メロンと財政破綻で有名な北海道夕張市。
市民と市当局が市政の建て直しに一所懸命です。
しかし、観光施設の閉鎖や、病院の縮小など大変な状況のようですね。
大変といえば、おそらくこの人たちも設計には大変な苦労をしたことでしょう。
大日本帝国海軍造船技術官平賀譲氏と藤本喜久雄氏。
この両名が設計し建造したのが、帝国海軍軽巡洋艦「夕張」です。
この軽巡洋艦夕張は、大正期に続々就役しつつあった水雷戦隊旗艦用の5500トン型軽巡とほぼ同等の戦闘力を、極力小型の船体に収めることで造船技術の革新を図り、かつ建造費の低減と船体に比しての重武装化がどこまでできるかの実験を行なうというような目的で建造されました。
基準排水量2890トン。
全長132.9メートル。
幅12メートル。
速力は35.5ノット。
これは太平洋戦争終盤に就役した駆逐艦「秋月」級とほぼ同じ大きさです。
つまり、20年ほどの開きがあるとはいえ、駆逐艦と同じぐらいの船体だということです。
夕張はこの船体に、以下のような武装を施しました。
主砲14センチ連装砲塔2基、及び14センチ単装砲塔2基。
8センチ単装高角砲1基。
61センチ魚雷発射管連装2基。
機雷48個。
これと、5500トン型軽巡「長良」とを比べてみます。
基準排水量5170トン。
全長152.4メートル。
幅14.2メートル。
速力36ノット。
主砲は14センチ単装砲塔7基。
8センチ単装高角砲2基。
61センチ魚雷発射管連装4基。
機雷48個。
どうですか?
船体が小さくても武装はほとんど変わりません。
主砲も門数では6門対7門と1門少ないですが、砲戦の時に使われる片舷砲門数は5500トン型は中心線上にない1門が使えなくなるので、6門対6門と同じくなります。
魚雷発射管こそ半分しかないですが、これはさすがに余裕が無かったということでしょうね。
確かに船体の小ささによる将来発展の余裕の無さや、居住性の悪さは否めませんが、5500トン型に匹敵する軽巡をわずか3000トン以下で建造したということは、造船史上画期的なことと言ってもよいでしょう。
就役した夕張は、直後に起こった関東大震災の救援に参加し、物資輸送のほか、被害を受けた横浜刑務所の囚人を名古屋刑務所に移送する役目も果たしました。
太平洋戦争では第一次ソロモン海戦などに参加。
昭和19年4月28日、米軍潜水艦の雷撃を受けて沈没しました。
実験艦と言ってよい軽巡でしたが、平賀氏と藤本氏の基本設計のよさから、実用艦としても活躍できた軽巡でした。
それではまた。
- 2007/06/21(木) 21:49:34|
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