バルバロッサ作戦開始以後、独軍の快進撃の裏でソ連軍は大量の兵士と大量の兵器を独軍によって失いました。
ソ連軍は国内から男子をかき集めて新兵を補充するとともに、工場に兵器の大量生産を命じました。
しかし、兵器の量産には時間が掛かる上、工場の疎開などもあって思うようには前線に投入することはできませんでした。
そこで前線では当然のように、独軍の兵器を鹵獲して使うことが行なわれました。
それらは銃器や砲兵器だけではなく、戦闘車両についても同様でした。
中には部隊丸ごとがドイツ製戦闘車両で装備されていた部隊もあったとのことです。
しかし、鹵獲したドイツ製戦闘車両は、ソ連軍の兵器体系とは異なるために弾丸の供給などの面で問題がありました。
そこで、ソ連軍としては車体をそのまま有効利用しながら、搭載砲をソ連製のものに交換することを考えます。
独軍の戦闘車両の中で、ソ連軍もその有効性を認めていたのが三号突撃砲でした。
三号戦車譲りの機動性を持ち、歩兵支援には充分な威力を持つ75ミリ砲を持つ三号突撃砲は、ソ連軍には同種の車両が無いだけにインパクトがあるものでした。
ソ連軍は鹵獲した三号突撃砲を自軍に編入して有効に利用していたのです。
しかし、上に書いたとおり、三号突撃砲の主砲はドイツ製の短砲身75ミリ砲でした。
鹵獲した砲弾を使いきってしまえば、三号突撃砲自体が無傷でも使うことができなくなります。
ソ連軍は主砲を換装する事にしました。
前線では、破壊されたT-34やKV-1の主砲である76ミリ砲を三号突撃砲に載せた改造車両も造られておりましたが、どうせ改造車両を作るなら主砲も強力な方がいいということで、122ミリ榴弾砲が装備されることが決定します。
こうして三号戦車及び三号突撃砲の車体を使って、122ミリ榴弾砲を搭載した自走砲SG-122(A)が作られました。
できあがったSG-122(A)は早速試験されましたが、搭載燃料の少なさや、大きな砲を積んだことによる重量増などが問題になり、その改善に時間が取られているうちにT-34の車体に122ミリ榴弾砲を搭載したSU-122の量産が軌道に乗り始めてしまいます。
結局SG-122(A)は何両かが改造され完成したものの、数両が実戦に参加したに過ぎず、何両が改造されたかも定かではありません。
ですが、ソ連軍の正式な自走砲としてSG-122(A)はのちのソ連軍自走砲の基礎となったのは間違いないことでした。
それではまた。
- 2007/11/05(月) 20:14:32|
- 趣味
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0