先日ある方から、ブログのミリタリーネタでリクエストをいただきました。
正直に申しまして、すごく嬉しかったんです。
ああ、読んでくれて、しかも楽しんでいただけているんだなと言うのが、文面からも伺えまして、本当にすごく嬉しかったんですね。
というわけで、早速リクエストに答えちゃいます。
昨日のブログにも登場しましたが、世界初の単一巨砲搭載艦「ドレッドノート」と言う戦艦がイギリスにおいて建造されました。
出来上がったのは1906年。
日露戦争終結の翌年でした。
今までの戦艦は巨大な主砲と発射速度の速い副砲を備えておりました。
日清戦争などでは、この副砲が、発射速度の遅い主砲よりも活躍し、妙なことに戦艦は主砲よりも副砲の攻撃力を重視するような風潮さえ生まれました。
その結果、主砲よりは砲撃力は劣るものの、副砲より強力で発射速度もそれなりの中間砲という存在がでてくることになります。
しかし、これは見た目上は巨大な主砲、速射が可能な中間砲、小型艦を打ち払う副砲といった感じでバランスが取れているように見えましたが、実は砲撃力がばらばらで制御に非常な困難をともなうことになってしまったのです。
そこでイギリスのフィッシャー提督は単一巨砲を搭載し、その砲撃力を一元化して敵艦に投射するという考えの下、このドレッドノートの建造にGOサインを出します。
このドレッドノートは、ある意味実験試作艦であり、同型艦も無いまさに一発勝負の艦でした。
その結果が良好であり、まさに革新的な新戦艦の時代を開いたために、以後、同じ思想の元で建造された単一巨砲搭載新戦艦を弩級戦艦(ドレッドノート級という意味)と呼ぶようになったのです。
しかし、このドレッドノートはあまりにも革新的な戦艦であったため、その取り扱いに習熟した水兵がおらず、特に初めて戦艦に搭載された蒸気タービンは扱いが難しく、計画値である21ノットをどうにか出せる程度でした。
本艦は新時代の戦艦の代表として有名でしたが、各国で弩級戦艦が建造されるようになると、あっという間に陳腐化してしまい、わずか1914年に始まった第一次世界大戦ではもう二線級の戦艦に成り下がってしまいました。
結局1920年には除籍。
戦艦としての寿命はわずか14年という短いものでした。
しかしながら、彼女の果たした戦艦の革新という目的は達せられ、以後世界各国は大和に至るまで弩級戦艦を作り続けることになるのです。
わずか14年という短い生涯でしたが、彼女の名は戦艦という艦種がなくなってしまった今日でも語り継がれており、これからも当分はその名が語り継がれるでしょうね。
それではまた。
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- 2006/01/19(木) 23:24:33|
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