はうー。
今日も一日SS書きを楽しませていただきました。
まあ、まったくそれ以外のことをしていないわけではないですが、ほとんどの時間を物書きに過ごせるのは気分がいいですね。
それでは「ホーリードール」六回目を投下いたしますねー。
6、
ガタガタと揺れるバスの車内。
それほど混んでいなかったので雪菜は席に着いて本を読んでいた。
雪菜は本が好きだった。
もちろん自分のお小遣いではたくさん本を買うことなんてできはしない。
だから雪菜は図書館へ通っていた。
図書館にはたくさんの本がある。
それこそ雪菜の一生をかけても読みきれないほどの本がある。
その中から面白そうな本を探し出すのは、宝の山の中から気に入った宝石を探し出すような楽しさがあるのだ。
今日は何冊借りようかな・・・
雪菜はもうすぐ着くであろう図書館に対して思いを馳せていた。
軋むタイヤの音。
慣性の法則によって前方へ放り投げられる躰。
沸きあがる悲鳴。
「あっ・・・」
雪菜の手から本が離れて飛んでいく。
そればかりか小さな雪菜の躰までが放り出されそうになってしまう。
バスの急ブレーキで車内は混乱に陥ってしまう。
雪菜は何とか椅子にしがみついて放り出されるのを防いだが、立っていた乗客は何人かが前の方へ転んでしまっていた。
「な、何が・・・」
雪菜は飛んで行ってしまった本を探そうと、バスが止まったのを確認して立ち上がる。
「え?」
雪菜は目を疑った。
メリメリと音を立てバスの前面外板がめくれ上がっていくのだ。
「キャーッ」
「ウワーッ」
人々の悲鳴が上がる。
バスの外板を剥ぎ取って現れたのは、ゴリラのような毛むくじゃらの生き物だったのだ。
それはその巨大な腕で運転席で恐れおののいている運転手の首を掴み上げると、一瞬にしてねじ切ってしまう。
血が飛び散り、バスの前方にいた人たちの顔や服にピシャピシャとかかる。
「うわー」
「いやー」
人々は先を争って逃げようとしたものの、前側の扉のところにはそいつがいて近くの人間を手当たり次第に襲い始めている。
中央の扉は人々が殺到し、押しつぶされる者がいる状態で非常コックを操作する者がおらずに開ける事ができない。
雪菜は絶望的な思いに包まれた。
すでに本を取りに行くことも忘れ、そいつが人々を握りつぶしたり、殴り殺して行くのをただ見ているだけだった。
それはやがて彼女のところまでたどり着き、彼女をベシャッと血だまりに変えてしまうだろう。
雪菜はそれをただなすすべもなく見ているしかできなかった。
窓ガラスが割れ、血だらけになった男が何とかバスの外へ転げ出る。
バスの周りでは前面部を破壊されたバスを遠巻きにして人々がただ喚き散らし、泣き騒いでいるだけだった。
バスのタイヤの下にはぽたぽたと赤い液体が垂れており、それは最初は滴るように、それからやがて流れるようにその範囲を広げて行っていた。
その血だまりはバスの周りだけではなく、そいつが通ってきたであろうところには点々と血の跡が残っていた。
綺麗な衣装を着たマネキンを飾ってあるショーウィンドウにはべったりと真っ赤な液体がかかっていたり、壁から張り出しているネオンサインにはちぎれた手や足が引っかかり、ショートを起こして火花を散らしていたりしていた。
赤色回転灯のちかちかした光と、サイレンの音が悲鳴と交錯し、そこは阿鼻叫喚の渦となっていた。
「うふふふ・・・いつ聞いてもいい音だわ・・・」
涌坂デザイン事務所の窓から、その様子をデスルリカは指先を舐めながらうっとりとした表情で覗いていた。
カーテンの陰から見えるその光景は夕暮れから闇に至る逢魔が刻と呼ばれる時間帯にこそ相応しい。
「ふふふ・・・あの男も役に立てて本望でしょうね」
カーテンを戻して所長席に座るデスルリカ。
今、外で起こっている素敵な出来事はこの席に座っていた男によるものなのだ。
人間として有能だったか無能だったかなどどうでもいい。
今はビーストとして充分に働いてくれている。
露払いとしては充分だろう。
「あはあ・・・デスルリカ様ぁ。ご覧下さい・・・」
欲望に目をぎらぎらさせた女がやってくる。
昨日まで、いいえ、今朝までとは大違い。
貞淑を絵に描いたようにピシッとしたスーツを着こなしていた彼女は、今はブラウスの胸をはだけて黒いブラジャーを見せ付けている。
「うふふふ・・・見せたいのはその胸かしら?」
デスルリカは妖しい笑みを浮かべて目の前の女を見上げた。
「はあん・・・この胸も見ていただけるんですかぁ? 私ったらこんな素敵な胸を今まで見せないようにしていたなんて・・・バカだったんですわぁ」
デザイン画を机の上に置き、両手で胸を揉みしだくように見せ付ける。
「ふふふ・・・そのブラジャーはどうしたのかしら? 朝はおとなしいベージュじゃなかったかしらね」
「ああん・・・買ってきましたぁ。あんなベージュのブラジャーなんてバカらしくて・・・」
女は舌なめずりをしながら胸を揉んでいる。
他の女たちも一様に欲望に目をぎらつかせてその痴態を見つめていた。
「うふふ・・・あなたの夫はどう思うのかしらね」
デスルリカは意地悪く尋ねる。
「はあん・・・一人の男にこの身を与えるなんておろかですわ。夫など必要ありません。今晩からは欲望の赴くままに男を漁りまくりますわ」
「うふふ・・・それでいいのよ。それでこそお前たちに相応しい生き方だわ」
そう言ってデスルリカは机の上に置かれたデザイン画に目を落とす。
まるで女性の胸と股間のみを強調するような下着。
淫らな心でのみ身に付けられるようないやらしいデザインだ。
「いかがですか? これを身につけた女はたちまちメスの本性をむき出しにして男を襲いますわ」
「うふふふ・・・いいデザインね。早速デザインをまとめなさい」
「かしこまりました、デスルリカ様」
女は一礼をして机に戻って行く。
やがて彼女はデザイン画を前にして股間に手を伸ばし、胸と股間を激しくいじり始めてしまった。
「うふふ・・・素直になったこと」
その様子を見てデスルリカは満足した。
「何でこんなところにあんなのがいるんだ?」
「知りませんよ! 動物園から逃げ出したって話も聞きませんし」
「猟友会はまだか? 住民の避難は?」
「今取り掛かっています!」
数台のパトカーがバスを遠巻きにして取り囲む。
数人の警官たちが腰の拳銃を確認して恐る恐るバスに近づく。
バスの中からは相変わらず悲鳴が聞こえてくる。
外から中央部の扉を開けようとしたが、人が集中したためか、それともゆがんでしまったのか開こうとはしない。
反対側後部の非常口はようやく警官隊の手で開かれるが、そこから脱出できたのはわずか数人に過ぎなかった。
数人の警官が拳銃を片手に非常口から入り込む。
そこは肉片と血で彩られた悪夢の空間だった。
そして、今そいつは一人の少女を片手にぶら下げていた。
サイレンの音が近づいてきたとき、雪菜はバスの座席の下にもぐりこんだ。
狭い空間だったし、完全に隠れることなどできはしなかったが、それでも雪菜はもぐりこんだ。
悲鳴が次々と上がり、そのたびにぐしゃっとかぼきっとか言う音が聞こえてくる。
何かしら・・・これ・・・
雪菜は自分の手のひらやひざに付いた赤い液体を見つめる。
それは座席の下にとろとろと流れてきたが、雪菜はそれが何であるかわからなかった。
いや、わかりたくなかったのだ。
私・・・死ぬ・・・のか・・・な・・・
いやだ・・・
いやだ・・・
死にたくないよぉ・・・
死ぬのはいやぁ・・・
ごめんなさいごめんなさい・・・
もう嫌いなものを残したりしません・・・
ほうれん草だってちゃんと食べます・・・
お使いに行った時にお釣りをごまかしたりもしません・・・
決められた以上のお菓子を食べたりもしません・・・
ごめんなさいごめんなさい・・・
お母さんの言うこともちゃんと聞きます・・・
お手伝いだってちゃんとします・・・
宿題だってちゃんとやります・・・
明日美ちゃんのことをちょっぴりうらやましく思ったことも謝ります・・・
ごめんなさいごめんなさい・・・
だから・・・
だから・・・
誰か助けて・・・
だが、その願いは届かなかった。
「そ、その娘を放せ」
恐る恐る拳銃を構える警官たち。
言葉など通じるはずも無く思えるが、むやみやたらに撃つわけにも行かないのだ。
怪物は少女の足を持ってぶら下げており、気を失っているであろう少女を危険に晒すわけには行かない。
『ぐるる・・・』
怪物がうなり声を上げる。
薄く闇が広がっていて、バスの中は光が差し込まなくなってきている。
夕日はビルの陰に入り込み、あたりはすでに夜の気配が漂っている。
警官たちの額に汗が浮かぶ。
『ぐああああっ』
怪物は少女をバスの床に叩きつけ警官たちに飛び掛る。
「うわぁぁぁ」
拳銃の発砲音が響き渡り、それに劣らぬ悲鳴が響き渡る。
「くすくす・・・ぶざまなものだね」
バスを見下ろせるビルの屋上。
そこに二人の少女が立っていた。
一人は青い躰にぴったりしてミニスカートが付いている衣装を身にまとい、それと同色のブーツと手袋を嵌めている。
額には青い宝石の嵌まったサークレットを嵌めていて、その目はどこと無く虚ろだった。
もう一人はまったく形状が同じミニスカート型のコスチュームとブーツと手袋を身につけているが、その色は赤く、同じ赤い宝石の嵌まったサークレットが額を飾っていた。
「仕方ないですわ。所詮人間ではビーストには歯が立ちませんもの」
虚ろな目を地上に向ける赤の少女。
まだ幼さが残るその顔には表情と呼べるものが浮かんでいない。
「そうだね。それじゃ私たちが撃ち払わなきゃ・・・」
同じように無表情のまま青の少女は言う。
「ええ・・・ゼーラ様の命ずるままに・・・」
赤の少女はすっと両手を突き出して手のひらを地上へ向ける。
「いつでもいいですわ。ホーリードールサキ」
「ようし、行くよ! ホーリードールアスミ」
そう言ってホーリードールサキはビルの屋上から飛び降りた。
同時にホーリードールアスミの手のひらから真っ赤な光の玉が放たれる。
光の玉はまっすぐにバスを直撃した。
バスの天井にすっぽりと丸い穴が穿たれる。
直径一メートルほどの丸い穴。
そしてそのまま中で光ははじけるように広がった。
窓ガラスが飛び散り、周囲の警官たちが驚いて後ずさる。
ビーストは目が眩んだようにうめき声を上げながらバスの壁をぶち破って外に出てくる。
目を押さえながら左手で周囲をなぎ払うビースト。
『ウゴォォォォォ』
バスを囲んでいたパトカーの一台のボンネットが一撃を受けてべこりとひしゃげる。
「撃て、撃て!」
警官が数人発砲するが、拳銃弾はビーストの表面にめり込んだだけで、ほとんどダメージを与えはしない。
『ウゴォォォォォ』
眩んでいた目がそろそろ元に戻りつつあるらしく、ビーストは目を押さえていた手を離し、両手で警官たちに襲い掛かる。
「うわぁ」
警官たちの悲鳴が上がった。
「う・・・」
背骨に激痛が走る。
「が・・・う・・・」
あまりの痛さに声も出ない。
雪菜は歯を食いしばって目を開けた。
「!」
そこにそれは立っていた。
青いコスチュームに身を包み、右手には青く輝く細身の剣を持っている。
無表情で間合いを取り、警官たちに怪物の注意が向けられていくのを待っている少女。
「さ・・・紗希ちゃん・・・」
雪菜はその少女に見覚えがあった。
いつも元気で明るく、笑顔を浮かべると周りの人々も朗らかになるような陽だまりのような少女。
その彼女が今はまったく表情を浮かべてはいない。
いや、それよりも着ている物だって異質な感じだし、なぜここに彼女がいるのかもわからない。
もしかしたら私は死んじゃったのかも・・・
死んじゃって夢を見ているのかも・・・
「う・・・ぐ・・・」
身をよじろうとすると激痛が走る。
思わず雪菜はうめき声を上げてしまった。
「なんだ・・・生き残りがいたんだ」
ぞっとするような冷たい声。
雪菜が知っている紗希からは絶対に発しないような冷たい声。
「さ・・・きちゃ・・・ん・・・なの?」
「もう死にそうだね。闇に穢された人間なんて救うに値しないわ」
雪菜の心に突き刺さるような冷たい言葉。
「どうしたの? ホーリードールサキ」
トンと言う音がしてバスの天井に何かが降り立つ。
「生き残りがいるの。もう死ぬみたいだから放っといても平気」
「そう・・・闇に汚された人間は浄化しなければなりませんものね」
すとんと降りてきたのは明日美だった。
彼女もまた赤い衣装を身につけて冷たく無表情で怪物をにらみつける。
「あ・・・すみ・・・ちゃん・・・」
激痛に耐えながら雪菜は手を伸ばす。
「死に掛けなのは雪菜ちゃんだったんだ」
「うん」
まるでテレビの向こうでまるっきり関係の無い人が死んでいくのを見ているみたいな表情。
いや、いつもの紗希ちゃんや明日美ちゃんならそれだって多少は表情を曇らせる。
「あ・・・私・・・死ぬの?」
「そうじゃない?」
あっさりと答えるホーリードールサキ。
その顔はビーストの方を向いたままだ。
「そろそろ黙ってくださいません。ビーストの周囲から人間がいなくなってきましたわ」
ホーリードールアスミが雪菜をにらみつける。
まるで死にかけの雪菜にはまったく用がないのだというように。
「邪魔なんだよね。人間たちってさ。歯が立たないのに抵抗なんかして」
「無意味な生き物たちですからそのくらいのこともわからないのですわ。とにかくビーストを浄化しましょう」
そう言って二人の少女はその場を後にした。
「あ・・・ああ・・・あ・・・」
雪菜の目から涙がこぼれた。
警官たちを蹴散らしたビーストの周囲に赤と青の二人の少女が現れる。
ビーストは一瞬驚いたものの、即座に敵だと判断し襲い掛かって行く。
二人の少女は無表情にビーストの周囲を動いていき、赤の少女の援護の下で青の少女が斬りつけて行く。
ビーストは果敢に戦いを挑むが、二人の少女にただ翻弄されていくのだった。
やがてビーストはその場を離脱し、自己の生命の保存を目指す。
だが、二人の少女はそれを許さない。
通りを暴れながら逃げ惑うビーストを二人は容赦なく追い詰めていった。
「光の手駒か・・・」
黒くぬめるように光る唇を噛み締める。
ビーストが追い詰められ、一つのビルの地下の駐車場に逃げ込んで行くのを見下ろしていた彼女は、ビーストの命がほとんど尽きたことを感じていた。
「デスルリカ様にご報告をしなければ・・・」
この世界に光の手駒が現れるのは、ある程度は予想できたことだったが、予想できたからと言って面白い出来事ではない。
レディアルファはその場を後にしてデスルリカの元へ戻ろうとした。
「?」
何かを感じてレディアルファは振り返る。
絶望と憎しみと生存への飽くなき欲求。
それはちょっと後押しをしてあげれば素敵な闇の心に変わるだろう。
「どこから?」
レディアルファは地上を見下ろす。
「あそこ?」
破壊されたバスの残骸が目に入る。
レディアルファはすっと闇に姿を溶け込ませた。
「はあ・・・はあ・・・」
意識が霞んでくる。
床に叩きつけられた時に躰の中がぐちゃぐちゃになっちゃったのかもしれない。
誰か・・・
誰か助けて・・・
雪菜は最後の力を振り絞って叫び声を上げようとした。
その時、床に黒い穴が現れる。
「え?」
雪菜は驚いた。
そしてそこから美しく妖艶な女性が一人現れたのだ。
それは異質な光景だった。
血や肉片だらけのバスの車内に全身を黒いぴったりした衣装で身を包んだ女性が床から現れる。
普段読んでいるファンタジー小説ですら、そんなことはそうは起こらないだろう。
「あな・・・た・・・は・・・?」
苦しい息の下で雪菜は尋ねる。
「あら、可愛い女の子じゃない」
黒く塗られた唇がそうつぶやく。
「私を・・・死の世界へ・・・連れて行く・・・の・・・ですか?」
「そうね・・・あなたは生きていたいのかしら?」
くすりと薄く笑みを浮かべるレディアルファ。
「生き・・・たい・・・生きて・・・いたい・・・よ・・・」
雪菜の口から血が逆流する。
「ガホッ・・・ゲホゲホ・・・」
「ふふ・・・あなた、誰かを憎いと思う?」
苦しむ雪菜を楽しそうに見下ろしているレディアルファ。
「えっ?」
「闇の女に生まれ変わって復讐したいほど憎い相手がいるかしら?」
「そ・・・そんなの・・・いませ・・・ん」
苦しい息の中で雪菜は答えた。
「うふふ・・・まだ正直になれないようね。でもいいわ。デスルリカ様もきっとあなたには興味をお持ちになると思うし。いいお土産ができそう」
レディアルファは微笑むと雪菜のいる床を闇で満たす。
「えっ? あっ・・・」
たちまちのうちに雪菜とレディアルファは闇の中に飲み込まれていった。
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- 2006/01/17(火) 20:38:54|
- ホーリードール
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