第一次ブル・ランの戦いの敗戦は、リンカーンをがっかりとさせました。
北軍にとって幸いなことに、南軍は北軍の残した物資を略奪するのに夢中だったのと疲労が重なり、追撃が行なえなかったため、ワシントンが攻撃を受けることはありませんでした。
リンカーンはこの戦争が長期にわたることを受け入れ、兵役期限三年間の義勇兵を募集します。
そして、大部隊の指揮には向かないことを露呈してしまったマクドゥウェルを解任し、後任としてバージニア地域で小規模の作戦を部下のおかげで成功させ、マスコミによって一躍国民的英雄に祭り上げられていたジョージ・ブリントン・マクレランを司令官に任命します。
マクレランはクリミア戦争に観戦武官として従事したこともあり、北軍内での評価はすこぶる高い男でした。
彼は若いナポレオンとまでいわれ、彼自身もそのつもりであのナポレオンの有名な右手を軍服のボタンの間に差し入れるポーズを取って写真を写したことすらありました。
34歳で医者の息子で鉄道会社の社長でもあった彼は、まさに毛並みのよいお坊ちゃんであり、後々そのお坊ちゃまなところが彼の足を引っ張ることになります。
とは言うものの、組織運営の手腕にかけてはピカ一だった彼は、北軍を烏合の衆から戦闘集団へと変えて行くことになります。
ワシントン周辺の東部の北軍は一日八時間の猛訓練を課すマクレランにより、1861年一杯を訓練で過ごすことになりました。
南軍も急速に陣容を立て直した北軍を目の当たりにし、攻撃をしようにも手が出せない状態となってしまったために、お互いににらみ合いの状態が続くことになります。
一方東部とは離れたケンタッキー州では、北部連邦、南部諸州同盟双方がこの州を自軍陣営に引き入れようと工作をしていましたが、思うような成果を上げることはできませんでした。
ケンタッキー州は奴隷州ではありましたが、今回の戦争にはできれば中立でいたかったのです。
それというのも、ケンタッキー州はエイブラハム・リンカーンとジェファーソン・ディビスの両大統領の出身地であり、綿花栽培も工業も程よく発展していたために、どちらにもいい顔をしていたかったのです。
中にはケンタッキー出身のクリッテンデン上院議員の息子のように長男は北軍、次男は南軍に参加したなどということもあったようです。
最初に動いたのは南軍でした。
どっちつかずのケンタッキーに業を煮やした南部諸州同盟は、軍を送り込んでコロンバスというミシシッピ河畔の町を制圧します。
こうなると北軍も負けてはいられません。
ミシシッピ川の支流テネシー川の河畔の町パデューカを制圧。
両軍がケンタッキーでにらみ合う状況になります。
この時、パデューカの町を制圧した北軍の指揮官が、のちに北軍最高の名将と言われたユリシーズ・シンプソン・グラントでした。
オハイオ州生まれの彼は、正確にはハイラム・シンプソン・グラントという名前でした。
父親は事業を手広くやっていましたが、ハイラム少年を社交的で無いため事業には向かないと判断し、士官学校に放り込んでしまいます。
その時受け付けた事務員が彼の名前を“ユリシーズ”と間違え(どう間違ったらそうなるのかわかりませんが)、以後彼はユリシーズ・シンプソン・グラントと名乗るようになります。
士官学校卒業後に職を転々としたグラントでしたが、南北戦争が始まると志願して参加。
准将の階級をもらって、北軍の一部隊を率いていたのでした。
ケンタッキー方面の南軍の司令官はアルバート・シドニー・ジョンストン。
彼は北軍に対し防衛線を固める策にでます。
それに対し北軍はヘンリー・ウェージャー・ハレックとドン・カルロス・ビューウェルがそれぞれの部隊を率いてジョンストンと対峙します。
ハレックの指揮下にいたグラントは、テネシー川の河川交通を遮断しているヘンリー砦の攻略を命じられました。
年も明けて1862年2月。
グラントは河川砲艦隊を指揮する北部海軍のアンドルー・フット提督と共同でヘンリー砦に攻めかかります。
水陸両面からの攻撃に、ヘンリー砦は程なく陥落。
グラントは意気揚々と次のドネルソン砦に向かいます。
ジョンストンは援軍を送りますが、援軍としては少なすぎ、ドネルソン砦も陥落。
南軍に対して華々しい勝利を得たグラントは、北部の人々にとってはまるで救世主のようにもてはやされました。
面白くないのはハレックでした。
部下のグラントが手柄を独り占めしているように感じたのか、彼はグラントが酒癖が悪いことを理由に罷免。
しかし、このことはかえって彼自身を危うくさせかねないほどの話題となったために、グラントを呼び戻します。
結局グラントは彼の親友ウィリアム・テカムセ・シャーマンの部隊とともに、ピッツバーグ・ランディング付近のシャイローという場所で部隊の休養と再編成を行なうことになりました。
ジョンストン率いる南軍は、ヘンリー砦とドネルソン砦の陥落で大幅に後退しており、敵が近くに居るなどとは思いもしておりませんでした。
「平和な場所」という意味を持つシャイローという土地が、まさに戦場となる時が来るのです。
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- 2007/03/09(金) 21:15:14|
- アメリカ南北戦争概略
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