表題に対しては異論もあることかと思いますが、両大戦中に世界でそう認められた軍艦が、イギリス海軍の巡洋戦艦「フッド」でした。
巡洋戦艦という艦種は速度こそ防御力であると言う考えの下に建造された大型艦で、装甲は同時代の戦艦に比して薄いものの、速力は戦艦を上回り、巡洋艦に匹敵するものでした。
第一次世界大戦に入るまでは、この巡洋戦艦は各国でもてはやされ、日本でも金剛級などの巡洋戦艦が作られます。
ところが思わぬことが起こります。
第一次世界大戦のジュトランド沖海戦です。
当時の戦艦は水平に飛んでくる敵弾に対して舷側の装甲を強化して対抗するのが普通でした。
ところが、各戦艦の主砲の飛距離が格段に進歩するにしたがって、遠距離に撃ち込むために仰角をつけて撃ち出された砲弾は、着弾時には水平ではなく垂直に近い角度で上空から上甲板に落ちてくることになったのです。
ジュトランド沖海戦で、相互に撃ち合ったドイツとイギリスの戦艦及び巡洋戦艦群は、その落下してくる砲弾に翻弄され、大損害を出してしまいます。
特に装甲が元から薄かった巡洋戦艦はイギリスが三隻、ドイツも一隻が撃沈されると言う大損害でした。
1915年計画で建造された巡洋戦艦であるフッドはその完成は第一次大戦後の1920年に完成しますが、当然その戦訓を受けそれなりに強化をされた上で就役をすることになりました。
しかし、その強化が不十分であったことはのちに彼女に悲劇をもたらします。
ジュトランド沖海戦の戦訓を受けて装甲を強化されたフッドは満載排水量4万トンを超え、全長も速力発揮をしやすいように細長く、260メートルを超えていました。
当時世界最大の軍艦だったのです。
前後に38センチ連装主砲塔二基ずつ備え、中央部に艦橋構造物と煙突を備えたピラミッド型の艦影は均整が取れ、その美しさは表題のごとく形容されました。
巡洋戦艦フッドはイギリス海軍の象徴として、両大戦間のイギリス国民にとってはもっとも親しまれた軍艦だったのです。
それから20年。
1940年にドイツで戦艦「ビスマルク」が就役します。
全長こそフッドを下回るものの、排水量では上回る(資料による)ビスマルクは、世界最大の戦艦の称号をフッドから奪い去ります。
1941年、第二次世界大戦中の大西洋で、通商破壊活動を開始するべくドイツ戦艦ビスマルクは出港しました。
イギリス海軍は総力を挙げてこのビスマルクを撃沈するべく艦艇を出撃させます。
フッドもその任に当たるべく、完成したばかりの最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」とともに出撃します。
実はこの時、完成したばかりのプリンス・オブ・ウェールズはまだ慣熟訓練も途中で、しかも各種装備の調整に作業員までが乗り組んでいる状態であり、戦力としてははなはだ心もとないものでした。
フッド艦隊はデンマーク海峡においてビスマルクを発見。
双方が砲撃を開始します。
しかし、光学照準装備に優れたドイツ軍艦であるビスマルクの射撃は正確で、フッドは瞬時に命中弾を受けてしまいます。
垂直に落ちてきたビスマルクの砲弾はフッドの薄い上甲板装甲を破り、砲弾はあろうことか弾火薬庫に直撃しました。
大爆発を起こしたフッドは真っ二つに割れて轟沈。
その間5分と無かったと言います。
一方のプリンス・オブ・ウェールズも直撃弾を受けて破損。
戦場を高速離脱します。
もう一方の当事者であるドイツ海軍も勝利したとはいえ、現場にとどまるのは得策ではなく高速で避退します。
結局、救助の艦艇がフッド轟沈の現場に到着した時、海面から救助できたのはわずかに三名と言うことでした。
両大戦の間イギリス国民に親しまれてきたフッドはこうして一瞬のうちに消え去りました。
それはあたかも第二次世界大戦を機に転落して行くイギリスを表わすものだったかもしれませんね。
それではまた。
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- 2006/01/20(金) 21:53:06|
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