ミッドウェー海戦で四隻もの大型空母を失った日本海軍は、戦力増強に努めました。
その結果、隻数だけはそれなりの陣容を揃えることができたのですが、商船改造の空母などもあり、単純に隻数だけでは戦力とはいえませんでした。
そんな中、日本機動部隊の最新鋭航空母艦として就役したのが、飛行甲板に装甲を張って防御力を高めた装甲空母「大鳳」でした。
軍艦にとって一番の脅威は魚雷と言ってもいいのですが、こと空母に限っては、その飛行甲板の脆弱さもあって、急降下爆撃もなかなか侮れない脅威でした。
何しろ、爆弾で穴が開いてしまった飛行甲板はもはやその用をなさなくなり、空母としての運用はその時点でできなくなってしまうのです。
事実ミッドウェー海戦では、日本の空母はすべて爆撃によって戦闘力を喪失してしまったのです。
英国は以前より空母の飛行甲板の脆弱性に気が付いており、飛行甲板に装甲を張ることで、その防御力を高めておりました。
しかしながら飛行甲板に装甲を張るということは、トップヘビーになるということであり、復元性の兼ね合いからも飛行甲板の下に設ける格納庫のスペースを犠牲にしなければならなくなったのです。
結果として、同時代の日米の空母よりも、英国の空母は半分ぐらいの搭載機しか搭載できなかったのです。
相手が空母を持たないドイツやイタリアであったため、英国空母の搭載機数の少なさはそれほど深刻な問題とはなりませんでしたが、それでも、インドミタブル級空母の後期型は装甲を減らして搭載機を増やしています。
軍縮条約により戦艦の数に制限のあった日本にとって、空母はその搭載機によってアメリカの戦力を剥ぎ取る重要な任務を持っていました。
そのために搭載機が少なくなるということはなかなか受け入れることのできないものでした。
しかし、その搭載機を後方から補充することができれば、搭載機の少なさはカバーできると日本海軍は考えます。
装甲空母大鳳はそういった思想の基に建造されました。
装甲版を張った大鳳は米軍の攻撃を受けてもそうそう戦闘力を失うことはありません。
そのため、思い切って敵艦隊に近づいて攻撃隊を発艦させることができます。
そして、大鳳の後方には飛行甲板が脆弱だが搭載機数の多い通常型の空母が控えていて、矢継ぎ早に大鳳へ搭載機を飛ばします。
大鳳はこれら後方の空母からの艦載機を着艦させ、前進基地として補給を行い発艦させるのです。
そうすることによって危険な海域には装甲を張った大鳳が出向き、敵の攻撃圏外には通常型空母を配置すると言う構想が出来上がりました。
しかし、ことはそうは上手く行きませんでした。
日本海軍の乾坤一擲の大反撃であるマリアナ沖海戦において、装甲空母大鳳は小沢中将の旗艦として出撃します。
付き従うは空母翔鶴、瑞鶴、隼鷹、飛鷹,、瑞鳳、龍鳳、千歳、千代田。
あとにも先にも九隻もの空母を揃えた海戦は他にはありません。
この九隻の空母から艦載機が飛び立っていき、米軍に立ち向かいますが、レーダーやVT信管を装備した米軍の防御力の前に艦載機群は壊滅。
一方、日本の対潜警戒網をかいくぐったアメリカの潜水艦は日本の空母艦隊に向けて魚雷を発射。
日本は完成したばかりの重装甲空母大鳳と真珠湾以来の歴戦の空母翔鶴を相次いで失います。
飛行甲板に張り巡らせた装甲は急降下爆撃にも充分耐えるものでしたが、一発の魚雷は大鳳の艦内にガソリンを気化させ、大爆発を起こしてしまいます。
結局手が付けられなくなった大鳳は沈没。
たった一発の魚雷によるあえない最後でした。
大鳳の沈没はある意味不沈をうたわれたタイタニックに似ているかもしれませんね。
設計者の想定外のことが起こったから沈没した・・・と言ってしまってもいいのでしょうか。
もしかしたら人間の傲慢さが沈没の原因なのかもしれませんね。
それではまた。
- 2006/01/22(日) 23:15:30|
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