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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

木村長門守重成

表題の武将をご存知の方はかなりのマニアな方か、かなりお年を召した方かもしれません。
徳川家康でも、織田信長でもなく、この木村長門守重成という人物に、私は心惹かれるものを感じるんですね。

徳川家康が江戸に幕府を開き、すぐさま息子秀忠に将軍職を譲ったことで、大坂の豊臣秀頼が将軍に就けるかもしれないという淀君の淡い期待は打ち砕かれました。

強硬派の秀忠と違い、徳川家康は大坂城と秀頼が切り離され、地方の一大名として存続するのであれば認めるつもりだったといいます。
しかし、秀頼は家康の思惑を理解していたものの、大坂城を出れば殺されると信じていた(あながち妄想とはいえない)淀君は、大坂城退去を頑として拒みます。

結局江戸と大坂は不穏な状況となり、関が原の戦いで土地を失ったり主家を失った浪人たちが、一花咲かせるべく大坂に参集します。

その中に、若干十九歳(二十二歳説も有り)の若武者が登場いたします。

木村長門守重成
父は秀吉の近習であり、淀君のおそばに仕えていたこともあるため、秀頼の乳兄弟として育ったそうです。
秀頼にとっては一番の心許せる友人であり、眉目秀麗な重成は、その折り目正しさもあって大坂城の浪人衆からも一目置かれている存在でした。

もちろん関が原以後十年以上も合戦がなかったのですから、重成はまだ戦に出たことは有りません。
歴戦の勇者たる後藤又兵衛基次にしてみればはなたれ小僧も同然だったでしょう。
重成は大坂冬の陣の前日、わざわざ後藤又兵衛のもとを訪れ、こう言ったそうです。
「後藤殿、私はまだ若輩ゆえいまだ戦場での経験が有りません。どうか明日はよろしくお指図をお願いいたします」
この言葉に又兵衛は感激し、以後重成をまるで息子のようにして、彼のサポートをし続けてくれたのです。

戦場での重成はその指揮ぶりに時々若さを覗かせたものの、勇猛果敢な戦いぶりはかの後藤又兵衛も感心するほどだったそうです。

しかし、いったんの和睦後、外堀を埋め尽くされた裸の大坂城で大坂夏の陣を迎えることになり、木村長門守重成も死を覚悟するようになります。

食事の量がみるみる減ってしまった重成を心配した妻が、なぜ食べないのかを尋ねたところ、斬られたところから食べたものがはみ出すのはいかにも見苦しいからだと答えたといわれます。
戦場に出る前日には湯に入り、髪の毛を洗って香を焚き染めて兜をかぶったそうです。

大坂夏の陣では大坂方は苦戦を強いられますが、木村隊は見事藤堂隊を蹴散らします。
しかしやがて衆寡敵せず重成は討ち死に。
その首は家康の元へ運ばれますが、家康がよく見ようと近づいた時に香の香りが漂い、家康は若輩者だが死に方を知っている男だと言って涙を流したといわれます。

後世の創作もたぶんにありましょうが、一人の若武者の見事さが個人的にはすごく気に入っています。
  1. 2005/11/24(木) 22:25:44|
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Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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