1941年。
フッドを轟沈し、プリンス・オブ・ウェールズを撃破したビスマルクは、その戦闘により油の尾を引いていました。
空母アークロイヤルを発進したソードフィッシュ雷撃機は、猛烈な対空砲火をかいくぐり魚雷をビスマルクにぶつけました。
その魚雷により、舵を故障したビスマルクにはもはや逃げることはかないませんでした。
結局イギリス戦艦群によりめった打ちにされたビスマルクは、とどめの魚雷を食らい海底に没します。
ビスマルク沈没の報告を受けたヒトラーおじさんは衝撃を受け、以後水上戦闘艦は不要な危険を避ける旨通達が出されます。
完成したばかりのビスマルクの同型艦である戦艦「ティルピッツ」も、その命に従いノルウェーのフィヨルドに身を隠します。
制空権のない戦艦には活躍の場所などありません。
ティルピッツはフィヨルドの奥地に居座ったまま、無為に時を過ごすことになりました。
また、ドイツ海軍の不手際により、巡洋艦群で援ソ船団を攻撃したにもかかわらず、吹雪で船団を見つけられませんでしたなどと言って、船団に対しなすところがなかった巡洋艦隊に対しヒトラーおじさんは激怒します。
結果、ヒトラーは自分が不要な危険は冒すなと言ったにもかかわらず、危険のみを言い立てて船団を攻撃しなかった水上艦隊は必要ないと言い放ち、戦艦や巡洋艦はスクラップにしてしまえと極端なことを言い始めます。
だいたいドイツ海軍は1939年の第二次世界大戦勃発時には戦争準備はまったく整っていなかったのです。
チェコを併合したり、ラインラントに進駐したり、風雲急を告げるヨーロッパ事情に危機感を感じたドイツ海軍は、ヒトラーに開戦は時期尚早だと伝えます。
しかし、ヒトラーは堂々と戦争は海軍が準備の整う1944年までは始まらないと言い放ちました。
そのためドイツ海軍は準備不足のまま戦争に突入し、潜水艦や水上艦による通商破壊しかできない状態だったのです。
結局水上艦隊の責任を取る形でレーダー提督は辞任。
水上艦隊はスクラップこそまぬがれたものの、出撃の命令は出なくなりました。
一方イギリスはそういった事情は薄々知っていたものの、いつ通商破壊にでてくるかわからない大型戦艦をそのまま放置することはできませんでした。
フィヨルドの奥深くでただ浮いていたティルピッツも当然その目標になり、何度となく空襲を受けます。
そのたびに損害を受けたティルピッツはもはや外洋で暴れまわる希望を失ってしまったものの、ドイツ軍艦特有の強固な防御力により沈みはしませんでした。
浮いている限り枕を高くして眠れないイギリスは、ついに四発重爆による五トン爆弾をぶつけます。
その誕生以来華々しい活躍の場所をついに得られなかったティルピッツは、ドイツ海軍の終焉とともにその身をフィヨルドの海底に横たえました。
大和のような華々しい最後を飾ることはできなかったティルピッツは、ある意味ヒトラーに翻弄されたドイツ海軍そのものだったかもしれませんね。
それではまた。
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- 2006/01/21(土) 22:48:51|
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