ヨークタウン半島でマクレランとジョンストンのにらみ合いが続いていた1862年3月から6月頃にかけて、北部シェナンドー峡谷において、南軍“ストーンウォール”ジャクソン将軍による北軍への撹乱攻撃が幾度となく行なわれていました。
これは直接的には北部からのワシントンへの圧力により北軍兵力を釘付けにし、間接的にはそれによってマクレランへの増援を阻止するという意味合いがありました。
全部隊を集めても一万六千ほどのジャクソン隊でしたが、彼はその少ない軍勢を縦横無尽に操り、まさにその名声を高めるに足る戦いを繰り広げます。
3月下旬。
まだマクレランがヨークタウン半島に上陸する以前から、ジャクソンは動き出していました。
まだ三千という少ない兵力しか持ち合わせていなかった彼でしたが、北軍ナサニエル・バンクス将軍の九千の部隊にカーンズタウンというところで戦闘を挑みます。
この戦闘はさすがにジャクソンの後退に終わりましたが、シェナンドー峡谷というワシントンに近い場所での戦闘でもあり、リンカーンは小ざかしいジャクソンにとどめを刺すべく軍勢を差し向けました。
向けられたのはマクドゥウェル将軍麾下の約四万。
そう、マクレランから取り上げた部隊です。
マクドゥウェルはシェナンドー峡谷にジャクソンを追い詰めるべく勇躍進発いたしました。
しかしジャクソンはまさに神出鬼没。
部隊を統合して一万六千ほどにしたジャクソンは、マクドゥウェルの本隊とは戦わず、各地に散った守備隊を潰しにかかります。
5月8日にはフリーモント率いる北軍一万五千をマクドゥウェル(こちらは地名)の戦いで撃破。
5月23日にはフロントロイヤルの守備隊を撃破。
5月25日にはバンクス隊九千をウィンチェスターで撃破。
バンクスははるかかなたのポトマック川まで逃げ回る始末でした。
6月8日、クロス・キーズでフリーモントの残存部隊と再度交戦、これを撃破。
6月9日にはマクドゥウェルが分派したシールズ隊一万をポートリパブリックで追い散らしました。
結局北軍はジャクソンを追い詰めるどころか、六万近くの軍勢がシェナンドー峡谷に釘付けになるという事態でした。
「徒歩の騎兵」とまで言われた神出鬼没のジャクソン隊は、結局北軍に捕捉されることなく、6月末にはシェナンドー峡谷を後にします。
リーの部隊と合流し、マクレランをリッチモンド近辺から追い出すためにです。
一万六千の軍勢が南軍には加わり、北軍は六万の軍勢をマクレランから引き離されてしまったのでした。
いよいよリッチモンド周辺での「七日戦争」が始まります。
(一週間戦争ではありませんよ(笑))
その11へ
- 2007/03/16(金) 21:29:37|
- アメリカ南北戦争概略
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0