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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

ノモンハン(2)

明治37年(1904年)に始まった大日本帝国対ロシア帝国との戦争は、さまざまな局面で相互に錯誤を起こしつつも、旅順、奉天、日本海などでの日本側の一応の勝利により、日本有利の講和となりました。

その結果、日本はロシアより遼東半島の一部「関東州」と、長春-旅順間の鉄道線(後の南満州鉄道)に付属する土地(全長は約430キロ。しかし幅は線路を中心にしてわずか60メートルほどの細長い土地)とを手に入れることになったのです。

この関東州と鉄道付属地を統括するために、日本は明治38年関東総督府を置き、翌年には関東都督府へと変更され、その指揮下に駐留兵力二個師団約一万が置かれました。

明治40年(1907年)には長春-旅順間の鉄道線が「南満州鉄道」として営業を開始すると、関東都督府は鉄道付属地の警備として独立守備隊六個大隊を新設。
その代替として駐箚(ちゅうさつ=官吏などが駐在すること)師団を二個師団から一個師団に減じます。

大正時代に入ると、大正デモクラシーなどにより植民地経営も見直され、大正8年(1919年)に関東都督府が廃止。
政治の中枢として関東庁が設置されるに及んで、関東都督府の配下にあった駐箚一個師団と鉄道警備独立六個大隊は新たに軍事の中枢として設置された「関東軍」の指揮下に入りました。
これがノモンハンでソ連軍と対峙した関東軍の始まりでした。
(関東軍の軍とは、日本軍やソ連軍というような国家の軍隊という意味の軍ではなく、支那派遣軍や第六軍などというような単位としての軍)

関東軍の任務は、租借地である関東州と南満州鉄道の細長い付属地における防衛と治安維持というものでした。
しかし、関東軍はこと軍務に関しては大元帥陛下(天皇陛下)のみの命に従うという、統帥権の独立をたてに政府の直接指導を受けないという状態にありました。
これは関東軍だけの問題では無いのですが、この統帥権の独立が後の関東軍の異常な行動につながっていったのは否めません。

それが現実の問題となったのが、「満州事変」でした。

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  1. 2007/07/13(金) 21:10:31|
  2. ノモンハン事件
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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