零式艦上戦闘機、99式艦上爆撃機、97式艦上攻撃機といえば、太平洋戦争緒戦の頃の日本海軍機動部隊の三種の神器と言ってもいいでしょう。
いずれ劣らぬ名機であり、南雲機動部隊の艦載機として、知名度も高い機体です。
ところで、この中の一つ、97式艦上攻撃機には二種類あったというのはご存知でしたでしょうか?
私はつい最近まで知らなかったです。orz
もともと97式艦上攻撃機は、十試艦上攻撃機として三菱と中島の二社に海軍が競争試作させた機体でした。
中島の最初の試作機は、全金属製の単葉機で、光エンジンに難があったものの、機体の完成度は高く、引き込み脚の優秀な機でした。
一方の三菱の試作機も、全金属製の単葉機でした。
脚は固定脚で多少の古臭さを感じさせるものの、エンジンは金星エンジンを搭載し、信頼性とパワーに優れるのが魅力でした。
中島は将来的に光エンジンから栄エンジンに換装してパワーアップすることを海軍に申し入れており、そうなった場合にはエンジンの優劣はほとんどなくなります。
結局優劣どちらともつかない海軍は、この二種の試作機を同時に採用しました。
中島製が97式艦上攻撃機一号。
三菱製が97式艦上攻撃機二号。
(まるで仮面ライダーのようなww)
のちに前述の通り栄エンジンに換装した中島製97式艦上攻撃機三号が真珠湾攻撃などに名を馳せることになります。
本来はどちらかに決めたかったところなのですが、折からの中国大陸での戦争に一機でも多くの攻撃機が必要だったため、両機種を採用することで短期間に多くの機体を調達できると考えたんですね。
中島製の97式艦上攻撃機は、無論その後の太平洋戦争の緒戦に活躍します。
一方その陰に隠れた形の三菱製97式艦上攻撃機ですが、陸上基地配備の攻撃機として評価はすこぶる高かったそうです。
エンジンの信頼性の高さなど、使い勝手がよかったんでしょうね。
旧式機と判断され、本土に返還するように命じても、現地部隊は手放さなかったそうです。
(もっとも、交換の機体が来るかどうかもわからないのに、手放すはずが無いですよね)
空母から飛び立った中島製97式艦上攻撃機が表の名機なら、地味ですが、陸上基地から黙々と作戦に従事した三菱製97式艦上攻撃機は裏の名機と言えるのかもしれませんね。
それではまた。
- 2007/02/15(木) 21:31:10|
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