1939年、ドイツはチェコスロバキア(当時)を併合しました。
この時、チェコスロバキアは中欧随一の工業力により有力な軽戦車を保持生産しておりました。
この軽戦車は直ちにドイツ軍に接収され、さらには継続生産が行なわれて、ドイツ軍の戦争前半における主力戦車となりました。
いわゆるLT-35及びLT-38、ドイツ軍名称35(t)戦車及び38(t)戦車です。
(t)とはチェコスロバキア製を示すものです。
このうち38(t)戦車はドイツの三号戦車にも匹敵する有力な戦車で、1940年のフランス侵攻戦においては数量的に言っても主力でした。
ところが、1941年ドイツがソ連に侵攻すると、38(t)戦車の命脈が尽きる事態となりました。
ソ連軍のT-34及びKV-1戦車の出現です。
当時ドイツ軍の主力は、ようやく数が揃った三号戦車でした。
グデーリアンが高機動力の主力戦車として期待していた三号戦車がようやく主力となったのです。
ですが、三号戦車もT-34には大きく水を開けられました。
直立した装甲板に50ミリ砲を搭載した三号戦車と、避弾径始を考慮した傾斜装甲に76ミリ砲を搭載したT-34では差がありすぎたのです。
三号戦車でさえ、そういう有様でしたから、直立装甲に37ミリ砲を搭載した38(t)戦車はまったく歯が立たないも同然でした。
愕然としたドイツ軍は、直ちに新型戦車の開発に着手します。
のちのパンターやティーガーです。
しかし、それら新型戦車が形になるのは早くても一年後とかでした。
その間も前線では悲痛な叫び声とともに、T-34に対抗できる兵器をよこせと言ってきます。
主力戦車も、主力対戦車砲(37ミリ及び50ミリ対戦車砲)もT-34には歯が立ちません。
唯一対抗できるのは88ミリ高射砲ぐらいでしたが、それとてどこにでもあるわけではありません。
そこでドイツ軍が目をつけたのが、自軍が痛い目にあっていたソ連軍の76ミリ野砲F-22でした。
ドイツ軍はこの砲を大量に捕獲し、改良を加えて自軍の対戦車砲76ミリPAK36(r)として使用したのです。
(当ブログ6/18記事参照)
そして、この76ミリ対戦車砲PAK36(r)に機動性を持たせるために、自走砲とする案が生まれます。
その車台として、すでに戦車として役に立たなくなってしまった38(t)が選ばれました。
そして、この76ミリ砲搭載自走砲はSdKfz139と名付けられ、1942年には戦場に姿を現します。
兵士たちからはマーダーⅢ(マーダーとは貂「てん」のこと)愛称を付けられたこの自走砲は、自走砲ゆえの脆弱さはありましたが、当時T-34に対抗できる数少ない対戦車兵器として活躍したのです。
チェコスロバキア製の車体にソ連製の主砲がドイツで組み合わされたこの自走砲は、ドイツ軍にとっての切り札的存在になったわけですね。
それではまた。
- 2006/12/30(土) 21:45:37|
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