かってくることも充分に考えられたことだったのです。
まさに一か八かの大博打に見えた家康の行動でした。

しかし、この博打の結果は家康に笑みをもたらすものでした。
松尾山に陣取って、どっちつかずの態度を取っていた小早川秀秋でしたが、この威嚇射撃についに決断したのです。

慶長5年(1600年)9月15日およそ正午ごろのことでした。
小早川秀秋の采配が振られ、一万五千にも及ぶ小早川隊がいっせいに松尾山を駆け下り始めます。
向かうは西軍大谷吉継の陣でした。
小早川隊は東軍に味方することに決したのです。
おそらくは、日本の歴史が続く限りにおいて語り継がれる、決定的な場面での寝返り行為でした。

ただ、当時においては御家存続のために有利な方に寝返るのは決して卑怯な振る舞いではありません。
小早川秀秋も後々有利な方に付こうとしていたのは当然のことでありましたが、あまりにもこの決定的な場面において立場を明確にしたために、後々まであまりよく言われなくなってしまったのかもしれません。

ともあれ小早川隊一万五千は雪崩を打つように西軍大谷隊へ向かいます。
前々から小早川秀秋に信を置けないでいた大谷吉継は、この秀秋の行動はある程度予測が付いていたといいます。
さすが名将大谷吉継は、わずか六百の手勢を持って、この小早川隊の攻撃を受け止めました。
それどころか小早川隊を押し返しすらいたします。
わずか六百の大谷隊が小早川隊を食い止め、西軍は小早川秀秋の東軍参戦さえも支えきるかと思われたそのとき、大谷隊の側面に更なる攻撃が加えられました。

大谷吉継は愕然としました。
目の見えぬ彼にもたらされた凶報は、更なる寝返りの報告だったのです。

松尾山のふもとには、大谷吉継が指揮下に組み入れてもらっていた四人の武将が陣取っておりました。
赤座直保、小川祐忠、朽木元網、脇坂安治の四人です。
彼らは松尾山の小早川秀秋への牽制として配置された武将であり、まさにこの瞬間に小早川隊を攻撃するためにいるはずの諸隊でした。
その彼らがそろって、よりにもよって四人が四人とも東軍への参戦を表明し大谷隊の側面に攻撃を仕掛けてきたのです。

大谷吉継といえども、ここまで周囲が敵になってしまったのではなすすべがありませんでした。
大谷隊の武将たちは次々と討ち取られていき、大谷吉継自身ももはやこれまでと悟り、家臣の一人に介錯を頼んで自刃。
その首は戦場のいずこかに埋められたといわれ、かつて太閤秀吉に百万の軍勢を指揮させてみたいとまで言わしめた名将の最後となりました。

午後一時ごろ、大谷隊の壊滅は西軍に破局をもたらします。
大谷隊の隣で奮戦していた小西行長隊が東軍の攻撃を支えきれなくなります。
兵士たちは負け戦と察すると、急速に戦意を失い戦場を離脱して行きます。
どんな指揮官もこれを食い止めることはほぼ不可能です。
小西行長の叱咤にもかかわらず、小西隊の諸兵は次々と逃げ出していき、もはや戦列の維持はできなくなりました。
どうしようもなくなった小西行長も戦場を離脱。
小西隊も壊滅となりました。

続いて宇喜多秀家隊も崩れます。
いったん崩れだすと、戦列の維持は容易ではありません。
西軍はもはやどうにもならない状況に陥っていたのでした。
宇喜多秀家は、小早川秀秋の寝返りに激怒し秀秋を討とうとしましたが、家臣らにいさめられてこれを断念。
一路伊吹山方面に落ち延びます。

石田三成にとっても秀秋の寝返りは赦しがたかったかもしれません。
最後に残った石田隊は、それでも東軍となおしばらく激闘を続けます。
しかし、衆寡敵せず、島左近も激戦の中討たれたとも落ち延びたとも言われますが行方不明になり、抵抗もそこまででした。
再起を図るために三成は供回りとともに戦場を離脱。
ここに西軍の組織的抵抗は終わりを告げました。
午後二時ごろのことでした。

その15へ
  1. 2008/01/18(金) 20:16:54|
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納屋の扉

風邪気味です。
鼻がグスグスです。
目もしょぼしょぼです。
今日は早く寝ます。

さてさて、ミリネタを一つ。

俗に88(ハチハチ:独語でもアハトアハト)と呼ばれて、その高威力ゆえに兵士に頼もしがられたドイツの88ミリ対空高射砲FLAK18/36/37ですが、ドイツは更なる高性能な汎用砲を開発するべく、ラインメタルとクルップの両社に試作を命じました。

ラインメタルのほうは、さまざまな問題を抱えつつも、それを一つ一つつぶして行き、最終的には88ミリ高射砲FLAK41となるのですが、クルップ社のほうは開発がうまく行かず、結局開発中止の憂き目にあってしまいます。

ところが、クルップ社では同時に同じ砲身を使う88ミリの対戦車砲を試作しており、高射砲がだめになったということで、対戦車砲型に全力を注ぐ結果となりました。
この対戦車砲型は開発がうまくいき、1943年に88ミリ対戦車砲PAK43として正式採用されます。

PAK43は、88ミリ高射砲FLAK18/36/37と同じように十字型の台座を地面に設置し、360度回転ができる優れもので、その71口径という長砲身から発射される88ミリ砲弾は当時の各国の主力戦車の装甲を全てかなりの距離で撃ちぬけるすばらしいものでした。
のちにヤークトパンターやケーニッヒティーガーの主砲にも使われたのです。

PAK43はこのように優秀な対戦車砲でしたが、問題が一つ発生しました。
砲身の生産は順調だったのですが、十字型の台座の生産が追いつかなかったのです。

前線では優秀なPAK43が引く手あまたで求められます。
しかし、台座がなければ生産できません。
そこでドイツは何とラインメタル社にクルップのPAK43の砲身を使った生産容易な対戦車砲を作らせます。

ラインメタル社が作り上げたのは、従来から生産されていた野砲の脚と車輪を使った開脚型の台座にPAK43の砲身を載せた対戦車砲を作ります。
形としては、従来の開脚型75ミリ対戦車砲PAK40を大きくしたようなものでした。

こうして完成した88ミリ対戦車砲は、PAK43/41という番号が与えられ、直ちに生産が開始されました。
砲身は71口径のPAK43ですから威力は折り紙つきのままです。

ですが、従来と同じ開脚型にしてしまったため、このPAK43/41は運用が非常にしづらい対戦車砲になってしまいました。
今までの75ミリ対戦車砲PAK40ですら重過ぎるという批判が出ていて、人力で向きを変えたり移動したりということが非常に困難だったのです。
当然のこと88ミリ対戦車砲PAK43/41はPAK40とは比べ物にならない重さでした。
PAK40が約1.5トンだったのに対し、PAK43/41は約4トンもあったのです。

360度回転のできるPAK43であれば一人がハンドルを回せばすむ向きの変更が、PAK43/41では大勢が人力で変えなくてはなりません。
あまりの重さに砲兵たちはこのPAK43/41のことを「納屋の扉」とあだ名したそうです。

威力は充分すぎるほどのものでしたが、一度設置したら向きを変えるのもままならない対戦車砲。
ナースホルンなどの対戦車自走砲が作られるのもわかりますね。

それではまた。
  1. 2008/01/17(木) 21:13:12|
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戦車の装甲板で卵が・・・

1940年。
大ローマ帝国の栄光を再び取り戻そうと、イタリア軍が北アフリカでエジプトに向かって進撃を開始いたしました。

約八万の兵力を持って、リビアからエジプトに侵攻したイタリア軍は、最初のうちはエジプト駐留英軍の対応が悪かったこともあり、順調にアレキサンドリアめがけて進撃を続けました。

しかし、英軍の態勢が整うと、イタリア軍は押し戻され、エジプトとリビアの国境に撤退する羽目になります。
それどころか、リビア国境も英軍に抜かれ、北アフリカの要衝トブルクも英軍の手に落ち、イタリア軍は壊滅的な打撃を受けてしまいました。
北アフリカはほぼ英軍が手にしたも同然だったのです。

イタリアはドイツに泣きつきました。
北アフリカを失えば、イタリアは枢軸国同盟から脱落しかねません。
ドイツはやむを得ず小規模の部隊を、ある男に託してアフリカに送りました。
エルウィン・ロンメルです。

以後、ロンメルは英軍との砂漠の戦いを戦うことになるのですが、アフリカはドイツにとってはあくまで支戦線でありメインの戦いではありませんでした。
地中海を挟むという地理的事情もあり、ロンメルは常に物資の不足に悩まされるのです。

せめて少しでも国民およびヒトラーにアフリカの戦いの厳しさを伝えたい。
そうして少しでも支援してもらいたい。
そう考えたロンメルは、ちょっとしたことを行いました。

熱砂の北アフリカ。
じりじり照りつける太陽で、日中の気温は40度をゆうに超えます。
直射日光は兵士の肌を焼き、戦車の装甲板はフライパンのごとくに熱せられて、その上で卵が焼けるほどでした。
我がアフリカ軍団の兵士たちは、こんな悪環境の中で戦い続けているのです。

という砂漠の灼熱のイメージを決定付ける戦車の装甲板での卵焼き。
これを見たドイツ国民は、もうアフリカの戦いのすさまじさを脳裏に刻みつけられました。

ですが、これはやらせでした。
確かに直射日光は戦車の装甲板を熱して、不用意に触るとやけどします。
しかし、卵を焼けるほどにはならなかったのです。
ロンメルは、カメラに映らない下側にバーナーを置いて、そのバーナーで装甲を熱して撮影させたのでした。

戦意高揚写真にやらせは付き物です。
この映像も、かなりのインパクトを与えたことは確かでした。
もっとも、このおかげで補給が増えたかどうかは定かではありません。

少しでも自軍の益になりそうなことは何でもやる。
ロンメルという人はいろいろと考えていたんですねぇ。

それではまた。
  1. 2008/01/16(水) 19:57:21|
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120分の2

大西洋での猛威を振るったドイツ海軍潜水艦隊は、アメリカの参戦と英国の対潜水艦作戦が軌道に乗り始めたことが相まって、1943年には立場が逆転しておりました。

優秀な潜水艦であるⅦC型(2007年7月23日当ブログ参照)も、蓄電池により水中に潜っていられる時間は35時間程度であり、しかも水中では7.6ノットが精一杯です。

当然、出航後に敵商船団を発見するまでの航海は水上航行であり、そこを哨戒機や攻撃機に発見されて撃沈されるものが相次ぐようになります。
レーダーや逆探装置(哨戒機のレーダー波を捉えて警告する)を備え、水中を航行しながらディーゼルエンジンを動かすことのできるシュノーケルも装備しましたが、アメリカの護衛空母と駆逐艦による潜水艦狩り専門のハンターキラー部隊にやはり多数が沈められていきました。

ドイツ海軍のデーニッツ提督は、もはやⅦ型やⅨ型のような従来型の潜水艦では、損害ばかり多くなり作戦行動はできないと悟ります。
そのため、ドイツ海軍は建造中の従来型潜水艦の大部分を破棄してまで、新型潜水艦の建造に力を入れることにしました。
XXI(21)型潜水艦です。

このXXI型潜水艦は、実験段階だった無給気動力であるワルタータービン動力を搭載する水中高速型潜水艦として考えられた船体を元にしており、輪切りにしたときの断面が8の字のような上下二段の内部船体を流線型の外部船体が包み込む形をとっています。
そして、この内部船体の下側ほとんどを蓄電池が占め、その数は372個。
ⅦC型の蓄電池が127個であったのと比べると雲泥の差であり、エレクトロボートとさえ呼ばれます。

さらに、XXI型は、建造のしやすいブロック工法を従来型潜水艦同様に取り入れており、ⅦC型でさえ300日に一隻の割合で建造されていたものを、150日に一隻の割合にまで高めるほどの量産性を示しました。

こうして出来上がった新型潜水艦XXI型は、今までの潜水艦とはまったく違う画期的な潜水艦となります。
今までの潜水艦は、水上航行の方が最高速力が速かったのですが、XXI型はついに水上航行の最高速力15.6ノットに対して、水中での最高速力が17.5ノットと上回ったのです。
しかも、蓄電池の数が増大したために電池だけでも80時間以上の水中航行ができ、シュノーケルと併用することで相当な長時間を水中で過ごすことができるようになったのです。

魚雷発射管も六門を備え、搭載魚雷も23本に増えました。
安全潜航深度もⅦC型の100メートルから、一挙に倍以上の230メートルまで潜れるようになります。
まさにドイツ潜水艦の究極の姿でした。

デーニッツをはじめ、ドイツ海軍の期待を一身に受けたXXI型潜水艦は、1944年5月に一番艦が竣工。
それからドイツ敗戦の1945年5月までのほぼ一年間に120隻もの大量生産がなされました。
まさにその量産性のよさを見せ付ける数字といえるでしょう。
大戦終盤のドイツ海軍の主力潜水艦はXXI型が担うはずでした。

しかし、XXI型は実戦にはほとんど参加できませんでした。
一説によれば、作戦行動を行えたものはわずかに2隻のみだったというのです。
戦局にはまったく寄与できなかったのでした。

これはXXI型を早期に実戦配備するための急激な建造が原因でした。
試作も試験もしていない潜水艦をいきなり大量建造し始めたのですから、どこかに不具合があるのが当たり前なのです。
できあがったXXI型は、出撃=不具合発生しての帰港が相次ぎ、ドックでの修理を繰り返すばかりでした。
結局120隻も作りながら、そのほとんどは港から外へ出られなかったのです。

技術の国、職人の国ドイツではありましたが、新技術というものは一朝一夕にものになるものではありません。
パンターしかり、Me262しかり、そしてこのXXI型潜水艦しかりです。
熟成させる暇もなく戦場に駆り立てられ、多くが失われることになりました。

ですが、パンターもMe262も戦後の米ソに多大なる影響を与えたように、このXXI型潜水艦も、戦後の米ソ原子力潜水艦に多大なる影響を与えたのは間違いありません。
真の潜水艦の始まりはこのXXI型潜水艦からでした。

それではまた。
  1. 2008/01/15(火) 19:23:37|
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砂漠のシャーマン

第二次世界大戦終了後、パレスチナの地では、新たなる紛争が起こりつつありました。

各地から逃れてきたユダヤ難民たちが、この地に新たなるユダヤ人国家を建設することにしたのです。
今のイスラエルの始まりでした。

当然、土地を奪われたパレスチナのアラブ人や周辺諸国はイスラエルの建国を認めません。
長い長い血で血を洗う中東の戦乱の始まりでもありました。

当時武力らしい武力を保持していなかったイスラエルは、さまざまな方法で武器を調達するのですが、その中には当ブログ2005年11月2日の記事のような方法で手に入れたりもいたしました。

中でも、第二次大戦中の連合軍の主力戦車であったM4は、大量に作られたこともあって廃棄されたものもまた多く、そういった廃棄されたM4をごっそりと回収してきたりもしたのです。

当然廃棄されたM4ですから、どこかに不具合があるのは仕方ありません。
中にはエンジンがないものや、主砲がないものもあったでしょう。
しかし、2、3台分のスクラップがあれば、そこから1台を形作れましたし、アメリカや欧州にまで出向いては、部品を購入したりして、じわじわとイスラエルの戦車隊にはM4が配備されていくことになります。

主砲も使えなくなっているものが多かったのですが、これもクルップ製の75ミリ野砲を50門もスイスから調達して、これを搭載するという荒業も行われました。
こうして第一次中東戦争には間に合わなかったものの、イスラエル軍の主力戦車はM4が占めることになりました。

しかし、対するアラブ連合も負けてはいません。
ソ連からT-34/85の供給を受けた上に、戦後の重戦車であるIS-3なども引き渡されるようになると、M4の主砲では太刀打ちが難しくなります。
さらに、もともとの主砲を装備したものやクルップ製の野砲を搭載したものなどが混在し、砲弾の補給の面でも不都合が生じます。

そこでイスラエルはM4の主砲を換装し、エンジンなども統一した、新たなるシャーマンに改造することに決めました。
こうして作られたのが、M50です。

M50は主砲を強力なフランス製の75ミリ砲SA50に交換。
このSA50は、何とあの独軍パンターの主砲を元にフランスが改良したものであり、その威力は折り紙付きでした。
このSA50を搭載する砲塔そのものをフランスで製造してもらい、その砲塔ごと以前のM4の砲塔と交換する形で主砲の換装がなされます。

さらに機動性向上のためにアメリカのカミンズ製ディーゼルエンジンと幅広の履帯を装備。
砂漠での機動性を大幅にアップさせたのです。

こうして完成したのがM50シャーマンであり、かつてのM4とは比べ物にならないほどの強力な戦車となって生まれ変わったのです。

M50はさらにまたM51へと発展するのですが、それはまた別の機会に。
それではまた。
  1. 2008/01/14(月) 19:31:13|
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連休連続プレイ

昨日に引き続き、今日も先輩においでいただきウォーゲーム。

今日はドイツ装甲軍団の「マーケットガーデン作戦」(コマンドマガジン日本版74号)をプレイ。
先輩が連合軍をやりたいとのことでしたので、私が独軍を担当してプレイ開始。
連合軍の進撃をがっちり受け止めてやる。

第一ターンに順調に後退した独軍は、ベルギー・フランス国境で連合軍を待ち受けます。
ZOCで壁を作り、突破されないようにスタックして準備完了。

連合軍は英軍に優先補給をして、ベルギー国境に殺到してきました。
機甲師団を中心に、何と独軍戦線の中央部に突進してきます。
米軍はそのサポートに回り、独軍戦線の南部を攻撃。
先輩がサイコロを振りはじめました。

後退・・・
後退・・・
これも後退・・・
またしても後退・・・
!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?

独軍戦線に大穴が開きましたよ?
いったいどういうこと?

英軍の攻撃に独軍の戦線には大穴があけられてしまいました。
これはまずい。
部隊をローテーションして穴をふさがねば・・・
私はこのときすでに冷静さを失っていたのかもしれません。

独軍は手元にある強力な装甲師団で何とか穴をふさごうとしますが、移動力が足りなくて穴をふさぎきれません。
いや、実際にはふさげたはずなんですが、すでに私にはあるルールを思い出すことができませんでした。

第二ターン。
独軍がふさぎきれなかった大穴に、連合軍が殺到します。
移動力の関係から、連合軍もそれほど突破はできないはずだ・・・
ここをしのぎきればまだまだ独軍は耐え切れる。
私は漠然とそんなことを考えて、次ターンの対応に頭を向けておりました。

「戦略移動するから移動力倍ね」
ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!
その手があったんだー!!

先輩の率いる連合軍は、なすすべのない独軍の目の前をどんどん通り過ぎて行きます。
あれよあれよと言う間に連合軍はライン川に達しました。

「空挺降下このターンだから」
ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!
何ですかそれは?

このゲームの特色として、空挺降下が行われると、ターンの手順が入れ替わります。
つまり、「再び俺のターン!」とばかりに連合軍が動くのです。
ライン川が渡河されましたよ・・・orz

英軍は嬉々としてドイツの都市を解放して行きます。
アントワープもとどめに占領され、独軍は戦意喪失。
三ターン目に投了を申し出ました。

完膚なきまでに負けました。
なすすべがないとはこのこと。
まったく手が出ませんでした。

「戦略移動」
このルールさえ思い出していれば・・・
移動力が倍になれば穴はふさげたはずなのに・・・
情けない・・・orz

その後はASL-SKをプレイして何とか勝利をつかんだものの、今年に入って負けっぱなしです。
こんどは負けないぞー。
それにしても今日の負けは情けなかったなぁ。

それではまた。
  1. 2008/01/13(日) 20:01:14|
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小粒でも結構いけますね

今日は土曜日。
今年最初の先輩とのウォーゲームです。

今年最初ということで、がっつりとフルマップのコマ数の多い重たいゲームを・・・
とはなりません。

今年最初の顔合わせでしたので、最初はいろんな雑談&ゲーム談義に花が咲きます。
で、一通りしゃべくったあとにおもむろに取り出したのがこのゲーム。

「モスクワ攻防戦」(コマンドマガジン日本版39号中綴じ付録)
かつてGDW社がウォーゲームのサンプルとして無料配布したものらしいのですが、とにかく小ぶり(A4マップ一枚)のミニゲームです。

早速マップを印刷して初期配置してみました。
(1).jpg

このゲームは初期配置が結構重要で、主攻軸をどこに向けるかで展開が変わってくるようです。
私は独軍を受け持ち、モスクワを目指して主攻軸を南部(写真右側)におきました。

ZOCtoZOCもできるこのゲーム。
独軍は初期の戦力の強力さでもって、ソ連軍防衛線を突き破ります。
三ターン開始時には、モスクワまであと一息と迫りました。
3).jpg

しかししかし、三ターンと四ターンは泥濘が独軍の進撃を阻みます。
独軍は何と一へクスずつしか動けません。
ああ・・・なんて恨めしいこの泥沼。

その間にソ連軍は着々と部隊を集めて防衛線を強化してしまいます。
五ターン目には地面が凍って動きやすくなったものの、独軍の進撃は止まっておりました。
最後

結局モスクワには届かずにゲームエンド。
ソ連軍の勝利に終わります。
史実同様にあと一歩届きませんでした。

ミニゲームでしたが、それなりに楽しめるいいゲームかもしれません。
もちろんミニゲームゆえの欠点も多いかもしれませんが、なるようにしかならないというわけでもないような気がします。
独軍もうまくやればモスクワが落とせそう。
むりかなぁ・・・

このあとは時間まで「アフリカンキャンペーン」(コマンドマガジン日本版31号)をプレイ。
簡単なルールのシンプルなゲームですが、これは面白いですね。
ロンメルの反撃が始まるか、というところで時間切れでしたが、ターン数が多くても結構早く進みます。
慣れればキャンペーンができそうなので、少しこのゲームを重点的に遊んでみようかな。

「フォー・ザ・ピープル」もようやくルールを印刷したからやってみたいしなぁ。
やりたいゲームが今年もたくさん待ってます。
次回もがんばるぞー。

それではまた。
  1. 2008/01/12(土) 20:15:29|
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豊家滅亡その13

午前11時ごろ。
関ヶ原の戦場は霧も晴れ渡り、一時は東軍に押されていた西軍四隊もどうにか体勢を立て直し、再度東軍に対して攻勢に転じておりました。
ここに至り、三成は勝機をものにするべく合図ののろしを上げさせます。
こののろしこそ、西軍には勝利を、東軍には壊滅をもたらすものになるはずでした。

西軍は石田隊などの四隊ががっちりと東軍の勢いを食い止めており、その状況を打開するべく家康自身が戦場付近に陣を移しております。
つまり、関ヶ原の盆地内に東軍諸隊ほとんどが入り込んでいるのです。
ここで南宮山の毛利隊や吉川隊などが長曾我部隊などとともに東軍の背後をふさぎ、小早川隊が側面を突くことになれば、東軍は支えきれずに瓦解するでしょう。
そう、こののろしの合図に諸隊が動き出せば、まさに勝利は西軍にとって疑いなしでした。

しかし、こののろしに呼応する動きはありませんでした。

西軍の安国寺恵瓊は首謀者の一人であり、三成とともに立ち上がったのであるから、当然すぐにも軍勢を動かそうとしました。
五奉行の一人、長束正家も当然軍勢を動かそうとします。
しかし、彼らとともに動くはずの南宮山頂上付近に陣取る毛利秀元の毛利本隊が動きません。
安国寺恵瓊はあわてて毛利本隊に使者を派遣し、軍勢を動かすように進言します。
ですが、毛利本隊は動きません。

毛利本隊は動きたくても動けなかったのでした。
毛利秀元自身は西軍の一員として家康と戦うつもりであったようです。
しかし、毛利本隊の前衛に布陣する吉川広家隊が邪魔しておりました。
吉川広家は、この戦いが西軍にとってつらいものであることを承知しており、三成によって担ぎ出されてしまった毛利家総帥毛利輝元の無罪と領国の安堵とを条件にして、家康との間に不戦を約束していたのです。
ここで毛利本隊に動かれては約束がふいになってしまいます。
毛利家のためにも本隊を動かすわけには行きません。
吉川隊は本隊の前に陣取って動かさないようにしていたのでした。

頂上付近の毛利本隊が動かなければ、南宮山ふもとの諸隊は動くに動けません。
安国寺隊や長束隊の背後の長曾我部隊も無為に時を過ごすことになり、このままでは勝機を逸することになります。
安国寺恵瓊は何度も使者を送って毛利秀元に軍勢を動かすように進言します。
秀元は自らも動きたいのはやまやまでしたが、吉川隊が動かないので動けません。
恵瓊の使者への返答に窮した秀元は、ついにこう答えます。
「我が隊は少々早いが今兵に弁当を食べさせている最中だ。弁当を食べ終わればすぐにも軍勢を動かそう」
これがのちに有名になる「毛利家の空弁当(からべんとう)」でした。

こうして南宮山の諸隊は吉川広家のために動けませんでした。
では、松尾山の小早川秀秋はどうであったのでしょうか。

小早川秀秋は迷っておりました。
目の前の戦いはいまや伯仲しております。
彼の率いる軍勢一万五千が戦いの局面を左右することになったのです。
彼自身これほど大きなキャスティングボートを握ることになるとは思いもしなかったかもしれません。
それがゆえに迷っていたのです。

小早川秀秋は東西両軍より味方につくように誘われておりました。
秀秋は太閤秀吉の妻おねの兄木下家定(きのした いえさだ)の五男として生まれ、子が無かった秀吉の養子として一時は後継者と目されたものの、豊臣秀頼誕生のために小早川家に養子に出された経緯がありました。
そのため家康寄りとも考えられましたが、三成は秀秋に関白職をちらつかせます。
関白となれば、秀吉の後継者としての栄光が再び彼の元に戻ります。
秀秋は大いに迷ったのではないでしょうか。
彼にはその決断が着きませんでした。
のろしが上がっても、小早川隊は動かなかったのです。

家康にとっても小早川隊の動きの無さは不気味なものでした。
黒田長政を通じて小早川秀秋に内応を約束させてはいたものの、ことここにいたっては秀秋の動きに勝利をゆだねるしかなくなっていたのです。
秀秋が西に着くか東に着くか。
不安になった家康は、確認のために黒田長政に使者を派遣しました。
激戦の只中にそのようなことを訊かれた黒田長政は、そんなこともはやわからんと答えたといいます。
こんな状態となれば、どっちに転んでも不思議はありません。
長政にもわからないとしか言いようが無かったでしょう。

家康はいらだちました。
いらだった挙句についに行動を起こします。
彼は鉄砲隊を派遣して、松尾山の小早川の陣めがけて威嚇射撃を行うように命じたのです。
鉄砲の一斉射撃の銃声が、松尾山のふもとで響きました。

その14へ
  1. 2008/01/11(金) 19:47:25|
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これもプレイしたいもの

先日一軒リンク先が増えたことをご報告いたしましたが、また新たに一軒リンクしてくださる方が増えました。

私と同じようにシミュレーション・ウォーゲームを楽しまれていらっしゃる、アンブッシュ様のブログ「アンブッシュのウォーゲーム日記」様です。
URLはこちら
http://ambush3911.blog106.fc2.com/

こちらでは、アンブッシュ様が楽しまれておりますウォーゲームのリプレイなどの記事が掲載されており、興味のある方には楽しめるブログ様だと思われます。
私もいつも楽しませていただいております。

アンブッシュ様は、対面プレイはもちろんのこと、ネットでウォーゲームを行うことができるVASSALでもプレイを楽しまれていらっしゃる方ですので、私もいつかは対戦をお願いいたしたいものです。
その前にVASSALを把握しなければならないですが・・・(汗

アンブッシュ様、このたびはリンクしてくださりありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。


さてさて、昨日は第一次世界大戦のエース、リヒトホーフェンをご紹介いたしましたが、私の持っておりますウォーゲームの中にも、このリヒトホーフェンをはじめとしたパイロットたちの空戦をシミュレートするものがございます。

タイトルを「ブルーマックス」(HJ)といいます。

「ブルーマックス」というのは、帝政ドイツ時代の勲章「プール・ル・メリート」勲章のあだ名でして、箱絵にも燦然と輝いております。

見づらいかもしれませんが、しっかりと赤のユニットで、リヒトホーフェンの搭乗したフォッカーDr1が入っています。

CIMG0001.jpg

逃げる英軍のソッピース・キャメルを追っていく“レッドバロン”というところ。
ゲームではお互いに記録用紙に飛行計画を書いておき、一緒に動かして行きますので、うまく行動しないとなかなか敵機の後ろにはつけません。

逃げる敵機を追っているうちに、背後にもう一機が忍び寄ってきちゃっているなんてことも起こりえます。

パイロットの能力も加味されますので、優秀なパイロットは相手の行動を見てから動かすことができ、よりうまく相手の行動に対処できるようになっています。
果たしてこのピンチをどうやって切り抜けるのか?

なんてことが楽しめるゲームなんですが、私はこのゲーム対人プレイの経験がほとんどありません。
なかなか空戦ゲームを相手してくださる方が身近にいないんですよね。

いつかはこのゲームもプレイしたいなと思いつつ、今日はこのぐらいで。
それではまた。
  1. 2008/01/10(木) 19:38:36|
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赤い彗星ではありません

ガンダムを詳しく知らない方でも、「赤い彗星シャア」の名前は聞いたことぐらいはあるかもしれませんね。
それほどまでに有名な彼のモデルというか、シャアというキャラクターのデザインの元となったであろう人物がおります。

マンフレート・フォン・リヒトホーフェン。
航空機というものが戦争に使われ始めた第一次世界大戦における、ドイツ帝国の有名なエースパイロットの一人です。

最終撃墜機数は八十機。
大量生産され、数多くの航空機が投入された第一次世界大戦とはいえ、のちの第二次世界大戦に及ぶはずもなく、第一次世界大戦でのこのスコアはおそらく大戦トップではないかと思われます。

もともと彼はフォンの称号を持つプロイセン貴族の子息として、現在のポーランド領で1892年に生まれます。
父親が騎兵将校であったために、幼いリヒトホーフェンも乗馬や狩猟に興味があり、馬に乗って獲物を追いかけておりました。

陸軍幼年学校から士官学校を経て、父と同じ騎兵将校となったリヒトホーフェンでしたが、おりしも始まってしまった第一次世界大戦では、騎兵には華々しい戦闘のチャンスはありませんでした。
塹壕に篭っての退屈な日々に、青年リヒトホーフェンはたびたび空を見上げ、そこを飛んでいく航空機に心惹かれて行くことになります。

リヒトホーフェンはついに航空部隊への転属を申し出て、割とすんなりと認められました。
航空機の中でも偵察機隊は騎兵の延長と見られていたらしく、騎兵将校だったリヒトホーフェンは、偵察機隊への転属はさほど問題なく受け止められていたのだそうです。

戦争二年目の1915年、偵察機乗員として空に舞い上がったリヒトホーフェンでしたが、わくわくする敵機撃墜という瞬間にはめぐり合うことができませんでした。
複座機の旋回機関銃では敵機を撃墜できるまでの銃弾を浴びせかけることは難しかったのです。
狩猟をたしなんでいたリヒトホーフェンにとっては、敵機を撃墜できない偵察員としての任務はつまらないものでした。

そんな時、リヒトホーフェンは一人の人物と出会います。
ハウプトマン・オズワルド・ベルケ。
戦闘機隊の有能な戦闘機乗りでした。
彼に出会ってリヒトホーフェンは戦闘機乗りになろうと決心したのです。

1916年。
戦争三年目にしてリヒトホーフェンは、航空機操縦手としての試験に合格。
晴れて戦闘機パイロットになることができました。

このころドイツでは、協商国軍の優秀な戦闘機隊に対抗するべく、新型で性能のよいアルバトロスDⅡ戦闘機を中核にした戦闘機部隊が編成されておりました。
この部隊の指揮官だったベルケが、リヒトホーフェンに目をかけ、戦闘機隊に引き込みます。

戦闘機隊に配属されたリヒトホーフェンは、アルバトロスDⅡの優秀さにも助けられて、着々と撃墜機数を増やし始めます。
彼を誘ってくれたベルケが僚機との空中衝突という事故で亡くなったのは大きな痛手でしたが、持ち前の狩猟家としての精神が彼を十機撃墜のエースに押し上げます。
1916年11月のことでした。

英国のエース、ホーカー少佐をも撃墜したリヒトホーフェンは、一躍有名となって一つの部隊を任せられます。
さらにドイツ軍の勲章プール・ル・メリート勲章も与えられ、輝かしい時期を迎えました。

当時の航空機戦では、迷彩塗装にあまり意味を見出せなかったらしく、かえって指揮官である自分は目立つことによって敵機をひきつけ、部下も自分を見つけやすくしたほうがいいのではないかと考えたリヒトホーフェンは、自分の乗る搭乗機を真っ赤に塗装することにします。
今に伝わる「レッドバロン(赤い男爵)」伝説の始まりでした。

機体を真っ赤に塗ったリヒトホーフェンの話は、たちまちのうちに協商国軍パイロットの間で噂となりました。
当然誰が乗っているか知る由もない彼らは、きっと赤い機体だから女が乗っているに違いないと噂し、「ラ・プチ・ルージュ(小紅ちゃん)」とあだ名するようになります。
ところが、この小紅ちゃんは空戦では無類の強さを発揮し、協商国軍機は次々と落とされていきました。

このため、ドイツ側の宣伝もあり赤い機体に誰が乗っているのかを知った協商国軍パイロットは、こんどはあだ名を小紅ちゃんではなく、「ディアブル・ルージュ(赤い悪魔)」「レッドバロン(赤い男爵)」と呼ぶようになっていきます。

ただ、リヒトホーフェンはやはり狩猟家としての精神が強かったようで、撃墜したり強制着陸させた敵機の一部を持ち帰ったり、わざと彼に気が付くように仕向けたのちに散々追い回してから撃墜するといったような面も見られ、彼の残虐な一面を見せるものでもありました。

ですが、部下は彼を敬愛し信頼しておりました。
そのため、隊長であるリヒトホーフェンの機体だけが赤く塗られていたのでは、敵の的にされてしまうということで、部隊全機が彼と同じように赤く塗られることになります。
やがて赤い機体を駆って空を飛び回る彼らは、いつしか「リヒトホーフェンサーカス」と呼ばれるようになり、協商国軍パイロットにとっては疫病神のような存在として恐れられるようになりました。

しかし、好事魔多し。
1917年6月、まぐれ当たりの敵弾が彼の頭部に命中します。
幸い命は助かったものの、それ以後の彼は後遺症に悩まされるようになったといいます。

新型機フォッカーDr1を受け取ったリヒトホーフェンは、再び空に舞い戻ります。
この新型機は写真などでも有名な三枚の翼を持つ三葉機であり、速度は速くなかったものの、旋回性能は抜群で格闘戦には圧倒的な強さがありました。

だが、アメリカの参戦により勢いづく協商国軍は、次々と新型機を大量に投入。
リヒトホーフェンサーカスの撃滅に躍起になります。
部下たちが次々に撃墜されていく中で、戦争五年目の1918年3月にはついに八十機撃墜を達成。
しかし、もはや彼の気力も体力もぼろぼろでした。

静養を勧められたリヒトホーフェンは、素直に忠告を受け入れて静養することにします。
そして、その静養を目前に控えた1918年4月21日、彼は帰らぬ人となりました。

ソンム川の上空を偵察飛行に出ていた彼の部隊は英国軍戦闘機隊と交戦。
地上からはオーストラリア軍の対空砲火が上がる悪条件の中、彼はついに機体を制御できなくなり地面に墜落、戦死したのです。
公式にはブラウン大尉の戦闘機による撃墜となっておりますが、オーストラリア兵による対空砲火によるものとも言われており、リヒトホーフェン撃墜は謎に包まれたものでした。

リヒトホーフェンの戦死はドイツ軍協商国軍いずれのパイロットにとっても悼まれました。
葬儀は何と撃墜した英国軍が行ったのです。
数多くの協商国軍パイロットが参列したといいます。

三倍の速度は出せませんが、赤い機体を駆って敵軍の心胆を寒からしめたリヒトホーフェンの名は、今なおドイツ空軍の第71戦闘航空団「リヒトホーフェン」に受け継がれ、その伝説を世にとどめているのです。

それではまた。
  1. 2008/01/09(水) 19:24:33|
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新しいリンク先です

新しいリンク先がまた増えました。

印度一 好色様の主催するエロゲー攻略サイト「紫の正義」様です。
URLはこちら。
http://www7.plala.or.jp/indoichi/

印度一様も悪堕ち作品がお好きとのことで、当ブログも楽しんでいらっしゃるとのこと。
こうしてリンクを張らせていただけるのも、悪堕ちが結んだ縁というべきでしょうか。

また、ブラックサイク様の「闇の声」シリーズもお好きとのことで、紫の正義様にはしっかりと攻略が掲載されております。
私もいくつかのエロゲー作品の攻略でお世話になりました。
皆様もエロゲーの進行に詰まったら覗いて見られてはいかがでしょうか。

印度一様、これからもよろしくお願いいたします。
  1. 2008/01/08(火) 20:48:13|
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豊家滅亡その12

慶長5年(1600年)9月15日午前8時。
関ヶ原に両軍が対峙する中、銃声が響き渡ります。
のちに言われる「関ヶ原の戦い」の始まりでした。

銃声は、東軍の井伊直政隊が放った鉄砲によるものでした。
実はこの日、東軍においては先鋒は福島正則隊であると決められておりました。
先鋒は武人の名誉。
一番槍は手柄としても大きいのです。
それだけに、先鋒が一度決まったならば、それ以外の隊が先に接敵することは抜け駆けとされて違反行為となります。
井伊直政はその抜け駆けをやったのでした。

井伊直政はこの重要なる戦いにおいて、名目上は豊臣家臣同士の内紛ということになるものの、実質上は徳川対豊臣の戦いであり、それゆえに戦いの火蓋を切るのは徳川家の家臣であるほうがよいと考えておりました。
そのために家康四男の松平忠吉とともに鉄砲隊の一部を率いて、福島正則の陣よりさらに西軍に近づいていったのです。

もちろんこの行動は福島正則隊に察知されることになりますが、井伊直政は松平忠吉が初陣であることを口実に、戦場の雰囲気を感じるための物見であると言いぬけます。
そうして西軍に近づいた井伊隊は、西軍に対して銃を撃ちはなったのでした。

抜け駆けをされたと知った福島正則は激怒します。
しかし、すでに抜け駆けされてしまった以上どうすることもできません。
正則は怒りをぶつけるかのように、自隊に対して西軍宇喜多隊への突撃を命じます。
福島隊が一斉に動き始めました。

ほぼ同時に東軍黒田長政隊も西軍に対して突撃を敢行。
一方の西軍も石田三成隊、小西行長隊がこれに応戦を開始。
激戦が始まりました。

福島隊と宇喜多隊はほぼ正面から激突。
黒田隊を中核とした東軍諸隊も石田隊とがっぷり四つに組み合っての正面からの叩き合いとなります。
藤堂高虎隊と京極高知隊は福島隊を迂回するように回りこんで大谷吉継隊と戦闘に。
織田有楽隊、古田重勝隊、金森長近隊は小西隊とぶつかり合い、それぞれが激しい戦闘を交えます。
双方とも敵兵力の布陣さえ定かではない状況のため、正面の敵を叩くことしかできなかったのです。

西軍は宇喜多隊、小西隊、石田隊、大谷隊の合計三万二千ほどが戦っているに過ぎませんでした。
それ以外の西軍諸隊は戦闘に参加していないのです。
東軍がほぼ全力をこの西軍四隊にぶつけてきているのに比べ、西軍はこの四隊だけで東軍の攻撃を支えておりました。
それどころか、東軍は押し返されつつありました。
午前9時ごろには、東軍の勢いは失われつつあったのです。

宇喜多隊は明石全登を中心とした集団と鉄砲隊の射撃によって、福島正則隊の攻撃を跳ね返しており、大谷吉継も名将としての名声を遺憾なく発揮して東軍諸隊を寄せ付けません。
小西隊も局所的優勢を手放しませんでした。

東軍諸将の憎しみを一身に浴びていた石田三成隊は東軍の激烈な攻撃を受けておりました。
その攻撃を石田隊は島左近が支えます。
島は東軍の攻撃を跳ね返すと、こんどは逆に黒田隊に攻めかかり、黒田隊はたじたじとなって戦列を後退するということも幾度と無く起こりました。

午前10時。
激闘は2時間に及ぶものの、西軍がやや優勢だが決定的ではない状況が続いておりました。
家康はこの状況にかなりいらだっていたと伝えられます。
西軍諸隊を切り崩し、吉川や小早川の動きを封じてはいたものの、石田隊をはじめとする西軍四隊に翻弄されているのです。
このままでは西軍優勢と見た吉川や小早川が参戦してしまうかもしれません。
家康は陣を前線近くまで前進させ、各部隊を督戦することにしました。

宇喜多隊と福島隊の激闘は双方の旗印が前進と後退を繰り返すほどのものでした。
大谷隊も小西隊も一歩も退かないどころか、東軍が攻めあぐねているような状況でありました。
そんな中、小西隊と石田隊に挟まれた位置にいる島津隊は、まったく動きを見せませんでした。
一説によれば、前日の夜襲進言をまるっきり無視されたことに腹を立てて戦闘に参加しなかったとも、石田三成の傲慢と見える態度に腹を立てたためとも言われますが、とにかくこの時点で島津隊は戦闘に参加する様子を見せておりませんでした。

やがて、家康自身が後方より前線近くの位置に陣を移してくると、東軍諸隊はにわかに勢いを盛り返します。
やはり家康の姿が功を奏したのです。
ぎりぎりの優勢を保っていた西軍四隊は、この盛り返してきた東軍にさすがに押され始めました。
石田隊も前衛を突破され、後退を余儀なくされます。
ここにおいて、三成は動きの見えない島津隊に戦闘参加するように使者を立てますが、使者が馬上から物言いをしたために島津豊久(しまず とよひさ:島津義弘の甥)に一喝されてしまいます。
やむなく今度は三成自身が島津の陣に出向きますが、対応した島津豊久はこう言ったといわれます。
「このたびの戦、どうも都風の戦にて島津の戦に合いもさん。この上は島津は島津でやり申すので、そちらはそちらでやるがよろしかろう」
三成は何も言えずに引き下がるしかありませんでした。

その13へ
  1. 2008/01/08(火) 19:36:32|
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雪崩

ボトムズSSの八回目です。
どうぞー

8、
舞い上がる地吹雪。
カメラについた雪が視界をさえぎる悪条件。
キャリアを中心にして私たちは進んでいく。
もうすでに鉄道襲撃の現場からはかなり離れたはず。
だというのに、私はいやな気持ちがぬぐえない。
先頭に立つ私とユジンの後方を、両側に大尉とシフォンを従えたキャリアが続く。
最後尾にはラートルがしんがりを務めて後方を警戒する。
風の影響で吹き溜まりになっている辺りを避けながら、私はファッティーを歩ませていた。

私の前に抱え込まれるように座っている水色の髪の少女。
無理やり入り込んだので操作がしづらいのは仕方が無いけど、無言で前を見詰めている。
カメラの映像は私のスコープに映し出されるのだから、彼女は味気ない装甲版を見ているだけ。
「ねえ、あなた名前は?」
私はとりあえず話しかけてみる。
ここからベースまではまだかかる。
黙っているのも大変だろうと思ったのだ。
でも、返事は無い。
考えたら今まで彼女は一言もしゃべってはいないわね。
もしかしたらしゃべることができないのかも。
だとしたら、無口なのも納得できるけど・・・

谷の入り口。
その狭い谷あいを抜けて行かねばならない。
待ち伏せするには絶好の場所だわ。
待ち伏せされていればの話だけど・・・
『アイスブルー、聞こえるか?』
ターロス大尉から通信が入る。
「こちらアルティアです。感度良好」
『谷の偵察をしろ。ユジンも連れて行け。谷の安全が確保でき次第俺たちも続く』
なるほど。
「了解しました。ユジン、行くわよ」
『了解、お手柔らかに』
ユジンのファッティーが右手の親指を上げる。
私は思わず笑みを浮かべた。

ぎゅっぎゅっと雪を踏みしめる音がする。
ファッティーの重量を雪が受け止める音だ。
深い雪を漕いで進むとまでは行かないが、この分では雪崩も怖いわね。
静かに進むに越したことはないか・・・
私は警戒しながら、ユジンとともに谷に踏み入る。
左右を確認しつつ、いつでも応戦できるようにカタパルトランチャーは構えたまま。
それほど距離がある谷あいではないが、抜けるまでにはそこそこ時間がかかる。
時折上を見ては、積もった雪に妙な動きがないかも確かめる。
こんなところで雪崩に襲われてはひとたまりも無いのだ。

『アイスブルー、様子はどうだ?』
「今のところ異常ありません、大尉殿」
私はとりあえずの異常なしを報告する。
『よし、そのまま進むんだ』
「了解」
谷の中ほど辺りまで来たところで先が見えてくる。
吹雪とはいえ、先が開けているのはなんとなくホッとする。
このまま行けば何もなく抜けられそうだわ。

[右に避けて・・・それから、何があっても心配しないで]
「えっ? 何?」
私は一瞬戸惑った。
何かが私に話しかけてきたのだ。
[右に避けて! 急いで!]
私はフットペダルとレバーを操作する。
倒れこむように右側につんのめる私のファッティー。
その脇を掠めるように一発のロケット弾が背後から飛び去っていき、前方に着弾した。
「後ろから? ユジン、避けて!」
私はすばやく後ろを振り返る。
谷の入り口ではカタパルトランチャーをこちらに向けたシフォン機と、斜め上に構えたラートル大尉の機が見えた。
やられた!
あいつらはここで私たちを殺す気だ。
ここなら雪崩に埋まってしまえばわかりっこない。
いやな予感が当たったわ。

『てめえら何しやがるんでぃ!』
「ラートル、逃げて!」
私は通信機に怒鳴りつける。
しんがりにいたラートルがシフォンの発砲をやめさせようとしたのだろうが、シフォンは逆にラートルに向けてランチャーを発射する。
ターロス大尉のカタパルトランチャーは、谷の頂上付近めがけて発射され、いくつもの爆発音を響かせながら雪崩を誘発させていく。
『くっそぉ! やっぱりか!』
ユジンのファッティーが大尉めがけて発砲するが、足元が安定しないのか当たらない。
「ユジン、ラートル、とにかく逃げて!」
私はファッティーの体勢を立て直し、谷の出口に向かって走らせる。
『わ、わかった』
『く、くそったれ! うわぁっ』
ラートルの悲鳴が聞こえる。
だが爆発音は聞こえない。
できれば無事でいて。
こんなことで死んでたまるか!

轟音とともに崩れてくる雪の群れ。
足元に流れてくる雪のせいで走れない。
谷の出口まではまだ遠く、雪崩はもう背後まで迫っている。
間に合わない・・・
ちくしょう・・・
どうして大尉が・・・
上官としては悪くなかったのに・・・
『うわぁぁぁぁぁ』
「ユジン!」
ユジンのファッティーが白い闇に飲み込まれていく。
そして私のファッティーも・・・
雪に巻き込まれていった。
  1. 2008/01/07(月) 19:15:10|
  2. ボトムズSS
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おにゃのこモンスターがいっぱい

カードゲームの紹介をもう一つ。

ホビージャパン社から出ていたカードゲーム、「ギャル・マスター」&「ギャル・マスター2」です。

CIMG0005.jpg


これがうらべすう氏デザインのおにゃのこモンスターたち。
これは一部ですが、他にも可愛いおにゃのこモンスターがいっぱいいます。

ゲームは、場に出されたこのモンスターたちを、手札の冒険者たちを駆使して捕獲するというもの。
モンスターカード左上の点数が、そのまま得点になりますので、得点の高いモンスターはみな欲しがることになります。

ただし、これにはテクニックが必要であり、高得点のモンスターだからといって、攻撃力の高い冒険者を出せばいいというものではありません。
トップの攻撃力と同じ攻撃力の冒険者をほかのプレイヤーが出してしまうと、次点のプレイヤーに勝利の権利が移ってしまうのです。

つまり、四人がせーので出した冒険者の攻撃力が10、10、10、1だったりすると、10の三人は権利を失い、1の冒険者を出したプレイヤーがモンスターを確保することになるのです。
そのために駆け引きが重要になるのです。

まあ、そんな内容はどうでもいいですね。
実は私もプレイはしておりません。
それよりも、うらべすう氏の描かれたおにゃのこモンスターが可愛いですよねぇ。

私ですと、このモンスターたちが、一般の女性を改造した改造人間なんだって妄想しちゃいますねぇ。
見ているだけで妄想が膨らんじゃいます。
改造SSも書きたいなぁ。

こういうカードゲームもあったんだということで。
それではまた。
  1. 2008/01/06(日) 19:32:58|
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豊家滅亡その11

関ヶ原という土地は、北側を伊吹山系が、西側には笹尾山(ささおやま)と天満山(てんまやま)が、南には松尾山(まつおやま)、そして東に南宮山(なんぐうさん)が囲む盆地となっておりました。
広さは南北約2キロ、東西には約4キロの広がりを持っておりました。

そしてその盆地の中を、東西には中山道が、北西には北国街道が、東南には伊勢街道が通るという交通の結節地となっており、古来戦略的に見ても重要な土地だったのです。

慶長5年(1600年)9月14日に大垣城を進発した西軍諸隊は、翌15日午前1時ごろから続々と関ヶ原に布陣し始めます。
すでに9月2日に関ヶ原西方の山中村に大谷吉継が布陣しており、南の松尾山には小早川秀秋率いる一万五千の軍勢が陣を構えておりました。
しかし、小早川秀秋に対しては、この時点ですでに東軍への寝返りが危惧されており、松尾山のふもとには小早川への牽制として赤座直保(あかざ なおやす)、小川祐忠(おがわ すけただ)、朽木元網(くつき もとつな)、脇坂安治(わきさか やすはる)の諸隊約四千が配置されました。

石田三成は、自隊約六千を三成本隊の四千と島隊一千、蒲生郷舎(がもう さといえ)隊一千に分派。
島隊と蒲生隊を前衛に出して、本隊は関ヶ原を一望できる笹尾山に布陣しました。
その上でわざわざ松尾山まで出向き、小早川秀秋の家臣に小早川隊はのろしを合図に東軍に攻めかかるよう念を押してます。

三成本隊の隣には秀頼麾下の諸隊が約二千ほどおり、その南側には島津隊千五百が、さらにその南側に小西行長隊約四千が布陣します。
宇喜多秀家率いる約一万七千は天満山の一角、南天満山に布陣。
遠く離れて関ヶ原東方南宮山には毛利輝元の名代毛利秀元率いる毛利本隊一万五千、さらにその前衛に吉川広家隊約三千が布陣。
そして、関ヶ原という盆地に入った東軍に栓をするかのように、東側の中山道の入り口を望む南宮山のふもとには安国寺恵瓊の千八百が、さらにその南側には長束正家の千五百、それに長曾我部盛親の六千六百が布陣しました。

午前5時ごろには西軍諸隊の布陣は完了。
終結した西軍諸隊の合計兵力は約八万四千というものでした。

それに呼応するように、夜の闇を突いて東軍諸隊も続々と関ヶ原に集結を始めます。
明け方の霧で見通しの悪い中、福島正則の先鋒が宇喜多隊を確認、そこから布陣が開始されました。

福島隊約六千は東軍左翼の中心として宇喜多隊に向かい合うように陣取ります。
それに対応するように黒田長政隊五千四百が東軍右翼の中心として石田隊を中心とした西軍左翼と向かい合う形に布陣。
そして、この二隊にはさまれるような形で、北から細川忠興隊五千、加藤義明隊三千、筒井定次(つつい さだつぐ)隊二千八百、田中吉政(たなか よしまさ)隊三千が布陣、西軍島津小西隊と相対します。

彼らの背後を固めるのは、井伊直政(いい なおまさ)隊三千六百、松平忠吉(まつだいら ただよし)隊三千、古田重勝隊千二百、織田有楽斉(おだ うらくさい:本名は長益 信長の弟の一人)隊四百五十、金森長近(かなもり ながちか)隊千百、生駒一正(いこま かずまさ)隊千八百であり、二重の布陣で厚みを持たせていました。

さらに福島隊の南側には藤堂高虎隊二千五百、京極高知(きょうごく たかとも)隊三千、寺沢広高(てらさわ ひろたか)隊二千四百が布陣して小早川隊に備えます。

徳川家康率いる徳川本隊約三万は南宮山の北側ふもとの桃配山(ももくばりやま)に布陣。
その後方に南宮山の毛利対策として有馬豊氏隊九百、山内一豊隊二千、浅野幸長隊六千五百、池田輝政隊四千五百を配置。
東軍総兵力は約九万から十万といわれ(諸資料により違うため)、西軍よりも兵力数では多いものでした。

しかし、後年明治政府が、日本帝国陸軍の強化のための軍事顧問としてドイツより呼び寄せたクレメンス・メッケル少佐は、この戦いは西軍が勝ったであろうと断言しました。

理由は布陣でした。
関ヶ原の盆地に東軍はそのほとんどの戦力を集中しているのに比べ、西軍は周囲の山地をすべて押さえており、さらには東側の出入り口を押さえることのできる位置にも兵力を配されているのです。
つまり、東軍は関ヶ原の盆地に袋のネズミ状態で閉じ込められたことになり、周囲の西軍に集中攻撃を受ける状態だったのです。
布陣から見れば、まさにそうなってしかるべき布陣であり、メッケル少佐の言葉も納得できるものでした。
三成の狙いもまさにそこにあったのです。

かくして、小雨と霧で周囲の状況が見通しづらい中、午前6時ごろには東軍の布陣も終わり、戦闘が開始されるのを待つばかりとなりました。

そして慶長5年(1600年)9月15日午前8時、関ヶ原に銃声が響き渡りました。

その12へ
  1. 2008/01/05(土) 19:52:02|
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これもバカゲー

これまでに「バグ・アイド・モンスター」、「死霊の夜明け」と立て続けに愛すべきバカゲー(繰り返しますが、決してけなしているのではありません)を紹介してきましたが、今日はカードゲームのバカゲーを一つご紹介しますね。

その名も「悪代官」

SA3A0018.jpg

これがパッケージ写真です。

SA3A0016.jpg


SA3A0017.jpg

これがカードの一部です。

見てお分かりの通り、安永航一郎氏のイラストがカードに使われていて、実に見事な雰囲気をかもし出しているんですね。
「お互い悪よのう」カードなんてもうね。(笑)

ゲーム自体は、数人のプレイヤーがいずれも悪代官となって私腹を肥やすことが目的となります。
まずは金額が書いてある悪事カードを場に広げて悪事開始。
「地上げの協力」などで弐千両とか稼ぐわけですね。

ところがこれを他のプレイヤーが妨害するわけです。
たとえば、「ご老公」カードなどで妨害です。
ご老公は壱から八までに対応できるので、悪事カードの数字が八である地上げの協力は妨害されてしまいます。

これに対して悪事カードを出した側も対応カードを出して防ぐのです。
たとえばご老公ですと、ろのカードですので、ぬ以外に効果がある「申し開き」を出せれば妨害カードを排除できるのです。

しかし、妨害カードは裏返して出されるために、どのカードが効果があるかわかりません。
ですので、手持ちの対応カードから、これはと思うものを出すのですが、たとえば「地位の利用」を出したりすると、ほ、へ、ちにしか対応できないので、ご老公には効きません。

効果の無い対応カードでは悪事が妨害されてしまうので、弐千両は手に入らないことになってしまいます。
いかに多くの悪事を妨害をかいくぐって行い私腹を肥やすかが勝負。
これは結構楽しめました。
大笑いしながらのプレイでしたよ。

ただ、すでにもう古いゲームですので、手に入れることはほとんど不可能だと思われますので、その点はご了承くださいませ。

カードゲームにも面白いものは他にもあるので、またご紹介しますね。
それではまた。
  1. 2008/01/04(金) 19:32:18|
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今年最初の敗戦・・・orz

今日は、なんと札幌歴史ゲーム友の会の札幌辺境伯様が我が家に遊びに来てくださいました。
もちろんシミュレーションウォーゲームの対戦のためにです。
お正月に遊びにいらっしゃいませんかとお誘いしたところ、すごく快くお引き受けくださり、自宅対戦が実現したのです。
うれしかったよぉ。

プレイしたのは、以前札幌歴史ゲーム友の会の例会で対戦した「1914:栄光の終焉」(コマンドマガジン日本版30号付録)です。
前回対戦の時には私がドイツ軍、札幌辺境伯様が仏軍を中核とした協商国軍を担当したのですが、今日は入れ替え戦ですので、私が協商国軍、札幌辺境伯様が独軍を担当しました。

ヒストリカル配置と選択ルールを全て採用ということで確認を取り、早速プレイ。
ヒストリカル配置なので、独軍はベルギー侵攻に軍勢を集中しており、協商国軍は逆にスイス国境付近からドイツ侵攻を狙っています。

協商国軍は主力のフランス軍が第一次世界大戦開始時に実行した第17号計画にのっとって、ザールブリュッケンを攻略するべく軍勢を進めます。
対する独軍は、開始早々リエージュのベルギー軍を蹴散らしてベルギーに侵攻。
ベルギーを突破してパリを目指します。

ザールブリュッケン近郊ではフランス軍の勇者たちが、サイコロの出目もよく独軍にダメージを与えて行きますが、今一歩押し切れません。
なんといっても独軍ユニットの防御力が強力なのです。
フランス軍の攻撃力では、なかなか独軍の防御を崩せません。

ザールブリュッケンを攻めあぐねている間に、独軍は着々とベルギーを蹂躙して行きます。
ブリュッセルもナミュールも突破され、アントワープだけががんばっている状態。
このままではベルギーはいずれ近いうちに突破されることは明白でした。

私は悩みました。
早々にザールブリュッケン攻略をあきらめて、ベルギー方面に部隊を回すべきか?
それとも、ザールブリュッケン攻撃を続けるべきか?

私は攻撃を一ターンだけ継続することに決めました。
次のターンの攻撃は、サイコロで5・6のどちらかが出れば成功するはずなのです。
ここまで攻めてきてあきらめることはできませんでした。

しかし、この決断は失敗でした。
ザールブリュッケンへの攻撃はサイコロの目が2。
フランス軍が一方的に損害を出してしまいます。

さらに悪いことには、ベルギー軍の掃討がうまく行っていた独軍は、アントワープを一部の部隊に攻撃させて他の部隊をパリに向けます。
協商国軍は英軍部隊だけが奮闘するものの、戦力の低いフランス軍は各所で惨敗、後退を止められません。

泣く泣くザールブリュッケン攻撃をあきらめて、部隊を撤収させたものの、その部隊をベルギー方面に移動するにはあまりにも時間が無さ過ぎでした。
独軍は後退する協商国軍を追い抜いていくほどの進撃でパリに向かって突進して行きます。
もはやそれを止めるすべは協商国軍にはありませんでした。

14ターンについに独軍はパリに隣接。
パリ攻撃の前にエペルネーが陥落したために、勝利得点が30点を超えたために独軍勝利となりました。
協商国軍はまったくなすところありませんでした。

完敗です・・・orz
サイコロの目にはそれなりに恵まれたのですが、ザールブリュッケン攻撃に固執しすぎたかもしれません。
もともと協商国軍は初期配置的にベルギー方面ががら空きなので、そちらに部隊を回すことを優先するべきだったのでしょう。

札幌辺境伯様は突進するときは躊躇無く突進し、じっくりと攻めるべきところは数ターンかけてもじっくりと攻めてきます。
こちらが対処する隙をなかなか与えてくれません。
後半さすがに独軍がパリ近辺に集中したため、後方でのフランス軍の跳梁を許しかけはしたものの、それはすでに協商国軍にとっては仇花に過ぎません。
さすがでした。

対戦中や対戦後もいろいろとゲームや歴史の話に興じさせていただき、とても充実した時間をすごすことができました。
札幌辺境伯様ありがとうございました。
また対戦してくださいませ。

今年もまたシミュレーションゲームをたくさんプレイして行きたいですね。
それではまた。
  1. 2008/01/03(木) 20:27:13|
  2. ウォーゲーム
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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