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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

アメリカ南北戦争概略その29

帰ってきて、「エチオピアのライオン」をソロプレイしてみる。

満を持したイタリア軍の3対1の攻撃がエクスチェンジになって、エチオピアの一部族と引き換えに三個師団27戦力が吹っ飛び、気力が0に・・・

開始3ターンでくじけちゃいました。(笑)

さて、アメリカ南北戦争概略の29回目です。

1864年初頭。
ゲティスバーグ以後も、ミード以下の北軍ポトマック軍は、ワシントンとリッチモンドの間に立ちはだかるリーの南軍ノースヴァージニア軍を追尾しておりました。

しかし、戦術に長けたリーは、容易に北軍に捕捉される事はなく、それどころか逆襲に転じてミードの率いる軍勢に痛撃を与えていたりもしたのです。

小競り合いとにらみ合いが続きました。
両軍とも戦力の再編成に勤めていたのです。

戦線の停滞に不満を感じたリンカーンは、いよいよあの男に指揮を取らせるべきと考えました。
ユリシーズ・シンプソン・グラント。
西部方面の勇者に北軍の全戦力を預けることにしたのです。

1864年3月1日。
グラントに連邦軍(北軍)総司令官職への任命と、復活した中将の階級をリンカーンは与えます。
中将は、かつての初代大統領ジョージ・ワシントンのみに許されていた階級であり、グラントへの熱い期待が込められていると言っていいでしょう。

グラントはワシントンに到着するとすぐにリンカーンに面会し、彼の思うように軍を動かす許可を得ます。
まず彼が行なったのは、西部方面の全部隊の指揮権を親友であり有能な将であるウィリアム・テカムセ・シャーマンに渡すことでした。
これで西部方面も、グラントのやり方を知悉している指揮官が統括することで、南軍に対して戦略面で東部と一致した行動を取ることができます。

さらにグラントはポトマック軍司令官ミードと面会。
彼をそのままポトマック軍司令官として留め置くとともに、いかなる犠牲を払っても、リーの軍勢を撃滅するように命じます。

ポトマック軍にはこの時点で約十万の戦力が揃っていました。
さらにワシントンの近くにはバーンサイドの二万。
シェナンドー峡谷にジーゲルの八千。
ヨークタウン半島にバトラーの三万三千。
この大兵力を使って、北軍は攻勢をかけるのです。
いよいよ、グラントとリーの直接対決が迫りました。

1864年5月4日。
グラントの指揮の下、ポトマック軍は川を渡り、ウィルダネス(樹海)と呼ばれる密林地帯に入ります。
この時点で迎え撃つリーの手元には、約六万の兵力があるだけでした。

十万の敵に対して、約半数の味方をもって戦うには、敵の態勢が整っていないときに叩く必要があります。
密林の中の一本道を行軍する北軍は、まさにうってつけの状況と言っていいはずでした。

南軍はエーウェルの隊が左から、A・P・ヒルの隊が右から、街道を進む北軍をはさみ撃つといういい態勢で攻撃を開始します。
「ウィルダネス(樹海)の戦い」の始まりです。

当然に優位に立ったのは南軍でした。
街道を進んでいた北軍は、樹木の間から襲撃を受けて混乱します。
しかし、北軍には数の強みがありました。
初期の混乱を乗り越えさえしてしまえば、北軍の数の優位とそれにともなう火力の優勢がじょじょに南軍を圧倒し始めたのです。

南軍と北軍の銃火の応酬は、季節柄乾いていた下生えに火災を生じさせます。
小規模な火災があちこちで生じる中の混戦は、その日一日中続きました。

翌5月5日。
今度は北軍が反撃に出ます。
樹海という中では数の優位をそれほど生かすことはできませんでしたが、それでも北軍ハンコック隊は、南軍のA・P・ヒル隊を壊走寸前まで追い散らします。

窮地を救ったのは、あのロングストリート将軍でした。
再び東部に戻っていた彼の率いる軍勢が、A・P・ヒルを救ったのです。
ロングストリートの軍勢は北軍ハンコック隊を再び追い散らします。

余勢を駆って攻め寄せるロングストリート隊。
北軍を囲い込むべく機動する彼の前に、新手が現れました。
その新手の一斉射撃がロングストリートに命中します。

新手と思ったのは南軍部隊でした。
樹海の中の戦いのため、混乱して味方撃ちをしてしまったのです。
ちょうど一年前にジャクソン将軍が撃たれたのも、この樹海でした。

ロングストリートは負傷して後退します。
南軍の攻勢はここまででした。
北軍は後退したものの、全面壊走には至りませんでした。
南軍もとどまるのが精いっぱいで、北軍と再びにらみ合いの態勢に入ります。

「ウィルダネスの戦い」は南軍の勝利といわれます。
北軍は両翼を半包囲され、甚大な被害を出しました。
約一万八千近くもの死傷者を出したのです。
一方南軍の損害は約八千といわれ、数字的には南軍の圧勝でした。

しかし、グラントは“いかなる犠牲を払っても”リーの軍勢を撃滅するつもりでした。
彼は後退しての再編成を行なわず、すぐさま南方にあるスポットシルヴァニアコートハウスへ向かいます。

グラントの軍勢に南に回られたのでは、包囲下に陥ることになるリーとしては、このグラントの動きに対応せざるを得ませんでした。
彼はロングストリート隊の指揮をリチャード・アンダーソンに、急病で倒れてしまったA・P・ヒルの代わりにデュバル・アーリーに指揮を取らせ、北軍を追跡させました。

5月8日、間一髪の差でスポットシルヴァニアコートハウスに先に到着したのは南軍でした。
しかし、以後数日に渡って、このスポットシルヴァニアは流血の舞台となります。

結局、リーが必死に防戦に努め、そのために作られた塹壕陣地の強力さに舌を巻いたグラントが、5月20日に軍勢を移動させ始めるまで、スポットシルヴァニアでの戦いは続きました。

かつて、土木工事屋と陰口を叩かれたリーでしたが、1864年ともなると、双方防御陣地は念入りに作られるようになりました。
後の第一次世界大戦で見られるようになる塹壕戦は、すでにここアメリカでは始まっていたのです。
塹壕を突破する難しさを、グラントは思い知ったかもしれません。

北軍は約一万二千から一万五千の損害を出しました。
一方南軍は約一万といわれます。
双方の損害は大きいものでした。

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  1. 2007/05/01(火) 20:12:22|
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Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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