日本では勝海舟が咸臨丸でアメリカに渡り、桜田門外で大老井伊直弼が殺害された1860年。
アメリカではエイブラハム・リンカーンが大統領に選出されました。
(実際の就任は1861年3月)
この時点でアメリカは二つに分裂することになりました。
実質的な「アメリカ南北戦争」の始まりと言っていいかもしれません。
日本では、ほとんどの人がアメリカ南北戦争という言葉は知っていても、なぜ起こったのか、誰が活躍したのか、その後どうなったのかなどはほとんど知られていません。
非常にマイナーな戦争といえるでしょう。
そこで、ちょっとだけ南北戦争について書かせていただきますねー。
ヨーロッパでは1789年のフランス革命以来戦乱に明け暮れました。
自国への革命の波及を恐れた各国がフランスを潰そうと躍起になり、それに対抗してフランスではナポレオンが権力を握って行きます。
1815年のワーテルローの戦いにより、ナポレオン戦争は終わりを告げますが、その間アメリカではヨーロッパの戦争にともない工業製品が求められるようになったため、北部では人口の集中と工業化が発展します。
一方アメリカ南部ではヨーロッパの綿花需要の増大にともない、綿花産業が飛躍的に発展。
大農場主が奴隷を使って綿花を大量に栽培するようになりました。
北部は自国の工業の発展育成のためには、ヨーロッパ先進国の工業製品に高い関税をかけ、アメリカに入ってこないようにしようとします。
南部は逆に綿花輸出のためには関税を下げて安く輸出しようとします。
経済面の南北格差は、いつしか農場で働く黒人奴隷の問題にクローズアップされ、奴隷を必要としない北部と奴隷を財産として必要とする南部の対立はますます激しくなりました。
そんな中でのリンカーンの大統領選出は、彼が北部側の政策を推し進める人物だったこともあり、南部にとっては容認できるものではなかったのです。
今でも問題になるアメリカ憲法解釈問題なのですが、当時の南部は州は必要であれば連邦を離脱できると考えており、リンカーン選出によりサウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、フロリダ、ルイジアナ、テキサスの七州が連邦脱退を表明。
その後ノースカロライナ、ヴァージニア、アーカンソー、テネシーも相次いで離脱を表明します。
この十一州はあらためて南部諸州同盟を成立させ、初代大統領ジェファーソン・デイビスを選出して北部と決別した道を歩むことにしたのです。
北部は最初、いずれ南部は戻ってくるだろうから、しばらく放っておこうという雰囲気が支配的でした。
一方南部も北部はさほど抵抗せずに南部の独立を認めるだろうと思っていたのです。
そのお互いの思惑が一変するのはある事件がきっかけでした。
南部同盟軍による、サムター要塞への攻撃です。
2へ続く
- 2007/03/05(月) 21:45:03|
- アメリカ南北戦争概略
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