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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

闇に咲く美しき毒花 (3)

ブログ16周年記念SS、「闇に咲く美しき毒花」も今日が三回目。
最終回となります。

闇の毒花ビアンドラゴラとなってしまった梓紗。
彼女の次の行動は?

お楽しみいただければ幸いです。


                   ******

 「結局何も手掛かりはつかめずか……」
 夜が明け、ギラットレンジャーの五人は本部に戻ってくる。
 「ああ……あのあとは何も起きなかったようだしな」
 仁の言葉に道太がうなずく。
 一晩中警戒を続けたものの、街は静かなままだったのだ。
 「今回の敵は何を考えているのかしら……」
 「人を襲って白骨化するなんて、恐ろしいやつには違いないんですが、どうも目的が読めませんね」
 涼美も晃も首をかしげる。
 今までのただ暴れる魔獣とは全く違うようなのだ。
 いったい何が目的なのか……

 ふふふ……
 思わず笑いがこみあげてくる梓紗。
 この連中は目の前にヤミンゲルの魔獣人がいるというのに、全く気が付いていないのだ。
 擬態に簡単に騙されてくれている。
 これなら一人ずつおびき出して襲えば、案外簡単に始末できるかもしれない。
 でもそれではつまらない。
 ただこいつらを始末するだけでは飽き足らない。
 こいつらには絶望を味わわせたいのだ。
 皇帝陛下の邪魔をする愚か者たち。
 一緒の空気を吸うことすら忌々しく感じてしまう。

 「梓紗? どうかした?」
 「えっ?」
 涼美に声をかけられ驚く梓紗。
 「な、何か?」
 「ううん、何も言わずに私たちを見ているようだったから」
 「あ、いえ、別に……みんなと同じく、今度の敵のことを」
 首を振ってごまかす梓紗。
 いけないいけない。
 今はまだ疑念を持たれるのは得策ではないだろう。
 できれば……もう一輪咲かせたい……

 「みんなご苦労だった。残念ながらいまだ敵の正体はよくわからん。だが、今晩にもまた動きがあるかもしれん。昼間の警戒は警察などに頼むとして、諸君は夜に備えて休息を取ってくれたまえ」
 みんなを前にして虹倉司令が指示を下す。
 「「「了解」」」
 五人は一斉に敬礼し、本部を後にした。

 「梓紗はどうするの?」
 「えっ?」
 詰所に戻った梓紗に涼美が声をかけてくる。
 「このあと夜までどうする? 仮眠室で仮眠?」
 「ううん、ちょっと行きたいところがあるから外出するわ。夜には戻ってくる」
 首を振る梓紗。
 「そっか、ところで……香水、変えた?」
 「えっ?」
 「いつもとは違う香りがするのよね。なんていうか甘いいい香り。もしよかったら、使っている香水を教えてくれないかなと」
 ウインクをしながら小声でそっと言う涼美。
 梓紗は思わず苦笑してしまう。
 「ごめん。いただきものだからちょっとよくわからないのよ。そんなにいい香り?」
 「うん。甘くて惹かれる感じの香りね」
 「そう……」
 いけない……
 私の花の香りが擬態しても漏れているんだわ……
 注意しないと気付かれてしまうかも……

 「じゃあ、気を付けてね」
 「うん、行ってくるね」
 梓紗は涼美に手を振って足早に詰所を出る。
 まさか香りの違いに気付かれるなんてね……
 彼女はどうしようかしら……
 どうするにせよ、早めに手を打った方が良さそうね……
 うふふふふ……

                   ******

 「お待たせー。遅くなってごめんね」
 ドアを開けて助手席に乗り込んでくる髪の長い女性。
 梓紗の先輩である羽賀谷早奈恵だ。
 今日はゆったりとしたワンピースに身を包んでいる。
 「いえいえ、私の方こそ突然呼びだしたりしてすみません、早奈恵先輩」
 運転席から挨拶をする梓紗。
 先ほど連絡をして、早奈恵をこのコンビニの駐車場まで呼びだしたのだ。
 「ううん、いいのいいの。梓紗から話があるって言われたら、来ないわけにはいかないでしょ。今日は土曜日で休みだったし」
 にこやかに答えて早奈恵はシートベルトを締める。
 「ええ……早奈恵先輩にちょっとお願いがあって……ふふ……」
 梓紗の口が妖しい笑みで歪み、ぺろりと舌なめずりをする。
 「お願いー? なーんかヤバいお願いとかじゃないでしょうねー? アハハッ」
 早奈恵は全く気が付いていない。
 「それじゃちょっとドライブに付き合ってくださいね」
 梓紗は車のエンジンをかけ、コンビニの駐車場から走り去った。

 「あ……あぐ……あ……」
 躰を硬直させている早奈恵。
 いったい何が起こったのかよくわからない。
 甘い香りと黄色いガスのようなものが車内に広がったかと思うと、まったく躰がいうことを聞かなくなってしまったのだ。
 「んふふ……ねえ、早奈恵先輩……私の香りはいかがですか? 涼美さんは甘くて惹かれる香りだって言ってくれたんですよ。うふふふ……」
 「あ……あず……さ……」
 いつもと様子の違う梓紗に早奈恵は恐怖を感じる。
 「ふふ……怖がらなくていいですよ早奈恵先輩。早奈恵先輩を食べるつもりはありませんから」
 梓紗の唇をぺろりと舌が舐める。
 「あな……た……」
 躰がまったく動かない早奈恵。
 かろうじて声を出せるだけ。
 助けを呼ぶこともできないのだ。

 「ねえ、早奈恵先輩。早奈恵先輩は暗黒帝国ヤミンゲルってご存じですか?」
 くすくすと小さく笑いながら梓紗は車を走らせる。
 どうやら郊外の人気のない山の方へと向かっているようだ。
 「や……み……?」
 「暗黒帝国ヤミンゲルです。強大なお力を持つ皇帝陛下が治めていらっしゃる素晴らしい国で……私ったら、愚かにもその偉大なる帝国と戦っていたんですよ。バカみたいだと思いません?」
 梓紗の目は皇帝への崇拝に満ちている。
 「ど……どう……」
 「どうしてバカみたいだと……ですか? だって……この世界は闇こそが支配するべき世界だと思いません? 偉大なる暗黒帝国の皇帝陛下こそがこの世界を支配するんです。そして世界は闇に覆われる。そうしたら……私はとても美しく咲くことができるんですよ。闇の毒花、ビアンドラゴラとして」
 「ビア……ド……」
 けらけらと笑っている梓紗を見て、早奈恵の目が驚愕に見開かれる。
 いったい梓紗はどうしてしまったというのだろう?
 なにがあったというのだろう?

 「うふふ……早奈恵先輩、知ってました? 先輩は選ばれていたんですよ。ビアンドラゴラにふさわしい……闇に咲く毒花にふさわしい女として選ばれていたんです」
 「わた……し……が?」
 「ええ……でも、たまたまそばにいた私が、早奈恵先輩が受け取るはずだった種をもらっちゃったんです。ごめんなさい。でも……」
 ハンドルを握る梓紗の服の袖が変化し、シュルシュルと紫色の葉の付いた蔓が伸びてくる。
 「ひっ!」
 「そのおかげで私は咲くことができました。闇に咲く毒花ビアンドラゴラとして。うふふふふ……」
 「ひっ! ひあっ!」
 蔓は早奈恵のワンピースのスカートの下に向かって伸びていき、そこからスカートの内側へと入り込む。
 「うふふふ……早奈恵先輩。せっかく“挿し木”をするのにふさわしい場所があるのに、布切れで隠しておくなんてダメですよ」
 山道に入ったところで車を止める梓紗。
 ここならば邪魔は入らないだろう。
 「ねえ、早奈恵先輩。ビアンドラゴラは種で増えるばかりじゃなく、“挿し木”でも増えることができるって知ってました?」
 梓紗の蔓が早奈恵のショーツを引き下ろす。
 「いや……やめて……いや……」
 早奈恵の目の前で、梓紗の姿が変わっていく。
 頭部には赤と黄色の毒々しい花が咲き、躰は黒い胴体に紫色の葉が付いた蔓が巻き付いていた。
 「うふふ……早奈恵先輩も、私と一緒に咲きましょうね」
 花托に付いた真っ赤な唇が笑みを浮かべ、腕から延びた蔓が早奈恵の秘所に潜り込んでいく。
 「いやぁぁぁぁぁぁ!」
 早奈恵は麻痺した躰で必死に悲鳴を上げた。

 茜色に染まる夕暮れの住宅街。
 早奈恵の家の前にピンクの車が一台止まる。
 カチャリと助手席のドアが開き、ゆったりとしたワンピースを身に着けた髪の長い女性が車を降りる。
 「ふふ……それじゃ早奈恵先輩。たっぷりと養分を摂ってくださいね」
 梓紗が運転席から声をかける。
 先ほど自らの蔓の一部を差し込み、彼女に“挿し木”してやったのだ。
 「ええ……そうするわ……」
 うつろな表情でそう答える早奈恵。
 「ふふ……」
 ややフラフラとした足取りで家の中へと消えていく早奈恵を見送ると、梓紗は車を本部へと向けるのだった。


 「ふーむ……面白いこととはこういうことだったのか……」
 闇虫から送られてくる映像を見て感心するキーラーガ。
 ギラットレンジャーを葬るには少し時間を下さいと言っていたが……
 梓紗がビアンドラゴラとなった今、偵察用の闇虫は常に彼女のそばにいても何の問題もない。
 むしろ梓紗自身も積極的に闇虫を受け入れており、バッグの中に闇虫を忍ばせて、ギラットレンジャーの本部に忍び込ませる手伝いをしているくらいだ。
 もはや彼女は完全にヤミンゲルの手先となったと言っていいだろう。
 そして、ヤミンゲルのためにさらなる仲間まで増やしてくれようというのだろうか?
 “挿し木”で増えることができるということだが……もしそうなら、なんとも頼もしいではないか。


 「ただいま戻りました」
 何食わぬ顔で本部に戻ってくる梓紗。
 「お帰り」
 「お帰りなさい」
 詰所にいたほかのメンバーたちが出迎える。
 外に出ていたのは梓紗だけのようで、他のメンバーはずっと詰所で待機していたようだ。
 まあ、夜に備えて仮眠を取ったりしなくてはならないし、外に出て何かするという気にもならなかったのだろう。
 梓紗が外で何をしてきたかなど気にもしていないに違いない。

 「梓紗、今からだともう仮眠をとる暇はなさそうだけど、どうする?」
 道太が心配そうに言ってくる。
 暗に少し仮眠を取ってからでもいいぞと言ってくれているのだ。
 「別にいいわ。今の私は夜の方が調子いいくらいよ」
 ふふっと笑う梓紗。
 魔獣人となった今、一日二日睡眠をとらないくらいどうということもない。
 「そうか、それならいいんだが……」
 「無理しないでいいのよ」
 「大丈夫。街の巡回でしょ? 行きましょう」
 道太と涼美に笑顔を見せる梓紗。
 「よし、それじゃ行くか」
 「今日こそ敵の正体を暴いてやりませんとね」
 「ああ、これ以上好き勝手させるわけにはいかないからな」
 仁はバイクのヘルメットを、道太や晃はエンジンキーを手に詰所を出る。
 「私たちも行こうか。何とか手掛かりを見つけましょ」
 「ええ……そうね……ふふ……」
 涼美と連れ立って梓紗も出る。
 その口元には冷たい笑みが浮かんでいた。

                   ******

 深夜、一軒の家の前にピンク色の軽自動車が止まる。
 閑静な住宅街の中の一軒。
 そこは夕方に梓紗が早奈恵を送り届けた家だ。
 今は家の中は真っ暗で、明かりは点いていない。

 車を降りた梓紗は周囲を一瞥すると、その家に歩み寄る。
 ドアノブを回すと簡単にドアが開く。
 鍵はかかっていない。
 理由は簡単だ。
 中に入った者がドアの鍵をかける前にこうなったからだろう……

 梓紗の足元に死体が転がっている。
 頭をぐちゃぐちゃに潰され、玄関中に血肉が飛び散っている。
 おそらく中に入ってドアを閉めたところで一撃を受けたのだ。
 梓紗がドアを開けたことで、玄関の外にも血が流れだしたかもしれないが、気にすることはないだろう。
 気付く者などそうはいない。

 ぐちゃぐちゃになった男の死体を越えて奥に進む。
 甘い香りがとても濃い。
 きっときれいに咲いたのだ。
 二輪目の美しい闇の毒花が。

 リビングにその花は咲いていた。
 プロポーションの良い真っ黒な女の躰をした茎。
 全身にはトゲと紫色の大きな葉が広がった蔓が絡みつき、首から上の花托には真っ赤で毒々しい唇が笑みを浮かべている。
 さらにその上には見事に開いた花が咲いており、内側が黄色、外側が赤の花弁が広がっていた。
 まさに女と毒花が融合した美しい姿。
 ビアンドラゴラの花が咲いていたのだ。

 「ふふ……素敵。とてもきれい。もう養分も吸ったのね」
 見るとビアンドラゴラの足元には白骨が二人分転がっている。
 「早奈美ちゃんも食べちゃったんだ。ちょっともったいなかったかな。彼女もいい花を咲かせそうだったのに……」
 「あの子がいけないの……」
 ビアンドラゴラがぽつりとつぶやく。
 「お母さんだけでやめようとしたのに……悲鳴を上げて逃げようとして……それがとってもおいしそうで……あの子がいけないのよ」
 くすくすと笑うビアンドラゴラ。
 「毒花粉で麻痺させて……蔓でからめとって引き寄せて……トゲの毒で殺してあげたわ……とってもおいしかった」
 紫色の舌がぺろりと唇を舐める。

 「うふふ……もうすっかり身も心も花が広がったのね。やっぱり“挿し木”だと種からよりも早いみたい」
 梓紗の姿が変化し、毒々しい闇の花が花開く。
 二輪の闇の花はゆっくりと近づくと、お互いに抱き合って蔓を絡め合い、唇を重ねていく。
 「ぷあ……ああ……素敵……美しいわ、ビアンドラゴラ」
 「ああん……あなたのおかげよぉ……あなたのおかげで私もこうして美しく咲くことができたわぁ」
 「これからは一緒に闇の世界で咲き誇りましょうね……」
 「ええ、もちろんよぉ……私たちはビアンドラゴラ。闇の中で咲く毒花」
 愛しそうに舌を絡め合う二輪の毒花。
 闇に咲く美しい毒花たちだ。

 「ふふ……これからは私はヴィアと名乗るわ。ビアンドラゴラ・ヴィアよ」
 元は梓紗だったビアンドラゴラが、もう一輪に新たな名を告げる。
 「あん……すると私はデューよね? ビアンドラゴラ・デュー」
 早奈恵が咲いたビアンドラゴラもそれに応える。
 「ええ、そうよ。デュー」
 「うれしいわ、ヴィア。二人でもっともっと養分を摂りましょう。それに狩りも。さっき何も知らずに入ってきたお父さんを狩ったわ。すごく楽しかった……」
 「ううふ……それはよかったわ。でも、その前にやることがあるの……」
 唇をさらに重ねようとしたデューをそっと押しとどめるヴィア。
 「手伝ってくれるわね?」
 「ええ、もちろんよ、ヴィア」
 二輪の闇の花はお互いにうなずき合った。


 「えっ? 怪しい影?」
 涼美はすぐに車を止める。
 彼女の車は黄色のスポーツタイプ。
 行動派の彼女はこの車がお気に入りで、プライベートでも時々乗り回すことがあった。
 「本当なの?」
 『はい。黒い影が住宅の一軒に忍び込むのを見たんです』
 ブレスレットから梓紗の声が聞こえてくる。
 ギラットレンジャーのブレスレットは通信機にもなっているのだ。
 「わかったわ。すぐに行く。場所はどこ?」
 『K-4ブロックです』
 「了解。ここからなら10分もかからないわね。他のメンバーにも……」
 『それはまだ待ってください』
 「えっ?」
 梓紗の意外な返事に涼美は驚く。
 『まだヤミンゲルと決まったわけじゃありません。もしかしたらその家の住人が帰宅しただけかもしれないし、ヤミンゲルだとしても私たちが動いているのを知っての陽動の可能性もあります』
 「あっ……」
 確かに梓紗の言うとおりだ。
 怪しい影というだけならば、ヤミンゲルの戦闘員ヤミゾーがこちらの注意を引き付けるために動いているという可能性は捨てきれない。
 もしメンバーが全員一か所に集まった隙に別のところで活動されては……

 「わかったわ。とにかくすぐにそっちに行く。一人では危険だから待ってて! 二人で影の正体を確認し、その上で魔獣とかだったら他のみんなを呼べばいいわ」
 『ええ、私もそう思っていました。涼美さん、早く来てください!』
 「了解!」
 涼美はアクセルを吹かして車をUターンさせる。
 黄色のスポーツカーは、K-4ブロックに向けて、夜の闇を疾走した。

 ヘッドライトに照らされるピンクのかわいらしい車。
 そのそばには梓紗が待っている。
 涼美はすぐに車を止めて外に出た。
 「お待たせ。怪しい奴はどこに?」
 「あの家です」
 梓紗が指さす先には一軒の二階建ての分譲住宅がある。
 窓からは明かりは見えず、真っ暗だ。

 「中に入っていったの?」
 「ええ……」
 梓紗がうなずく。
 「どれくらい経った?」
 「連絡するちょっと前でしたから、10分ちょっと……」
 「そう……中の人が心配ね」
 「ええ……でも物音や悲鳴のようなものは何も」
 首を振る梓紗。
 「とにかく行ってみましょう」
 「ええ」
 涼美が小型ライトを取り出して先に立ち、梓紗がそのあとに続く。
 その梓紗の口元には笑みが浮かんでいる。

 「うっ……」
 ドアを開けた涼美は思わず顔を背ける。
 ライトに照らされた玄関先には、ぐちゃぐちゃになった男性の死体。
 スーツ姿のところを見ると、帰宅して玄関に入ったところをやられたのかもしれない。
 おそらく手口から言ってこれまでと同じやつだ……
 「梓紗、気を付けて……奴だわ」
 「……ええ……」
 梓紗の声を背後に聞き、涼美は死体を避けるようにして奥へ進む。
 とにかく正体を確かめなくては……
 いつでもスーツをまとえるように、ブレスレットを準備しておく。
 奴はまだこの家の中にいる?

 慎重に足を進めて、リビングの入り口から中を覗く涼美。
 甘い香りがムワッと立ち込めている。
 これは?
 梓紗の付けている香水と同じ香り?
 涼美がそのことに気付いた時、ライトに照らされた先に白いものが転がっていた。
 白骨?
 ライトに照らされたのは人間の頭蓋骨。
 しかも二つも転がっている。
 涼美は息を飲み、入り口の脇にある明かりのスイッチをオンにする。
 リビングに明かりが点き、室内が明るくなったことで、涼美はそこに普通の家ではありえないようなものがあることに気が付いた。
 花?
 そこには大きな赤と黄色の花が咲いていたのだ。
 しかもその茎というか躰は、色は漆黒ではあるものの人間の女性のような躰をしており、紫色の葉を広げた蔓が巻き付いているのだ。
 花の下には薄笑いを浮かべた女の唇があり、足元には先ほどライトに照らし出された白骨が散らばっていた。

 「魔獣ね!」
 涼美はすぐにギラットイエローに変身するべく、ブレスレットを操作しようと右手を振り上げる。
 だが、そのブレスレットをはめた右手が、背後からガシッと掴まれてしまう。
 「えっ?」
 思わず背後を振り返る涼美。
 そこには彼女の腕をがっちりと掴んだ梓紗の微笑んだ顔があった。
 「あず……」
 涼美が梓紗の名を呼ぼうとした瞬間、梓紗の口から黄色いガスのようなものが吹きかけられる。
 「あ……う……」
 まったく予期せぬことで、涼美はなすすべもなくそのガスを吸ってしまう。
 すぐに涼美の躰はしびれ、その場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 「んふふ……ダメですよ、涼美さん。気を付けてって言っていながら。背後にいるのが味方とは限らないんですよ」
 倒れた涼美を冷たい笑みを浮かべて見下ろす梓紗。
 「あ……ず……さ……」
 「やめてくれません? その名前で呼ぶの。その名前は私が人間だった時の名前。今の私は闇の花ビアンドラゴラなんですよ」
 「ビ……ア……?」
 「ビアンドラゴラ。ふふっ……今見せてあげますね、私が美しく咲いた姿を」
 梓紗はそう言うと、髪の毛が巻き付くようにしてつぼみを作り、ゆっくりとその花を咲かせていく。
 躰も漆黒に染まり、紫色の葉の付いた蔓が躰に巻き付いていく。
 足はブーツを履いたような形となり、花の下には赤い唇がニタッと笑っていた。

 「そ……んな……まじゅう……」
 涼美はしびれる躰を必死に動かそうとするが、ピクリとも動けない。
 かろうじて言葉を途切れ途切れに話すだけである。
 「うふふ……ただの魔獣ではないんですよ。私たちは魔獣人なんです。偉大なる皇帝陛下が生み出された人の知能を持つ魔獣なんですよ」
 鮮やかに咲き誇る闇の毒花。
 もう一輪も涼美を囲むように近寄ってくる。
 ともにその口には笑みを浮かべ、涼美を見下ろしていた。

 「うふふふ……うまくいったわね、ヴィア」
 「ええ、涼美さんも他のメンバーも私がビアンドラゴラとして咲いたなんてちっとも想像もしていないんですもの。簡単だったわ」
 二輪の花たちがくすくすと笑う。
 「クッ……」
 右手を必死に持ち上げようとする涼美。
 せめてブレスレットで他のメンバーにこのことを伝えなくてはならない。
 「ダメですよ、涼美さん。こんなものは外しましょうね」
 梓紗が変化したビアンドラゴラが涼美のブレスレットを外していく。
 「私の毒花粉をまともに吸ったから動けないとは思うけど、念のためにね」
 外したブレスレットを離れたテーブルの上に置く。
 「あ……ず……さ……」
 涼美は外されたブレスレットを取り戻そうとするが、腕がまったく動かない。

 「ねえ、涼美さん。私たちきれいに咲いたと思いません? 私、本当に偶然だったんですけど、皇帝陛下の作られたビアンドラゴラの種を埋め込まれたんですよ。おかげでこんな美しい花を咲かせることができたんです。うふふ……」
 「そ……んな……」
 「だから私、この素晴らしさを彼女にも教えてあげたんです。わかります? 彼女、私の先輩だった早奈恵さんだったんですよ」
 「えっ?」
 梓紗だけではなく、もう一体の魔獣人も人間だったというの?
 愕然とする涼美。
 「あん、ヴィアったら、それだって私が人間だった時の名前よ。今の私の名前はビアンドラゴラ・デューだわ」
 「そうだったわね。ねえ、デュー。ビアンドラゴラとして花を咲かせた気分はどう?」
 「もう、最高に決まってるわ。こんな素敵な花を咲かせることができてとっても幸せ。養分を摂るのも人間を殺すのも最高。うふふふ……」
 「うふふふ……」
 二輪の花が笑い合うのを見て絶望に打ちひしがれる涼美。
 もう二人は完全に心まで魔獣人になってしまっている……

 「ねえ、涼美さん? 涼美さんも私たちと一緒に咲きましょうよ。私、涼美さんにも“挿し木”をしてあげますね」
 「あん、それはいい考えだわヴィア。“挿し木”をしてあげれば、彼女も私たちと一緒に闇の世界で美しく咲けるわね」
 「ひっ!」
 涼美の顔が青ざめる。
 冗談じゃない。
 化け物花にされるのなんて考えたくもない。
 なんとか逃げ出さなくては……
 涼美はそう思うものの、躰は全く動かない。
 這いずることすらできないのだ。
 涼美の目の前でビアンドラゴラの躰からトゲの付いた蔓が伸びてくる。
 蔓は倒れている涼美のズボンを引き裂くと、ショーツをゆっくりと引き下ろしていく。
 「ひ……いや……やめ……」
 なんとか逃れようと必死で身を動かそうとする涼美。
 だが、無防備の股間がさらされ、蔓の先端が入り込んでくる。
 「い……いやぁぁ……」
 涼美の口から小さな悲鳴が漏れた。

                   ******

 「おはよう。ふわぁぁぁぁ……眠い」
 大きなあくびをしている仁。
 梓紗はそれを見て思わず笑う。
 朝になり、ギラットレンジャーのメンバーたちが本部に戻ってきたのだ。
 それぞれが虹倉司令に報告し、この詰所にやってくる。
 みんな眠そうなのは変わらない。

 「結局昨夜は動きなしか……」
 「我々の警戒を見て動くのをやめたのかもしれませんね」
 コーヒーを飲んでいる道太と晃。
 とりあえず被害が無かったことにホッとしているらしい。
 「まあ、それならそれでもいいさ。被害がないというのは結構なことだ」
 仁も自分のカップにコーヒーを注ぐ。

 「ところで、涼美はどうした? まだ戻ってないのか?」
 カップに口をつけ、この場にいない涼美のことをたずねる仁。
 「さあ……」
 道太と晃も顔を見合わせ、その視線が梓紗に向く。
 「あ、ごめん。司令には伝えていたんだけど、巡回中に具合が悪くなったっていう連絡が来て……ちょうど私の先輩の家が近かったものだから、事情を言って彼女の家で休ませてもらっているの」
 そう……
 今頃彼女はデューの家で花を咲かせようとしているころだろう……
 あとで美味しい養分を持って行ってやらないとね。
 うふふ……咲くのが楽しみだわぁ。
 梓紗はにやりと笑う。

 「そうか。それならいいんだが、美彩先生に診てもらわなくても大丈夫か?」
 「それは大丈夫。ちょっと疲れがたまったんだと思う。これから私も先輩の家に行って涼美さんの様子を見てくるけど、たぶん今晩のパトロールには参加できると思うわ」
 心配する仁に梓紗は答える。
 「そうか。じゃあ、みんなも仮眠するなりして休養を取ってくれ。昨日は被害が無かったようだが、ヤミンゲルの動きがはっきりするまでは、今晩も街の巡回を行うぞ」
 「了解」
 「OK」
 「了解です」
 仁の言葉に三人はうなずく。
 被害が無かった……ねぇ……
 そう思っているのはあなたたちだけだというのに……
 梓紗はそう思い、詰所を後にした。


 「あら、お帰りなさいヴィア。その娘は?」
 玄関先で出迎えてくる羽賀谷早奈恵。
 「ただいまデュー。ちょうど一人で歩いているところを見つけたので、毒花粉で麻痺させてやったの。彼女の養分にちょうどいいと思わない?」
 ぐったりとした制服姿の女子高生を抱きかかえている梓紗。
 その娘の目は恐怖に見開かれ、何か言いたそうに口をかすかに動かしている。
 「まあ、美味しそうなかわいい娘。やっぱり養分にするなら女の子がいいわ。きっと彼女も喜ぶわね。ふふふ……」
 その様子を見てぺろりと舌なめずりをする早奈恵。
 梓紗は同意するように笑みを見せると、少女をそのまま家へと連れ込んだ。

 リビングには裸の女性が一人寝かされている。
 その胸にはすでに黒い葉脈のようなものが広がっていた。
 梓紗はその様子を確認すると、少女を床に転がす。
 もうじき日が暮れる。
 闇が周囲を覆っていく。
 そうなれば……
 うふふふふ……
 梓紗と早奈恵の顔に笑みが浮かぶ。


 ハイヒールのブーツ状に変化した足。
 その足元に白骨が転がっている。
 血肉をすべて吸い尽くされた女子高生だ。
 彼女を吸い尽くした巨大な花が、暗い室内に咲いていた。

 「うふふ……おめでとう。花を咲かせた気分はどう?」
 腕組みをしたビアンドラゴラが、新たに咲いた花に声をかける。
 「はあ……ん……素晴らしいわぁ……なんて素敵なの? 養分を吸って花を咲かせることがこんなに素晴らしいことだったなんて……」
 自らの躰をかき抱くように蔓を巻き付かせる新たなビアンドラゴラ。
 もちろんそれは涼美が咲いた姿に他ならない。
 「ふふふ……これであなたも私たちと同じビアンドラゴラね」
 もう一輪の赤と黄色の花が近寄る。
 いずれもほぼ同じ姿をした闇の花だ。
 「ええ……私はビアンドラゴラ。闇に咲く毒花ビアンドラゴラなんだわ」
 「それでいいわ。あなたはティレにしましょう。ビアンドラゴラ・ティレよ」
 ビアンドラゴラ・ヴィアが蔓を伸ばして、ティレと名付けた新たな花を引き寄せる。
 「これからは、ともに闇の中で咲きましょうね、ティレ」
 「ええ……ヴィア」
 二輪の花が唇を交わす。
 「まあ、二人ともずるいわ……私にも蜜をちょうだい」
 デューは唇をへの字に曲げた。

                   ******

 「もう大丈夫なのか涼美?」
 「ええ、もうすっかり。ふふ……」
 本部に戻ってくる梓紗と涼美。
 他のメンバーはすでにそろっている。
 「よし、ご苦労だが今晩も巡回だ。夜の任務は大変だろうが、敵の動きを封じ込めるという意味もある。怪しい動きがないか、しっかり見回ってもらいたい!」
 「了解!」
 「了解です!」
 司令室で虹倉司令の指示を受け、五人はそれぞれ夜の街へと出動した。


 「うふふ……ほんとバカみたい。探している敵とやらが目の前にいるのに気づかないんですもの」
 ビルの屋上から街の夜景を見下ろす涼美。
 昨日までは彼女にとってそこは守るべき人々のいる場所だった。
 でも今は、美しく咲くための養分と狩りの獲物がいる場所にすぎない。
 そしてその場所を守ろうとしている連中は、誰がそこを荒らそうとしているのかに気付かない愚か者たちなのだ。
 「ふふふ……闇は私たちの世界。闇の中でこそ私たちは咲き誇れる。闇こそが私たちの居場所ね」
 「今夜はどうするのヴィア? そろそろ私も養分が欲しいわ」
 涼美と同じように街を見下ろす梓紗と早奈恵。
 いずれもが擬態を解き、人間たちを襲いたくてうずうずしている。

 「クックック……まさかビアンドラゴラが三つも咲くとはな……」
 三人の女たちの背後に現れる甲冑姿の偉丈夫。
 暗黒帝国ヤミンゲルの魔将軍キーラーガだ。
 その存在に気付いた女たちは、すぐに彼の前にひざまずく。
 「ふふふ……ギラットイエローとギラットピンクがそろって俺にひざまずくとはいい気分だ。もう一人も併せて、まさに闇の美しき花たちと言ったところか」
 キーラーガは満足そうに三人を眺めやる。

 「キーラーガ様、私はもうギラットレンジャーなどではありません」
 顔を上げ、冷たく微笑む梓紗。
 「私たちは闇の毒花、魔獣人ビアンドラゴラですわ」
 誇らしげにそう口にする早奈恵。
 「私たちをこのような美しい花として咲かせてくださいましたヤミンゲルには、感謝の言葉もございません」
 崇拝の目で心からの礼を言う涼美。
 三人はそれぞれが擬態を解いて花へと変わり始めていく。
 すぐに周囲にはムワッとする甘い香りが広がり、赤と黄色の毒花たちが咲いていく。
 「私はビアンドラゴラ・ヴィア」
 「私はビアンドラゴラ・デュー」
 「私はビアンドラゴラ・ティレ」
 「「「どうぞ、私たちに何なりとご命令を」」」
 三輪の鮮やかな毒花がキーラーガの前で咲きそろう。
 まさに望みえる最高の結果ではないか。
 おそらく、最初の予定通りに早奈恵に種を植えこんでいたならば、ここまでの結果にはならなかっただろう。
 そう思えば、あれは何と幸運なことだったのか……

 「うむ。ならばお前たちに命令する。これよりギラットレンジャーを壊滅させ、この世界を暗黒帝国ヤミンゲルのものとするのだ!」
 「「「ハッ! 私たちにお任せを!」」」
 右手をかざすようにして力強く命じるキーラーガに、花たちは一斉に頭を下げて応諾する。
 その口元にはこれからの殺戮を思うのか、一様に冷たい笑みが浮かんでいた。

END

いかがでしたでしょうか?
よろしければコメントなどをいただけますと、とても励みになりますです。

これでSS第一弾は終了です。
明日はまた一本短編SSを投下する予定ですので、お楽しみに。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2021/07/19(月) 20:00:00|
  2. 闇に咲く美しき毒花
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闇に咲く美しき毒花 (2)

ブログ16周年記念SS、「闇に咲く美しき毒花」の今日は二回目です。

偶然が作用してビアンドラゴラという闇の食肉花の種を植え付けられてしまったギラットピンクの桃川梓紗。
一体どうなってしまうのか?

お楽しみいただけますと幸いです。


                   ******

 「はーあ……」
 自宅の玄関を入り、盛大にため息をつく梓紗。
 結局今日は一日中本部の休憩室でゴロゴロしていただけだった。
 まあ、確かに朝の時点では本調子ではなかったし、いい休息になったと思えないこともない。
 とはいえ、なんだか自分が一日役に立てなかったということで、罪悪感めいたものもある。
 はあ……

 とりあえず美彩先生からはちょっとした疲れだろうということで風邪ではなさそうだし、夕食も本部で済ませてきたので、今日はさっさと眠るとしよう。
 美味しいもの食べてゆっくり寝なさいと美彩先生も言ってたしね。
 梓紗はそう思い、シャワーを浴びてとっとと布団に入る。
 やがてすぐに規則正しい寝息が聞こえてくるのだった。


 「かくして女は眠りに就く。夜になっても変化なしか……」
 キーラーガがふうとため息をつく。
 飛ばしておいた闇虫の監視のリレーはうまくいった。
 あの拠点を出た時点で新たな闇虫が梓紗の監視を交代し、この家まで付いてきて潜り込んだのだ。
 この闇虫はここに潜り込ませておけば、梓紗というこの女の様子は手に取るようにわかるだろう。
 できればほかのメンバーにも張り付かせたかったが、晃とかいう若い男に気付かれそうになったため、張り付けるのを断念した。
 下手に気を引いては、拠点に入り込んだ闇虫にも気付かれるかもしれないし、この梓紗の家に入り込んだものまで怪しまれてしまうかもしれない。
 ここはこの梓紗という女だけの監視でとどめておく方が無難だろう。
 なぁに……奴らの正体はほぼ判明した。
 容姿さえわかれば、闇頭脳が調べ出してくれる。
 すでにメンバーのうちのもう一人の女性が黄野原涼美という名前であり、K・H・I、黄野原重工株式会社会長黄野原重蔵(きのはら しげぞう)の孫娘で年齢24歳ということも判明したのだ。
 残りの連中の正体もすぐにわかるだろう。
 そうなればたとえ今回の計画が不首尾で終わったとしても、次は各メンバーを個別に襲撃できるのだし、重要拠点も一ヶ所把握している。
 ビアンドラゴラの種がどうなろうとも、ギラットレンジャーの始末はどうにでもなるに違いない。

 それにしてもつまらん。
 丸一日ただこの女の行動を見ていただけ。
 ビアンドラゴラの種は本当に発芽するのだろうな?
 まさか発芽しませんでしたでは済まんぞ。
 いったいいつになったら発芽するのだ?
 まったく……

 『う……ううう……ああ……あああああ……』
 「む?」
 キーラーガが顔を上げる。
 映像の中から苦しそうな声が聞こえてきたのだ。
 どうやらベッドで寝ていた梓紗が苦しんでいるらしい。
 「どうしたのだ?」
 キーラーガが闇に浮かんだ闇虫からの映像をよく見ると、寝ている梓紗が身をよじって苦しんでいる様子が映し出されている。
 布団を足で蹴り飛ばし、パジャマの前を引きちぎるようにして胸をはだけ出しているのだ。
 明かりを消しているために室内は暗いが、闇虫からの映像には、そんなものは問題ない。
 闇の中で、梓紗の白い肌がむき出しになっているのがよく見える。
 「むう?」
 その梓紗の白い肌が、じわじわと黒く染まっていく。
 「これは……」
 どうやら始まったらしいな……
 キーラーガはそう思う。
 この女は、ようやくビアンドラゴラと融合し始めたのだ。


 苦しそうにベッドの上で身をよじる梓紗。
 その手が黒く染まっていき、爪も鋭くとがっていく。
 パジャマの袖口の隙間から、シュルシュルと黒い蔓も伸び始める。
 「ああ・・・あああ・・・」
 鋭い爪が、着ているパジャマをビリビリと引き裂いていく。
 ズボンも、トゲの付いた蔓が内側から引きちぎる。
 ぼろきれのようにちぎれたパジャマの下からは、黒く染まった梓紗の躰が現れる。
 それはまるで漆黒の全身タイツを着たような躰。
 その躰には同じく漆黒の蔓が巻き付いていた。
 足の指は一つに融合していき、かかとはハイヒールのようにとがっていく。
 蔓からは紫色の葉が次々と広がっていき、梓紗の躰を覆っていく。
 やがて梓紗の躰は、闇の植物と人間の融合したような姿へと変わっていった。

 変化はそれだけにはとどまらない。
 梓紗の髪の毛がふわっと広がり、やがて紫色へと変わっていく。
 細い毛がいくつも絡まり合っていき、それはまるでつぼみのように梓紗の頭部を覆っていく。
 それまで苦しそうにベッドの上でもがいていた梓紗の動きが止まり、静かになる。
 やがて、つぼみのように覆われた頭部がゆっくりと開き、巨大な赤と黄色の花が咲いていく。
 梓紗の頭を覆い尽くす、肉厚の花弁が幾重にも重なる赤と黄色の花。
 内側は鮮やかな黄色が映え、外側には毒々しいまでの赤が広がっているのだ。
 その美しくも不気味な花の下には、赤く毒々しい色に染まった梓紗の唇があった。

 ゆっくりとベッドから起き上がる闇の花を咲かせた黒い女。
 目も鼻も耳も消え去り、その頭の上半分に大きな花が咲いているのだ。
 それはまさにあのビアンドラゴラの花だ。
 梓紗はビアンドラゴラの花を咲かせたのだった。

 ゆっくりと歩き出す梓紗。
 ハイヒールのブーツ状に変化した足がカツコツと床を鳴らす。
 目がないにもかかわらず、梓紗には周囲が良く“見え”ていた。
 むしろ、この夜の闇の中では、以前よりもよく“見え”るくらいだ。
 「私……いったい……」
 梓紗は不思議に思う。
 どうしてこんな夜中に目が覚めたのだろう……

 梓紗は外へ出たかった。
 なぜそう思うのかはわからない。
 ただ、外に出て、もっと夜の闇に浸りたかった。
 暗い室内も悪くはないけど、外の闇をもっと浴びたいと思ったのだ。
 「あ……」
 部屋に置かれた姿見に、その姿が映し出される。
 「これは?」
 そこには赤と黄色の花を咲かせた黒い躰をした女のような姿が映っていた。
 その躰に巻き付く黒い蔓にはトゲがあり、紫色の葉が何枚も広がっている。
 その葉にやや隠れるようにはなっているものの、黒い茎には丸い二つの乳房があり、くびれた腰からお尻の丸みへと続くラインは、まさに女性そのものだ。

 「は・・・な?」
 毒々しい赤と黄色の花。
 「きれい……」
 梓紗はその花に触ってみようと手を伸ばし、それが鏡に映った自分の姿であることに気付く。
 「私? この花は……私? 私は……花?」
 だが、そのことがなんだかすんなりと受け入れられる。
 「私は……花。私は花なんだわ……」
 そう……
 梓紗は花だった。
 それもとびきりに美しい花なのだ。
 闇に咲き誇る闇の花。
 それが今の梓紗だった。

 「養分……」
 梓紗は理解する。
 花である自分には養分が必要なのだ。
 闇の中でもっと咲き誇るためには養分が必要なのだ。
 養分を得なければ……
 美味しい養分を……

 窓を開けて外に出る梓紗。
 外は夜のくせに意外なほど明るく、むしろ部屋の中の方が暗いぐらい。
 闇の中で咲きたい梓紗には忌々しいことだったが、養分を取らねばならない。
 彼女は窓枠に蔓を絡みつかせ、それを伸ばしてするすると降りていく。
 外には養分がいっぱい歩き回っているのが気配でわかる。
 ここでは養分には困らなさそう……

 夜の道を歩いていく。
 ハイヒール状に変化した足が、コツコツと音を立てるのが心地よい。
 花を咲かせたことで、躰は養分を求めている。
 早く養分を取りたい……

 梓紗は香りを振り撒いていく。
 誘引作用のある甘い香りだ。
 うまくいけばこの香りに獲物が寄ってくる。
 ふふふ……
 いい匂いでしょ……

 「ん? なんの匂いだ?」
 「んん? 花か何かの匂いかな?」
 匂いを嗅いだパトロール中の警官が二人、顔を見合わせながら梓紗の方へと近づいてくる。
 美味しそう・・・
 養分はいくらあってもいい。
 梓紗は建物の陰に身を入れる。
 漆黒の躰は闇に溶け込むにはちょうどいいというのが、なぜか梓紗にはわかっていたのだ。
 ふふ……

 「どこからするのかな?」
 「いい匂いだなぁ」
 そう言いながら歩く二人の警官の前に、巨大な赤と黄色の花が現れる。
 その花は女のような躰つきをした黒い茎から咲いており、女のような真っ赤な唇も花の下部には付いている。
 躰にはトゲの付いた蔓が絡まるように巻き付いており、紫色の葉が何枚も広がっていた。
 「うわぁっ!」
 「ば、化け物花だっ!」
 驚く警官たちに、花はその中心部から、黄色のガスのようなものを吹きかける。
 「ぐっ! げほっ!」
 「がはっ!」
 ガスを浴びた二人は、その場にもんどりうって倒れ込む。
 このガスは毒を持つ花粉であり、吹きかければ、全身が麻痺して最悪の場合は死に至ることを梓紗はわかっていた。

 倒れ込んだ警官の一人に梓紗は自らの蔓を伸ばして巻き付ける。
 彼女の蔓にはトゲがあり、一度巻き付いたものはこの毒のトゲに刺されて死んでしまうのだ。
 「う……うぐっ……」
 躰が麻痺した警官に抵抗のすべはない。
 トゲに刺されてあっという間に絶命してしまう。
 やがて、蔓は死んだ警官の躰をじょじょに溶かしはじめ、その溶けた溶液を蔓が吸い取っていく。
 吸い取った溶液は蔓を通って梓紗の躰に流れ込み、梓紗は養分を味わっていく。
 ああ……
 美味しい……美味しいわ……

 やがて、すべての血肉を溶かされて吸い取られた警官の白骨死体が転がされる。
 「う……ううう……」
 同僚の悲惨な姿を見せられたもう一人の警官は、必死に助けを呼ぼうとするが、麻痺した躰では声も出せない。
 梓紗はカツコツと足音を鳴らしながらその警官に近づいていく。
 「ふふ……」
 真っ赤な唇に笑みが浮かび、冷たい笑い声が漏れてくる。
 やがて……白骨となった警官の死体が、梓紗の足元に一つ増えた。


 「うーむ……素晴らしい……」
 闇虫に急いで後を追わせ、変化した梓紗の様子を映像として映し出させていたキーラーガが、思わず感嘆の声を上げる。
 まさかこれほどとは思わなかったのだ。
 あの女は完全にビアンドラゴラと融合したばかりか、早くも人間を食ったのだ。
 それも二人も。
 あの女が本当にギラットピンクだとすれば、ヤミンゲルにとっては脅威が一つ減り、使える手駒が一つ増えたことになる。
 まさに皇帝陛下の作戦は素晴らしい。
 キーラーガは感服するしかなかった。

                   ******

 ピピピ、ピピピ、と電子音が鳴っている。
 目覚ましの音ではない。
 呼び出しコールだ。
 ハッとして起きる梓紗。
 その途端、あることに気付いてしまう。
 「え? えええええ?」
 布団を跳ね除けたその下は、なんと裸だったのだ!
 「え、ええ? ど、どうして?」
 パジャマはおろか、下着すら穿いていないではないか。
 な、なんで?

 疑問には思うものの、今はそんなことに気を向けている時ではない。
 梓紗はギラットレンジャーのブレスレットを手に取り、スイッチをオンにする。
 「は、はい、桃川です」
 『おはよう桃川君。朝早くからすまないが、大至急本部に集合してくれないか?』
 ブレスレットから男性の声が流れてくる。
 ギラットレンジャーのトップである虹倉(にじくら)司令の声だ。
 沈着冷静で有能な指揮官として、梓紗も信頼を置いている。
 「は、はい。すぐに!」
 別に映像が映し出されているわけではないのだが、ついいつもの調子で敬礼してしまう梓紗。
 次の瞬間、胸をさらけ出したままであったことに気付いて苦笑してしまう。
 梓紗は通信を切ると、ブレスレットを手首に嵌め、急いで支度を始める。
 とにかく急いで本部に向かわねば。
 おそらくヤミンゲルに何か動きがあったのだろう……

 それにしても……
 夕べの私はいったい何をしたのだろうかと梓紗は思う。
 ベッドの周囲には、引きちぎられたようにズタズタになったパジャマやショーツの切れ端が落ちているのだ。
 おそらく自分でやったこととは思うのだが、まったく記憶がない。
 私はいったい何を……
 自分で何をしたのかわからないなんて……
 ともあれ、今は急がねば。
 梓紗はズタズタになった布切れをひとまとめにしてゴミ箱に捨て、顔を洗うなど身支度を整える。
 きっかり30分後には、梓紗は車に乗って本部に向かって走り出していた。

 梓紗は車を急がせつつも、昨日とは別ルートで本部に入る。
 当然ゲートも違うゲートとなり、昨日のAゲートではなくCゲートだ。
 万が一どれかのゲートを発見されたとしても、そのゲートを放棄することで、本部内部を守るのである。
 とはいえ、Cゲートはロッカー室や詰所など、主に使う施設とは一番離れているゲートなので、やや不便さを感じるのも確かだった。

 「おはようございます」
 「おはよう、梓紗」
 先に着替えていた涼美に挨拶をし、いつものようにロッカー室で制服に着替える梓紗。
 ギラットピンクである彼女はピンクを基調としたジャケットとミニスカート。
 ギラットイエローの涼美は、同じデザインではあるが黄色を基調としたジャケットとミニスカートだ。
 着替え終わった二人はすぐに司令室へと向かう。
 そこにはすでに仁、道太、晃の三人が来ていた。

 「遅いぞ、二人とも」
 「まあまあ、女性はいろいろと身支度に時間がかかるものですよ」
 入ってくるなり注意をしてくる仁と、それをなだめる晃。
 この二人はいつもこんな感じ。
 これでも、なんだかんだとチームワークは悪くないのだ。
 「ごめんごめん。これでも急いできたのよ」
 涼美が軽く謝りながら席に着く。
 ギラットレンジャー五人が一堂に席に着ける丸テーブルだ。
 もちろん梓紗も自分の席に着く。
 「司令、全員揃いました」
 道太がデスクで目を閉じていた司令の虹倉にそう告げる。
 「うむ。朝早くから集まってもらってすまなかった。ヤミンゲル絡みであろう事件が報告されてきたのだ」
 司令官としての制服に身を包んだ虹倉司令が口を開く。
 一見さえない風体の中年男性に見えなくもないが、その実は有能な指揮官であり、これまでもヤミンゲルとの戦いにギラットレンジャーが勝利を重ねてきたのも、彼の指揮が大きいところである。

 「事件ですか?」
 「うむ。今朝早く、巡回に行ったまま戻ってこない同僚を探しに行った警察官が、D-3地区で白骨化した二人の死体を発見した」
 仁の質問に答えるように事件の概要を説明する虹倉司令。
 「白骨化?」
 「ええ?」
 思わず五人の顔に驚愕が浮かぶ。
 「いくら何でも一晩で白骨化するなんて」
 「確かに……ヤミンゲルの仕業の可能性は大だな」
 涼美の言葉に道太もうなずく。
 「うむ。そこで君たちにも現場を確認してもらい、状況を把握してもらいたい。すぐに行ってくれ」
 「「「了解!」」」
 五人は立ち上がって敬礼すると、司令室を後に急いでその現場へと向かった。


 「どういうことなのだ? いったい……」
 闇に浮かぶ映像に向かってそうつぶやくキーラーガ。
 映像には黄色いテープを張られた規制線の中で、警官たちから状況を聞いている五人の男女が映し出されている。
 梓紗のあとを追わせていた闇虫からの映像であり、この五人はギラットレンジャーどもだ。
 闇頭脳によってその特定に成功したのは、大きな成果と言っていいだろう。
 しかし、昨晩ビアンドラゴラと化したはずのあの女が、今朝は人間の姿に戻っているではないか。
 これはどうしたことなのだ……

 「うーむ……まさか失敗だったのでは……」
 『キーラーガよ、案ずるな』
 「うおっ」
 闇の中から響いてくる皇帝陛下の声に、キーラーガはまたしても思わず声が出てしまう。
 相変わらず驚かされる陛下だ。
 「陛下……と言いますと?」
 『ビアンドラゴラは闇に咲く花。太陽が出たことで花を閉じたのだ』
 「花を閉じた? すると……夜になればまた咲くというわけですか?」
 『そうだ。そして咲くごとに花と女の融合の度合いは深まり、いずれは完全に一つとなる。そうなれば昼間でも自由に咲くことができるようになるだろう』
 「なんと! 昼間でも!」
 なるほど、人間と融合することであの闇の花が昼夜問わず活動できるようになるというわけか……
 それは素晴らしい。
 『あの女はやがては身も心も闇の花と化し、ビアンドラゴラの魔獣人となるのだ。我が暗黒帝国ヤミンゲルの忠実な魔獣人にな。キーラーガよ……いずれあの女を使い、ギラットレンジャーを倒すのだ』
 「ハハッ、かしこまりました」
 キーラーガは一礼する。
 ふうむ……
 となれば、今晩あたりあの女に接触してみるのもいいかもしれん……


 「ふう……」
 思わずため息をつく梓紗。
 テーブルには野菜ジュースのカップがあるだけで、他のメンバーたちのように昼食が置いてあるわけではない。
 「食べないのか、梓紗?」
 その様子に気が付いた道太が声をかける。
 青いギラットレンジャーの制服をスマートに着こなしている好青年だ。
 だが、意外と食べ物には目が無く、わりと大食漢でもある。
 今も彼の前にはサンドイッチとパスタの皿が並んでいた。
 「うん……なんだか食欲が……」
 梓紗は野菜ジュースを一口飲むが、それもなんだかのどを通りづらい。
 それにお腹もそう減っている気がしないのだ。

 「どうした? やはりまだ調子が良くないのか?」
 サンドイッチを頬張っている仁。
 「もしかして……さっきのあれ?」
 涼美はナポリタンだ。
 「うーん……確かにショッキングではありましたけど、ああまできれいに白骨化している死体なら、グロテスクって感じはしませんでしたけどねぇ」
 晃はカレーを食べている。
 梓紗以外は特に食欲が落ちているというわけではなさそうだ。
 「まあな、瓦礫に潰されてぐちゃぐちゃになった死体とかだって見ているから、あれで食欲がない……わけじゃないよな?」
 そういいながらも一応梓紗の様子をうかがう仁。
 「やめてよ、思い出しちゃうじゃない。梓紗と私は女の子で繊細なんですからね」
 「は? 女の子? 繊細? 誰がだよ!」
 涼美の言葉に仁は思わず聞き返す。
 戦いになればメンバーすら引き気味になるほど激しい戦いをする涼美が、どこが繊細なんですかねというわけだ。
 「はあ? 仁! 聞き捨てならないわよ!」
 「まあまあ、涼美さんも仁さんも」
 「まあ、繊細はともかく女の子って年じゃ……」
 「道太ぁ!」
 「ふふっ、うふふふ……」
 梓紗は思わず笑いだす。
 いつものこととはいえ、こうしてメンバーなりに気にかけてくれているのだろう。
 まあ、食欲が無いのは事実だが、別にあの死体がどうということではない。

 確かに本部に戻ってくる前に見た光景はちょっと衝撃的なものだった。
 梓紗たちギラットレンジャーが現場に駆けつけたときにはすでに遺体は収容されていたが、検死に運び込まれた遺体を見せてもらったのだ。
 それはもう見事にきれいな白骨と言っていいもので、数時間前まで生きていた人間だったとはとても思えなかった。
 毛髪が一部こびりついていた以外は血も肉も残ってないのだ。
 おそらく溶かされたのではないかという話だったが、どうやって人間を骨までに溶かしたのか想像もつかない。
 おそらくそんなことができるのは、ヤミンゲルの魔獣しかいないだろうと梓紗も思う。
 でも、一体どんな相手なのだろうか?
 手ごわい相手かもしれない……

 「まあ、たぶんこのあとはここで待機か、街の巡回になるだろうから、腹がすいたら適当に食えばいいさ」
 「うんうん。別にお昼だからって無理に食べなくたっていいし」
 結局仁も涼美も梓紗が気になったのだ。
 「まあ、調子悪いなら無理はするな。どうせ戦いになったら無理しなきゃならん」
 サンドイッチをぱくつきながら道太も言う。
 「ええ、たぶん昨日のがまだ残っているだけだと思う。美彩先生はちょっとした疲れがたまったんだろうってことだったし、ちょっと今はお腹が減ってないだけだから」
 梓紗が笑顔を見せる。

 結局梓紗は野菜ジュースだけでお昼を済ませ、その後は何か手掛かりはないかと、五人それぞれで街を巡回したものの、めぼしい結果は得られなかった。
 そのため、今後に備えて一度休息を取った方がいいだろうという虹倉司令の判断で、夜は帰宅するように命じられたのだった。

                   ******

 「ふう……」
 ため息をつき、自室に戻った梓紗はゴロンとベッドに横になる。
 今夜は場合によっては夜中の出動もあるかもしれない。
 いや、むしろそっちの可能性は高いだろう。
 なにせ相手は暗黒帝国なのだ。
 今まで日中に現れていたことの方がおかしいのかもしれない。
 と、すれば、休める時に躰を休めておいた方がいいのだ。
 夕食も本部で済ませているし、あとは寝るだけ……ではあるのだが……
 まだ21時過ぎたばかりで、寝られるわけないわよねぇ。

 それに……
 今朝のことも気になってしまう。
 昨晩の私はいったい何をしたのだろう?
 どうしてパジャマがあんなにズタズタになっていたのだろう?
 まったく記憶が無いのだ。
 そりゃ、寝ている間にしたことなのだから、記憶が無いのは当然かもしれないが、それにしてもパジャマをあんなにズタズタにしてしまうなんて、どう考えてもおかしい。

 とはいえ、考えていても仕方がない。
 続くようなら、何が起こったのか調べなければならないかもしれないけど……
 今晩のところはどうしようもないのだ。
 梓紗はそう思い、新しいパジャマを用意する。
 そして、寝る前に汗を流そうと、シャワーを浴びに浴室へ向かった。

 「さてと……」
 脱衣所で着ているものを脱いでいく梓紗。
 その手がハタと止まる。
 「えっ? 何これ?」
 上着を脱いだ梓紗の躰は、胸のあたりが黒く染まっていたのだ。
 慌ててブラジャーを外す梓紗。
 両胸の乳房の内側あたりから腹部にかけて、まるで黒いゴムともナイロンともつかないような感触の肌が広がっている。
 「な、なんなの……これ?」
 梓紗は青ざめる。
 自分の躰に何が起こっているのだろうか?
 いったい……

 梓紗は急いで本部に通信を入れようとブレスレットを取りに行く。
 本部のメディカルセンターで診てもらうのだ。
 もしこれが何かの病気だったりしたら……

 「うっ!」
 ブレスレットに手を伸ばそうとしたその時、梓紗の頭に激痛が走る。
 「あ……う……あああ……」
 あまりの痛みに、梓紗は頭を抱えてうずくまってしまう。
 「な……に……これ……」
 必死にブレスレットに手を伸ばそうとする梓紗。
 その手がみるみるうちに黒く染まっていく。
 「う……そ……」
 指先の爪も黒くとがり、躰に蔓が巻き付いてくる。
 「あ……い……いや……」
 頭の痛みが引き始めると同時に、何かもやがかかったように、考えることができなくなっていく。
 「ど……う……し……」
 全身が黒く染まっていき、絡まった蔓からは紫色の葉が広がっていく。
 「あ……あああ……あああああ……」
 意識が遠くなっていき、梓紗の髪の毛が紫色に染まっていく。
 髪は梓紗の顔を包むように巻き付き始め、やがて花のつぼみに変化する。
 そして肉厚の花弁となって外側へと開いていくのだ。
 「…………」
 梓紗の顔からは目も鼻も耳も消え、巨大な赤と黄色の花が花開く。
 その花を支える花托には、梓紗の真っ赤な唇がそのまま残され、冷たい笑みを浮かべていた。

 「ハア……ハア……ふふ……」
 花開いた梓紗はゆっくりと立ち上がる。
 そのハイヒールのような足がカツンと床を鳴らす。
 その姿はまさに花。
 黒い女性の形をした茎ともいうべき躰には、紫色の大きな葉の付いた黒い蔓が幾重にも絡みつき、首から上は頭の下半分に真っ赤な唇がある大きな赤と黄色の花が咲いているのだ。
 「ふふ……」
 梓紗はゆっくりと脱衣所を出ると、自室の姿見にその姿を映す。
 「ふふふ……きれい……私は花……これが私の姿。私は闇の花。ふふふふ……」
 自らの姿に満足する梓紗。
 今の彼女に取り、美しく咲いたこの姿こそが自分の姿なのだ。

 カツコツとヒールの音を立て、梓紗は窓に向かう。
 「ふふ……お腹が空いたわ。養分が欲しい。私を咲きほこらせる養分が……ふふふ……」
 口元に笑みを浮かべ、梓紗は窓から身を躍らせる。
 そして素早く蔓を伸ばし、隣のビルに巻き付けると、落下速度を落として静かに地面に降り立つ。
 そこは夜の街。
 表通りに行けば、まだ多くの人間たちがいるだろう。
 だが、表通りは明るい。
 咲くのは闇の中の方がいい。
 闇の中でこそ私は美しく咲ける。
 梓紗はそう思い、暗い裏通りへと向かって行った。

 楽しそうな話声がする。
 人間の男女が歩いてくるのだ。
 若い男女。
 養分にはちょうどいいかもしれない。

 ヒュッと風を切る小さな音が鳴る。
 梓紗の蔓が鞭のように空を切ったのだ。
 ビシッと言う音がして、男の頭が砕け散り、血しぶきと肉片が飛び散っていく。
 ハア……ン……
 なんて気持ちがいいのだろう……
 養分は昨日のことを考えれば、今は一人分で充分。
 なら、美しい女の方を食べたいもの。
 男はいらない。
 だから殺す。
 でも……
 人間を殺すのがこんなに気持ちがいいとは思わなかった……

 「ひぃっ!」
 突然隣を一緒に歩いていた男の頭が砕け散ったことで、女は小さく悲鳴を上げて腰を抜かしてしまう。
 飛び散った血や肉片が、彼女の躰にも降り注ぎ、真っ赤に染め上げている。
 悲鳴を上げて逃げ出そうにも、立ち上がるどころか躰ががくがくと震えて動けない。
 「だ……だ……誰か……」
 必死に助けを呼ぶ彼女のもとに、闇の中から人影が現れる。
 いや、それは確かに人のような姿をしていたが、頭には大きな赤と黄色の花を咲かせ、花托の部分には赤い唇が笑みを浮かべており、黒い全身タイツをまとったような躰には、大きな葉が何枚も広がった蔓が全身に絡みついていた。
 「バ……ケ……」
 言葉がうまく出てこない。
 彼女の口はただパクパクと開閉されるのみ。
 呼吸すら難しいぐらいだった。

 「ふふふ……」
 梓紗は蔓を伸ばす。
 躰に巻き付いている蔓は、彼女の思うとおりに動かせる。
 この蔓を獲物に巻き付け、引き寄せるのだ。
 そして身動きできなくなった獲物を溶かして養分にする。
 あの女は美味しそう……

 「い、いやっ!」
 女性の足に蔓が絡みつく。
 「ひっ!」
 その蔓が強い力で彼女を引きずり始めたのだ。
 「い、いや、むぐっ!」
 今度こそ大きな悲鳴をあげようとした彼女だったが、蔓は足だけではなく躰にまで巻き付いてきて、その紫色の大きな葉が彼女の口をふさいでしまう。
 ぎりぎりと蔓が躰を締め付け、彼女を梓紗の方へと引き寄せる。
 梓紗自身も獲物を迎えるかのように彼女に近づくと、蔓で躰を起こすように持ち上げて彼女を立たせ、両手でゆっくりと抱きかかえる。
 「むぐぅ……むぐぅ……」
 「ふふふ……怖がることはないわ。あなたは養分になるの。私の養分にね」
 真っ赤な唇がニタッと笑う。
 「んんんん……」
 女性を両手で抱きしめ、蔓に生えている毒のトゲを突き立てる梓紗。
 「ひぐっ」 
 毒のトゲが女性を一瞬で絶命させ、やがてその躰はどろどろに溶かされて梓紗の中へと吸収されていく。
 わずか数分で、女性の躰はきれいな白骨となり、梓紗の足元に転がっていた。

 「んふふ……美味しい」
 真っ赤な唇を紫色の舌でぺろりと舐める梓紗。
 足元の白骨化した死体を見るとぞくぞくする。
 これが自分のやったことだと思うと、胸が高鳴るのだ。
 楽しい……
 もっともっと狩りをしたい。
 養分としてだけではなく、狩りとしても楽しみたい。
 彼女はそう思う。

 「ふっふっふ……見事なものだ」
 闇の中から重く響く声がする。
 「誰?」
 気配を感じて振り返る梓紗。
 やがて闇の中から全身を黒い金属鎧で包んだがっしりとした体格の男が現れる。
 精悍な顔つきに鋭い目をしたその男は、口元に薄く笑みを浮かべていた。

 「キーラーガ……将軍……」
 梓紗はすぐに彼が何者かを理解する。
 暗黒帝国ヤミンゲルの魔将軍キーラーガそのものに間違いない。
 ギラットピンクとしての梓紗は、戦いの最中にその姿を何度か目にしていたのだ。
 そのキーラーガ将軍がどうして……

 だが、梓紗はスッと片ひざを折ってひざまずく。
 自分の中の何かが抵抗するが、それ以上に彼こそが自分を支配するものと理解したのだ。
 梓紗に埋め込まれたビアンドラゴラの種は、ヤミンゲルの皇帝の手で闇の力が加えられ強化されていると同時に、魔獣人となったのちは皇帝に服従するように刷り込みがされている。
 そのため、今の梓紗は自分は皇帝陛下に服従する忠実なしもべであるという意識に支配され、皇帝陛下にその身すべてを捧げるのが当然と考えるようになっているのだ。
 その皇帝陛下が指揮を任せる魔将軍キーラーガ。
 梓紗は自然とひざまずいていた。

 「ほう……俺を知っているようだな。やはりお前がギラットピンクだからか?」
 いきなり彼女がひざまずいてきたことに、やや戸惑いを感じるキーラーガ。
 「暗黒帝国ヤミンゲルの魔将軍キーラーガ……“私”の記憶にはそう刻まれております」
 下を向いたまま顔を上げることもせずに答える梓紗。
 赤と黄色の毒々しい大輪の闇の花がキーラーガの前で咲いている。
 「それがわかっていながら、俺にひざまずくのだな?」
 「私の中の“私”はやや抵抗を感じている様子。ですが、私は暗黒帝国ヤミンゲルの偉大なる皇帝陛下によって生み出された身。皇帝陛下とヤミンゲルの魔将軍であられるキーラーガ様にひざまずくのは当然のこと」
 彼女は心からそう思う。
 なぜ自分の中の“私”が抵抗するのかわからない。

 「ほう……ならば話が早い。俺は皇帝陛下よりお前の指揮を任されておる。俺に従うのだ、ビアンドラゴラよ」
 ひざまずいて頭を下げている彼女を好ましく思うキーラーガ。
 なるほど、この女なら有能な部下になるに違いない。
 「かしこまりました、キーラーガ様……ビアンドラゴラ?」
 キーラーガが自分をそう呼んだことに、思わず顔を上げる梓紗。
 今まで自分が何者なのか、彼女の中ではっきりしていなかった。
 梓紗という名前は“私”のものであり、私は梓紗ではないという意識が存在したのだ。
 それがビアンドラゴラと呼びかけられたことで、彼女の中で自分が何者であるかがすうっと浸み込んでいく。
 「そうだ。お前は闇に咲く美しき毒花ビアンドラゴラ。暗黒帝国ヤミンゲルの魔獣人ビアンドラゴラだ」
 「私は……私は闇に咲く毒花ビアンドラゴラ……はい、キーラーガ様。私は魔獣人ビアンドラゴラ」
 梓紗の中で意識が組み替えられていく。
 今の彼女はもう桃川梓紗などという人間ではない。
 闇の毒花の魔獣人ビアンドラゴラなのだ。

 「ビアンドラゴラよ。これからは俺に従い、ヤミンゲルのために働くがいい」
 「はい、キーラーガ様。このビアンドラゴラ、喜んで暗黒帝国ヤミンゲルと皇帝陛下のために尽くします。ふふふふふ……」
 まるで自分の居場所を見つけたかのように喜ばしい気分になるビアンドラゴラ。
 その赤い唇に笑みが浮かぶ。
 美しい悪魔の花が完全に花開いた瞬間だった。

                   ******

 「ん……」
 ゆっくりと意識が戻ってくる。
 もう朝……だわ……
 ベッドの中で目を開ける梓紗。
 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 昨晩の記憶がなんだかはっきりしない気がするが、それは“私”にはどうでもいいことだと何かがささやいてくる。
 「うーん……と」
 両手を伸ばして思い切り伸びをし、ごそごそとベッドから抜け出す梓紗。
 布団から出ると、自分がなにも着ていないことに気付き、タンスから下着を取り出して身に着けていく。
 ふと、自分の胸から腹部にかけて黒いナイロンのように変化した肌が広がっているのを目にするが、それも“私”が気にすることではないらしい。

 梓紗はいつものように身支度を整え、いつものように家を出て本部へ向かう。
 なんだか今日は気分がいい。
 躰の調子もいいようで、力がみなぎっている。
 夕べしっかり眠ったからかもしれない。
 太陽の光がまぶしいが、日陰に居ればどうってことはない。
 ただ、太陽の光はちょっと苦手に感じた。

 「お、来たか。これでそろったな。おはよう、諸君。早速だが、昨晩また白骨死体が見つかった」
 梓紗がいつものように着替えて司令室に行くと、既にほかのメンバーは集まっており、司令の虹倉が声をかける。
 「えっ?」
 「またですか?」
 仁も道太も表情が引き締まる。
 「うむ。しかも、今度はそばに惨殺死体もあったそうだ。どうも人間業とは思えないらしい」
 「惨殺死体? うっ!」
 テーブルに回ってきた現場写真に、思わず声を詰まらせる道太。
 まるで人間の頭でスイカ割りをしたように砕かれている。
 「ひどい……」
 涼美も梓紗も言葉を失う。
 「おそらくヤミンゲルの仕業に違いない。各自、一層の警戒をお願いしたい」
 「了解です。しかし、奴らはこっちのいない隙を狙っているのか?」
 仁がぐっとこぶしを握る。
 連日警戒はしているのだが、ヤミンゲルの動きはなかなかつかめないのだ。
 「どうですかね? もしかしたらたまたまかもしれません。むしろ今後は夜に巡回の重点を置くべきでは?」
 晃の提案に虹倉司令もうなずく。
 「確かに二件とも発生は夜間だ。巡回を夜間重点に切り替えるほうがいいかもしれん」
 「わかりました。それではそのように」
 リーダーであるギラットレッドの仁が立ち上がる。
 他のメンバーも彼に続いて、司令室を後にした。

 「とりあえず今日から街の巡回は夜間中心で行う。昼間は本部で待機して、それぞれ仮眠をとるようにしてくれ」
 「了解」
 「OK」
 仁の指示に他の四人がうなずく。
 「まあ、とはいってもさっき起きて本部に来たばかりだからな。寝るってわけにもいくまい。とにかく詰所で楽にしてていいよ。仮眠したくなったら仮眠室を使ってな」
 「そうだな。まあ、そういうことで」
 道太が腕を組んで仁にうなずいている。
 リーダーの脇を固める冷静な相棒という感じで、仁と道太はいいコンビでもあるのだ。
 「とりあえず相手の正体を探らなければなりませんね。これまでヤミンゲルはたいてい事件の現場に行けば魔獣やヤミゾーといった連中が暴れてましたから、今回のように姿を見せないというのは今までにないことです」
 晃がタブレットで情報を収集する。
 もちろん本部では専門チームがヤミンゲルの情報収集に余念がないのだが、こういった一般のネット情報も意外とバカにならないのだ。
 実際SNS等でも、白骨死体の話は広まっており、いろいろと憶測が飛び交っている。
 「確かに今回は今までとは違うわね」
 「新しい魔獣なんでしょうか?」
 涼美も梓紗も今までのヤミンゲルの活動との違いにやや戸惑いを隠せない。
 「それはなんとも言えんが、とにかくこれ以上犠牲者を出さないようにしないとな」
 仁の言葉に皆はうなずくのだった。

 結局昼間は特に何もなく、夕方から仮眠をとった梓紗は気持ちよく寝ていたところを起こされ、夜間の巡回に出発する。
 「いいか、何かあったらまずみんなに連絡するんだ。決して一人で対処しようとするな。必ず二人以上になるのを待て。とにかくまずは相手の正体を確認するのが先だ」
 出掛けに仁が言っていたことが脳裏に浮かぶ。
 確かにまず相手を確認しなくてはならない。
 おそらくヤミンゲルの新しい魔獣だろうとは思うが、相手がわからなければ対処のしようもないのだ。

 「ふわぁぁぁぁ」
 とは言うものの、寝ていたところを起こされてしまった梓紗はまだ眠気が抜け切っていない。
 なのでついつい大きなあくびが出てしまう。
 それこそ道太や涼美が一緒にいたら、たるんでいるぞとか言われかねないところだが、幸い今は一人きり。
 ギラットレンジャーのメンバーはそれぞればらばらに散らばり、広範囲をカバーしようという作戦なのだ。
 もちろん誰かから連絡があればすぐに駆け付け、みんなで対処するというのは変わらない。
 だが、静かな夜の住宅街で車を走らせていると、事件など起こりそうにない雰囲気で、ついついあくびも出てしまうのだ。
 ふう……
 なんだか今日はやけに眠く感じる。
 いつもなら寝ている時間になったからだろうか……
 それでいて、夜遅くなるにつれて、躰の方はなんだか力がみなぎってくるような感じもする。
 そう……
 何かが湧き上がってくるような……

 「はっ」
 見ると、人気のない道を一人の女性が歩いている。
 タイトスカートのスーツ姿であるところを見ると、OLさんが遅くまで残業をしてようやく家路についているところなのかもしれない。
 周囲にほかに人影はないにしろ、もう日付も変わろうとしているこんな時間に一人で夜道を歩かせておくのは危険だろう。
 それこそ昨晩同様の事件に巻き込まれないとも限らないのだ。
 彼女を安全なところまで送ってあげないと……
 ドクン……
 彼女を……
 ドクン……
 安全な……
 ドクン……ドクン……
 彼女を……
 ドクン……ドクン……ドクン……
 養分に……

 急速に頭がぼうっとしてくる梓紗。
 あれ?
 私……
 あ……れ……
 急いで車を脇に寄せて止め、エンジンを切る。
 このまま運転するのは危険だ。
 いったい……何が……?
 わ……た……し……

 考えがまとまらなくなっていく。
 ハンドルにもたれかかるように躰を預け、目を閉じる梓紗。
 ハア……ハア……ハア……
 息が荒くなり、ジャケットの前を開け、そのままジャケットを脱いでいく。
 それどころか、下に着ていたブラウスも脱ぎ、ブラジャーだけの姿になる。
 わたしは……なにを……?
 そのままスカートのホックも外し、狭い車内で無理やり脱ぎ捨てる。
 なに……わたし……なにやって……?
 自分の躰がまるで自分のものじゃないようだ。
 何かが彼女の躰を使っているとでもいうような感じが梓紗を襲う。
 いけない……みんなに……
 そう思うものの、梓紗の手は嵌めていたブレスレットも外してしまう。
 わたし……わ……た……し……

 下着だけの姿になった梓紗の躰。
 その躰が黒く染まっていく。
 紫色の葉とトゲの付いた蔓がシュルシュルと巻き付いて彼女の躰を覆っていく。
 足からはブーツが脱げ、そのまま変化してハイヒール状になっていく。
 髪の毛がシュルシュルと伸びて頭に巻き付いていき、巨大なつぼみを作り上げる。
 やがてそのつぼみは花開き、内側が黄、外側が赤の巨大な毒々しい花を形作る。
 梓紗の頭の下半分は黒い花托となり、唇だけが妖しく赤く笑みを浮かべていた。

 「ふふ……」
 ドアを開けて車の外に出るビアンドラゴラの魔獣人。
 蔓のトゲでズタズタになってしまった下着の切れ端を放り捨てる。
 「ふふ……さあ獲物を狩りに行きましょ。“私”はしばらく寝ているといいわ。大丈夫。そろそろ“私”も私になる……」
 車のドアを閉め、ゆっくりと歩き出すビアンドラゴラの魔獣人。
 すでに獲物は遠ざかっていたが、後を追うのは造作もない。
 蔓を伸ばし、電柱や街路樹に引っ掛けては躰を移動させていく。
 人間の歩行速度などたかが知れているのだ。
 あっという間に彼女は獲物に追いついていた。

 「ふふ……見つけた」
 帰り道を進む女性の前に突然現れる鮮やかな毒花。
 それはまさに頭の部分に毒々しい赤と黄色の花を咲かせた女性の姿。
 「ひっ! ば、化け物!」
 見たこともない巨大花に思わず声を上げてしまう。
 「化け物だなんてひどいわ。こんなに美しい花なのに。そう思わない?」
 「い、いやっ……こ、来ないで……」
 ゆっくりと近づくその姿に、女性は思わず後ずさる。
 大声を上げたいのに、恐怖で声を上げることもできない。
 「うっ……げほっ」
 女性の周囲に黄色いガスのようなものが沸き起こる。
 ビアンドラゴラの花から毒花粉が撒き散らされたのだ。
 花粉はたちまち女性の躰を麻痺させ、彼女はその場に倒れ込んでしまう。
 もはや意識はあっても躰を動かすどころか、声すら出せなくなったのだ。
 「ふふ……あなたは選ばれたのよ。私の養分として。ああ……なんて美味しそうなのかしら……」
 花の下にある濡れたような赤い唇を、紫色の舌がぺろりと舐める。
 「んふふ……あとはあなたの番。さあ、そろそろ起きなさい、“私”」
 ビアンドラゴラがそうつぶやくのを、女性はただ恐怖とともに見上げるしかなかった。

 「う……あ、えっ? こ、ここは?」
 梓紗が気が付くと、そこはいつの間にか深夜の人気のない通りだった。
 地面にはさっき見かけた女性が倒れている。
 「あっ、大丈夫ですか?」
 梓紗が思わず手を伸ばすと、その手が真っ黒で紫色の葉の付いた蔓が巻き付いていることに気付く。
 「えっ?」
 慌てて全身を見下ろすと、そこにはまるで黒い全身タイツを着たような感じでボディラインがあらわになっている躰と、その躰にも腕と同じように紫色の葉の付いた蔓が巻き付いているのがわかる。
 「こ、これは? “私”の躰はいったい?」
 (何を言っているの? これこそが私の本当の姿でしょ?)
 「えっ?」
 梓紗の頭の中でもう一つの声が聞こえてくる。
 それは聞いててとても心が落ち着くような声で、安心感がある声だ。
 「“私”の本当の姿?」
 (そう……これが私の、そして“私”の本当の姿)
 「“私”の本当の姿……」
 (そう……あなたは私。“私”は私。私たちは二つで一つになるの。ほら、彼女はとても美味しそうでしょ?)
 梓紗はコクンとうなずく。
 声の言うとおりだ。
 目の前で地面に横たわる彼女はとても美味しそう。
 養分として吸収したくなる。

 (もうやり方はわかるでしょ? さあ、蔓を伸ばして……)
 梓紗は言われたままに右手から蔓を伸ばしていく。
 シュルシュルとまるで指を動かすごとくに蔓が思い通りに伸びていく。
 (そう……あなたは私。“私”は私。毒のトゲが獲物を殺すわ。さあ……)
 「毒のトゲが……獲物を殺す……」
 ドキドキする。
 獲物に蔓が巻き付いていくのだ。
 すでに獲物は毒花粉で麻痺している。
 あとはトゲを刺すだけ。
 とても簡単でぞくぞくする気持ちよさ。
 ああ……なんて楽しい……

 梓紗は獲物に蔓を巻き付けてトゲを刺す。
 毒が注入され、獲物が死ぬのがわかる。
 簡単なこと。
 あとは溶かして養分として吸い尽くす。
 梓紗の口元に笑みが浮かぶ。
 さあ、いただきましょう。

 足元に転がる白骨。
 肉も血もすべてが梓紗の中に吸収された。
 なんて気持ちいいのだろう。
 これが養分を摂るということ。
 これが人間を食べるということ。
 なんて素敵なんだろう。
 夜の闇に咲き、その香りに引き寄せられてきた人間を食べる。
 それこそが“私”の喜び。
 ううん・・・
 “私”は私。
 私は闇に咲く花、魔獣人ビアンドラゴラなんだわ。

 梓紗の思考がビアンドラゴラと一つになる。
 もはや梓紗はビアンドラゴラ。
 闇に咲く毒花なのだ。

 「ふふふ……」
 ビアンドラゴラが花を閉じる。
 閉じた花はじょじょに変化して梓紗の顔へと変わっていく。
 紫色の葉の付いた蔓が巻き付く黒い躰も、だんだんと梓紗の躰へと変化する。
 先ほどのような裸ではない。
 着ていたピンクのジャケットなどの服も形作られるのだ。
 数分でビアンドラゴラは本部を出たときの梓紗の姿へと変わっていた。
 「ふふ……この姿も悪くないわ。“私”の姿なんだし……」
 くすっと梓紗が笑う。
 どうして今まで人間などというくだらない存在だったのだろう……
 私は花なのに……
 それも闇でこそ咲き誇る闇の毒花。
 人間など養分にすぎないではないか。

 「ひっ!」
 小さな悲鳴が聞こえる。
 見ると、中年のサラリーマンが腰を抜かしてへたり込んでいた。
 どうやら彼も帰路がたまたまこの道だったらしい。
 梓紗の足元に転がる白骨を見て、驚いてしまったのだろう。
 「あ、あんた……」
 恐怖の目で梓紗を見上げながら、警察を呼ぶつもりなのかスマホを取り出そうとしている。
 「ひぐっ!」
 梓紗の右手から蔓が伸び、男の頭を貫き刺す。
 「ふふっ」
 養分は先ほど摂ったばかり。
 こんな男など食べる気にもならない。
 やっぱり食べるのなら女がいい。
 でも、こうして殺すのは楽しい。
 もっともっと殺したい。
 「うふふ……」
 梓紗は血に濡れた蔓を引き戻すと、右手を人間に擬態させ、その場を後にした。

 車に戻った梓紗は、しばらく夜のドライブを楽しんでいく。
 夜は気持ちがいい。
 昼間に活動するなんてどうかしている。
 夜の闇こそ私にはふさわしい。
 表通りはこの時間でも人が多い。
 その気になればいつでも養分を得ることは可能なのだ。
 「うふふ……」
 梓紗は楽しくなる。
 こんなに獲物がいるなんて、なんてこの世界は素敵なのだろう。

 『桃川! 桃川! 聞こえるか? 応答どうぞ』
 嵌め直したブレスレットから虹倉司令の声が流れてくる。
 「はい、こちら桃川」
 運転をしたまま、無表情で答える梓紗。
 『虹倉だ。今どのあたりだ?』
 「O地区とN地区の境目というところです」
 道路わきに車を止める梓紗。
 気分良くドライブをしていたというのに、一体なんだというのだろう。

 『O地区にいたんだな? O-13ブロックで何か見なかったか?』
 O-13ブロック……
 先ほどまで梓紗がいたところだ。
 「何も見てませんが」
 『そうか……O-13ブロックで惨殺死体と白骨が見つかったんだ。至急戻ってくれ。今全員そちらに向かうよう指示を出した』
 「わかりました」
 車を発進させて交差点を曲がる梓紗。
 どうやら先ほどの死体が見つかったらしい。
 うふふ……
 あの女は美味しかったわ……

 梓紗が車を引き返させた時には、すでに現場には規制線が張られており、何台もの警察車両が赤色回転灯を光らせていた。
 梓紗は車に脱ぎ捨ててあった“本物のジャケット”から身分証を取り出し、何食わぬ顔で規制線を通り抜ける。
 白骨と男の死体はすでに運び出されていたようで何もなかったが、地面にはまだ生々しい血の跡があり、そこで何があったかを物語っていた。
 「おう、来たか」
 現場には道太と晃がすでに来ており、仁と涼美ももうすぐ来るとのこと。
 梓紗は“三番目”に現場に到着したことになるらしい。

 「また?」
 「ああ……昨日と同じように白骨が一つと殺された男性が一人だ」
 道太が苦虫を噛み潰したような顔でそう答える。
 巡回を強化したばかりだというのに、この始末なのだ。
 「梓紗さんはこの付近を通ったんですよね? 何か気が付いたことはありませんでしたか?」
 「いいえ、何も……」
 無表情で晃に首を振る梓紗。
 「梓紗が通った後ってことか……」
 「そういうことになりますね……」
 晃と道太が顔を見合わせる。
 その場で暴れまくる魔獣であれば、五人が集結して対処することは充分に可能なのだが、こうして神出鬼没に動き回られるのでは、いかにも五人では手が足りない。

 「遅くなった」
 仁と涼美も駆けつける。
 来る途中に周囲を警戒してみたらしいが、やはり何もつかめなかったという。
 それを聞いて、なんだか梓紗はおかしかった。
 目の前に私がいるというのに、この連中は全く気が付いていないんだわ。
 うふふふ……バカみたい。
 こんな連中の仲間だったなんて……

 「とにかく手分けして痕跡を探ろう。このままだとまた犠牲者が出てしまう。みんなも疲れていると思うが頼むぞ」
 「ああ」
 「ええ」
 仁の言葉にみんながうなずく。
 五人はあらためて敵の痕跡を探るべく散っていく。
 一人を除いて……


 深夜の人気のない公園にやってくる梓紗。
 そこに人影が一つ現れる。
 「こんなところで暇つぶしかな?」
 街灯に照らし出される黒い鎧。
 その鋭い目が梓紗を見る。
 「キーラーガ様!」
 梓紗はすぐに片膝をついてひざまずく。
 つい昨日まで敵だと思っていた意識はどこにもない。
 それどころか、敬愛する魔将軍とさえ思うのだ。

 「ククク……その姿でひざまずかれるというのは悪くないな」
 キーラーガの口元に笑みが浮かぶ。
 敵であるギラットピンクがひざまずいているのだから無理もない。
 「これまでの数々の御無礼、どうかお許し下さいませ」
 私はどうしてこれまでこのお方を敵だなどと思っていたのだろう……
 暗黒帝国ヤミンゲルこそ、世界を支配するのにふさわしい組織。
 その幹部たる魔将軍キーラーガ様に私はなんということを……

 「ククク……どうやらほぼ意識が一つになったようだな、ビアンドラゴラよ」
 梓紗はハッとする。
 そうだわ……
 私はビアンドラゴラ。
 この方の前で擬態している必要などないというのに……
 シュルシュルと梓紗の髪が頭部を包み込んでつぼみになる。
 そして巨大な毒々しい花が咲き、梓紗の姿がビアンドラゴラへと変化する。
 「うむ、いい香りだ。美しいぞ、闇の花ビアンドラゴラよ」
 「ありがとうございますキーラーガ様。ご覧の通り私は“私”と一つになることができました。もはや“私”も桃川梓紗などという人間の女ではなく、魔獣人ビアンドラゴラですわ」
 ビアンドラゴラが唇をぺろりと舐める。
 もう私と“私”の意識差に迷うこともないだろう。
 事実、先ほどギラットレンジャーのメンバーと会った時にも、“私”の中にあったのは彼らへの嫌悪感のようなものであり、仲間意識は消え去っていたからだ。

 「ビアンドラゴラよ。どうやらお前の擬態能力はかなり優れたもののようだ。その力でギラットレンジャーを殲滅するがいい」
 「ハハッ、キーラーガ様の仰せのままに」
 頭をより深く下げるビアンドラゴラ。
 ふと彼女の中である考えが浮かぶ。
 「キーラーガ様、私……面白いことを思いつきましたわ。うふふふふ……」
 ビアンドラゴラは顔を上げ、楽しそうに口元に笑みを浮かべていた。

(続く)
  1. 2021/07/18(日) 20:00:00|
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闇に咲く美しき毒花 (1)

今日から三日間で当ブログ「舞方雅人の趣味の世界」の16周年記念SSを投下させていただきます。

タイトルは「闇に咲く美しき毒花」です。
戦隊ヒロイン異形化悪堕ちものとなります。
お楽しみいただけましたら幸いです。

それではどうぞ。


闇に咲く美しき毒花

 『ギラットフラーーッシュ!』
 掛け声とともに、五人のそれぞれから赤、青、黄、ピンク、緑の光が飛び出し、それが交わりあって目もくらむようなまぶしい光へと変化する。
 その光は一直線に先ほどまで暴れていたイノシシ型の魔獣へと向かい、その躰を包み込む。
 『グギャァァァァァ!』
 断末魔の悲鳴を上げ、粉々に砕け散る魔獣。
 光が消え去った後には魔獣のかけらが散らばるのみであり、それもやがては塵のように崩れ去り、風に吹き飛ばされて消えて行った。

 映し出された映像が消え、静寂に包まれた闇が戻る。
 わなわなと肩を震わせ、ぐっとこぶしを握り締める一人の偉丈夫。
 全身を黒い金属鎧で覆い、頭には角の付いたヘルメットをかぶっている。
 青い皮膚でできた精悍な顔つきは屈辱に歪み、ぎりぎりと音が聞こえそうなほどに歯が噛みしめられていた。

 またしても……
 またしても送り込んだ魔獣が敗れ去ったのだ。
 これで何体目になるというのか。
 光り輝く地上を闇の世界にするためには、一体あと何体の魔獣が必要だというのか。
 それもこれもあの……

 「おのれ、ギラットレンジャーめ……」
 映像の消え去った闇に向かってつぶやく。
 赤、青、黄、ピンク、緑の五色のバトルスーツに身を包んだ地上人たち。
 奴らさえいなければ、とっくの昔にこの世界の地上は闇に染まっていただろう。
 皇帝陛下の治める闇の世界がまた一つ増えるはずだったのだ。
 だが……
 その目的は、今もまだ達成できてはいない。

 万策尽きたわけではない……
 次こそは奴らを葬り去ってみせる。
 そうは思うものの、具体的な策は決まっていない。
 今回の魔獣デルベロンは、最強ともいえる狂暴な魔獣だったのだ。
 そのデルベロンでさえ敵わなかったとなると……
 うーむ……

 『キーラーガよ』
 闇の中から声が響き、男の背中がビクッとなる。
 今は一番聞きたくない声。
 皇帝陛下の声なのだ。

 『キーラーガよ』
 「ハ、ハハッ」
 すぐにひざまずく金属鎧の男。
 魔将軍キーラーガとは彼のことなのだ。
 『キーラーガよ……またしてもギラットレンジャーにしてやられたようだな』
 「ハ……も、申し訳ございません」
 どのような言い訳も意味がないであろう。
 暗黒帝国の皇帝は、すべてを見通しているはずなのだ。
 おとなしく平伏するしかない。

 『キーラーガよ。次の作戦はどうなっておる?』
 闇の中から声だけが聞こえてくる。
 いや、闇こそが暗黒帝国の皇帝そのものなのかもしれない。
 「そ、それは……まだ……」
 キーラーガの額に汗が浮かぶ。
 次の作戦など、今だ何も決まってはいないのだ。
 どうしたものか……

 闇の中にぼうっと何かの姿が浮かび上がる。
 花だ。
 黒く太い茎に、内側が黄色く外側が赤い花びらでできた毒々しい花が載っている。
 茎には紫色をした葉の付いた蔓が何本も絡みついており、茎にも蔓にもトゲが付いていた。

 『キーラーガよ。この花を知っておるか?』
 「ハ、ハッ、ビアンドラゴラ……ではございませんでしょうか?」
 キーラーガが見覚えのあった花の名を答える。
 『そうだ。闇の毒花、ビアンドラゴラだ。これがどのような花かも、知っておるな?』
 「ハハッ、もちろんでございます」
 キーラーガの脳裏にその花の特徴が浮かぶ。

 ビアンドラゴラ……それは闇に咲く毒花。
 光ではなく闇の世界で育ち、赤と黄色の毒々しい花を咲かせ、その甘い香りによって獲物を引き寄せる。
 引き寄せた獲物は毒花粉によって麻痺状態にされた上、茎か、もしくは紫色の葉を持つ蔓にある毒のトゲに刺されて殺され、花の近くに横たわる。
 横たわった獲物は蔓に巻き付かれ、その血肉を溶かされて吸収されてしまうのだ。
 まさに闇の毒花という名にふさわしい食肉花である。

 『キーラーガよ。次の作戦にはこのビアンドラゴラを使うがいい』
 むう……
 キーラーガの顔に不満が浮かぶ。
 「お言葉ですが皇帝陛下、すでに一度ビアンドラゴラを魔獣へと変貌させることは試してございます。ですがその結果はどうにも芳しいものではなく……」
 魔獣化して動けるようにしたにもかかわらず動こうともせず、ただ近くに来た獲物に蔓を巻き付けて殺すだけでは意味がない。
 やはり元が毒花とは言え植物では魔獣には不適当なのだ。

 『愚か者!』
 「むおっ、ハ、ハハッ」
 突然の叱責に驚き、言葉を失うキーラーガ。
 その足元に、アーモンドのような形をした種が現れる。
 『ビアンドラゴラはただの植物。魔獣にしたところで結果が良くないのは当たり前ではないか』
 「ハ、ハハッ。おっしゃる通りです」
 キーラーガはただ頭を下げるばかり。
 『地上の人間を使うのだ。その種は我が魔力を込めたビアンドラゴラの種。その種を人間に植え付ければ、種は人間の体内で発芽し、やがてその者をビアンドラゴラの魔獣人へと変えるであろう』
 「人間にですと?」
 思わずキーラーガは顔を上げる。
 魔獣の素体に人間を使うなどとは考えもしなかった。
 地上の人間は邪魔なだけの存在であり、ある程度間引いて支配するべきものという考えしか彼にはなかったのだ。
 『そうだ。ビアンドラゴラに知性を与え、魔獣として活用できるようにするのだ』
 「なるほど。さすがは皇帝陛下。このキーラーガ、つくづく感服仕りました」
 『よい。すぐに行動を開始せよ』
 「ハハッ!」
 キーラーガは一礼し、ビアンドラゴラの種を手に取る。
 なるほど、確かに地上の人間どもにも我らと同様の高い知性がある。
 その知性を我らの魔獣として生かすというわけか……
 面白い……
 さて……
 どんな人間にこの種を植え付けようか……

                   ******

 「あら、来てくれたの? 忙しいのに悪いわね。今日はお休みなの?」
 落ち着いた清楚な雰囲気の髪の長い女性が、会場に駆け込んできたタイトスカート姿の若い女性に声をかける。
 「いえ、外回りの途中なんですけど、ちょっと抜け出してきちゃいました」
 えへっとばつが悪そうに小さく笑って見せる、栗色のショートヘアの若い女性。
 何かで鍛えているのか引き締まった躰はスタイルも良く、タイトスカートが良く似合っている。
 輝く目にも意志の強さが見て取れた。
 「あらあら、大丈夫なの?」
 困ったもんだというように、髪の長い女性の方もくすっと笑みを浮かべる。
 「はい。時間的余裕はあるし、早奈美(さなみ)ちゃんの試合を見たらすぐ戻りますから。早奈美ちゃん、もう出ちゃいました?」
 「ううん、まだよ。もうそろそろのはず。早奈美も梓紗(あずさ)が応援に来てくれたと知れば、きっと力が湧くと思うわ」
 「だといいんですけど……早奈恵(さなえ)先輩はともかく、私の場合は厄介なOGが来たとでも思っているかもしれませんよ」
 梓紗と呼ばれた女性がそう返すと、二人は互いの顔を見合わせ、笑いながら客席の方へと向かっていく。

 競技場の方では、色とりどりのレオタードやユニタードを身にまとった若い女性たちが競技の準備に余念がない。
 今日は全国体操競技選手権の本大会なのだ。
 全国からやってきた選りすぐりの選手たちが腕を競う。
 その中でも、梓紗の応援する早奈美はトップクラスの選手であり、メダル候補なのだった。

 「がんばってー、早奈美ちゃーん!」
 競技場の端にいた早奈美を目ざとく見つけ、大声で応援する梓紗。
 早奈美は梓紗自身の学校の後輩でもあり、敬愛する早奈恵先輩の妹でもある。
 梓紗自身も、五年ほど前はこうしてこの競技場で体操の演技を行ったものなのだ。
 今でこそギラットレンジャーの一人、ギラットピンクとして活動しているが、それももとはと言えば、この体操競技で培われた身体能力の高さゆえでもある。
 もっとも、彼女がギラットピンクであることは、早奈美にも早奈恵先輩にも言っていない秘密なのだが……


 「ふむ……この女か……」
 映像に映し出される髪の長い女性に目を向けるキーラーガ。
 羽賀谷早奈恵(はがや さなえ)、奴らの年齢で24歳。
 元体操競技の全国トップレベルの競技者であり、知性も高い。
 ビアンドラゴラの種を植え付けるのにふさわしい人間というわけだ。
 暗黒帝国ヤミンゲルの誇る生体脳コンピュータである闇頭脳が選び出したのである。
 間違いは無かろう。
 すでにビアンドラゴラの種は現場に運ばれている。
 あとは種を植え付けるのみ。
 ビアンドラゴラの種を植え付けられればこの女は、やがてビアンドラゴラの魔獣人となるのだ。
 クックック……
 キーラーガの顔に笑みが浮かぶ。

 一匹の黒い虫が飛んでいる。
 その脚にはアーモンドのようなビアンドラゴラの種が抱え込まれている。
 この種を早奈恵の躰に接触させれば、あとは種が勝手に体内に潜り込んでいくのだ。
 ビアンドラゴラは獲物の中に種を埋め込み発芽させる植物。
 そのため、獲物が離れた場所に行けるように、獲物を生かしたまま種が潜り込むのだ。
 種を植えこまれた獲物は、気が付かないままに遠くへと行き、そこでビアンドラゴラが芽吹いてその地に根付くことになる。
 獲物の躰は最初の養分となるのだ。
 その性質を皇帝陛下は利用されているのだろう。

 競技場では早奈美の演技が始まる。
 客席で応援する早奈恵と梓紗。
 その早奈恵の頭上に、黒い虫が近寄っていく。
 「いいぞ……そのまま行け」
 映像に映し出される光景に、キーラーガは思わず声を出す。


 「あっ!」
 「キャッ!」
 梓紗と早奈恵が声を上げる。
 応援に夢中になってしまい、梓紗が手にしていたペットボトルが早奈恵の振り上げた手で弾かれてしまったのだ。
 幸いふたをしていたので、中身がこぼれるようなことはなかったが、ペットボトルが梓紗の手を離れたことに驚いた早奈恵は思わず躰をのけぞらせ、梓紗も飛んでしまったペットボトルを取ろうとして手を伸ばしたため、梓紗を上にして二人が重なるような格好になってしまう。

 「痛っ」
 何かが首筋にあたったようなちょっとした痛み。
 梓紗は思わずそう口にしてしまう。
 残念ながら早奈恵の上にかぶさるようにして手を伸ばしたにもかかわらず、ペットボトルは三つほど離れた席の足元に落ちてしまう。
 「あー、すみません」
 梓紗は痛みを感じた首筋に手を当て、ペットボトルを拾いに行く。
 幸い誰にも当たりはしなかったものの、迷惑をかけてしまったことで周囲の客に頭を下げ、そそくさと梓紗はペットボトルを拾って戻ってくる。
 「ご、ごめんね梓紗」
 戻ってきた梓紗に手を合わせて謝る早奈恵。
 「いえいえ、こちらこそ先輩に手が当たっちゃって」
 梓紗も席に座り直して頭を下げる。
 「大丈夫? 痛くなかった?」
 「あー、なんか首に当たったような気がしたんですけど、大丈夫そうです」
 梓紗が首筋を触った手を確かめる。
 別に血が付いているわけでもないし、そもそも痛み自体も今はもう無い。
 きっと何かが当たったんだろう。
 梓紗はそう思う。

 それは偶然のタイミングだった。
 ビアンドラゴラの種を持った黒い虫は、予定通りの位置に問題なく達していた。
 そして、今まさに種を早奈恵の頭の上に落とそうとしたとき、早奈恵の手が梓紗のペットボトルを弾き飛ばし、早奈恵は身をよじってのけぞり、早奈恵の位置にペットボトルを取ろうと手を伸ばした梓紗の首筋がやってきたのだ。
 黒い虫が離したビアンドラゴラの種は、重力に引かれて落ちていく。
 怪しまれないように黒い虫はそのままその場を離れ、あとはビアンドラゴラの種が早奈恵の頭に当たれば、種はそのまま早奈恵の躰に潜り込んでいったはずなのだ。
 だが、そこには早奈恵ではなく梓紗がいた。
 ビアンドラゴラの種は梓紗の首筋に当たり、そのまま潜り込んでしまう。
 一瞬わずかな痛みを感じたものの、ビアンドラゴラの種が出す物質が、その痛みも傷も消してしまう。
 ビアンドラゴラが種を獲物の躰に潜り込ませるために獲得した能力なのだ。
 獲物はほとんど気にしないまま、ビアンドラゴラの種を体内に持ったまま移動していく。
 そしてそこで芽吹くのだ。
 梓紗の躰にも、今ビアンドラゴラの種が潜り込んだのだった。

 「ならいいけど……」
 ちょっと心配そうな早奈恵の顔。
 「ちょっと何かに当たったんだと思います。痛みももうないし。いけない! すっかり早奈美ちゃんの演技を見るの忘れてました! ああ……終わっちゃったぁ……」
 競技場の方ではすでに早奈美が演技を終えてしまっている。
 手を振って引き上げていく早奈美の後ろ姿に、二人は残念そうに顔を見合わせた。


 「な、なんだ、あの女は! いきなり邪魔をしおって!」
 ぎりぎりとこぶしを握り締めるキーラーガ。
 あと少しというところで、突然あの女が訳の分からん行動をとり、ターゲットである羽賀谷早奈恵に種を植え付けることができなかったのだ。
 それどころか、ビアンドラゴラの種はあの女の方に取り付いてしまったらしい。
 なんという失態!
 せっかく皇帝陛下にご用意いただいた種を、ターゲットではなくどこの馬の骨とも知れぬ女に使ってしまいましたなどと、口が裂けても言えるはずがないではないか!
 ええい!
 忌々しい!
 そもそもあの女は何者だ?
 ターゲットの羽賀谷早奈恵とは親しいようであったが……

 「闇頭脳よ!」
 キーラーガが生体脳コンピュータともいうべき闇頭脳を呼び出す。
 「あのビアンドラゴラの種がとり憑いた女のことを、大至急調査せよ!」
 ターゲットほどの素体としての能力は無いにしても、それなりの能力のある女であれば、まだ救いはあるかもしれん……
 キーラーガとしては、それを望むしかなかった。

                   ******

 「お帰り。早かったな」
 一通りの巡回を終えて本部に戻り、報告を済ませて休憩室にやってきた梓紗に、ソファに寝そべってマンガを読んでいた赤根田仁(あかねた ひとし)が顔を上げて声をかけてくる。
 「ただいま。そう? いつも通りだと思うけど」
 梓紗はそう答えると、コーヒーを注ぎにサーバーへと向かう。
 見ると、ほかのメンバーもすでに戻ってきており、なんだかみんな梓紗を注目しているようだ。
 「な、何? なんかあった?」
 梓紗が不思議に思っていると、テーブルについていたギラットレンジャーのもう一人の女性である黄野原涼美(きのはら すずみ)が声をかけてくる。
 「みんな気になっているのよ。羽賀谷さん、どうだったの? 優勝した?」
 「へ?」
 思わず口にしたコーヒーを吹き出しそうになる梓紗。
 巡回中に抜け出して、後輩の競技を見に行っていたことがバレているのだ。
 「知、知って?」
 「みんな知っているわよ。かわいい後輩の出る大会だったんでしょ? 応援してきたんじゃないの?」
 「ま、まあ……」
 思わず赤面してしまう梓紗。
 まさかみんなにバレているとは思わなかった。
 バレていないとばかり思っていたのに……

 「それでどうだったの? 実力は高いんでしょ? 優勝した?」
 黄野原涼美は24歳と梓紗より1歳年上。
 先ほどまで一緒だった先輩の早奈恵とは同い年であり、そのせいか、梓紗にとっては早奈恵同様にお姉さん的なイメージを持っている。
 ギラットイエローとしても頼りになるチームメイトだし、ギラットピンクの梓紗とも仲はいい。
 一見その名の通り涼やかな知的美人的ではあるものの、甘いものやかわいいものには目がない部分もある女性だ。
 「いや、それが……巡回中だからと思って、早奈美ちゃんの出番をちょっとだけ見て、すぐに会場を出ちゃったものですから……結果までは……」
 「ええー?」
 梓紗の答えに涼美だけじゃなく、ほかのみんなも声を上げる。
 「はははっ、梓紗らしいや。抜け出しているという後ろめたさで、落ち着いて見ていられなかったんだろ」
 ギラットブルーの青海丘道太(おうみおか みちた)が笑う。
 いかにもさわやかな感じの好青年だが、正義の思いは仁にも負けない熱いものを持っている男だ。
 まさに彼の言う通りなので、梓紗は何も言えない。
 こんなことなら、もっとじっくりと見てくればよかったと思う。

 「まあまあ、それだけ梓紗さんが悪いことができない人だってことですよ。それに……ほら、どうやら優勝したみたいですよ、その人」
 タブレットにネットニュースを表示して見せてくれる、ギラットグリーンの緑飛晃(りょくひ あきら)。
 ギラットレンジャーの中では一番若い20歳の若者だ。
 実力は充分にあるのだが、その若さと顔がやや童顔なせいで、少し子ども扱い的なことをされることもある。
 「というわけで、みんなもう知っていることだし、ちゃんとカバーもするから、これからは一言言ってから行くようにな、梓紗」
 仁がそう言ってウィンクしてくる。
 引き締まった躰に強い心を持っている彼こそ、ギラットレンジャーのリーダー、ギラットレッドだ。
 「もう……みんなわかっていたんなら言ってよー! こっちはバレないようにっていろいろと考えていたんだからぁ」
 梓紗は苦笑してしまう。
 このギラットピンク桃川梓紗(ももかわ あずさ)を含めた五人が、暗黒帝国ヤミンゲルから地上を守る戦士たちギラットレンジャーなのだった。

                   ******

 「なんだと?」
 キーラーガが思わず声を上げてしまう。
 「それは本当か?」
 『ピピピ……繰り返します。当該の人間の名称は桃川梓紗。年齢23歳。女性。表向きはノリハラエンタープライズ所属の会社員となっておりますが、ダミー会社である確率が87%。また、その背格好、声の特徴などから、この女性がギラットピンクである可能性が、92%』
 モニターに映し出された闇頭脳のはじき出したデータを、驚愕の目で眺めるキーラーガ。
 あの女がギラットピンクの可能性が92%もあるだと?
 すると……
 あの種が取り付いたことで、ギラットピンクがビアンドラゴラの魔獣人になるかもしれないということなのか?
 なんと……
 それはまた面白いではないか……
 クックック……
 では、しばし様子見と行こう……
 あの素体を使ったよりも強力な魔獣人ができるかもしれん……
 そうなれば……クックック……
 キーラーガの口元に笑みが浮かぶ。


 一通りの任務を終え、梓紗はマンションの自分の部屋へと戻ってくる。
 ここはセキュリティも完備した、都内の高級マンション。
 表向きは外資系企業の一般OLで通している梓紗は、ここから会社に通っているという設定なのだ。
 もちろん何かあった時にはすぐに本部と連絡が取れるようにはなっているし、このマンション自体やその周辺にも、それとなく彼女を警備する人員が配置されているはずである。
 もっとも、何かあった時に一番頼りになるのは、バトルスーツを身に着けてギラットピンクへと変身した彼女自身であるのだろうが……

 「ふう……」
 なんだか今日は疲れた。
 まさかみんなが知っていたとは……
 そうと知っていれば、こそこそと巡回を抜け出して見に行ったりなんてしなくてもよかったのに……
 梓紗は苦笑してしまう。
 できるだけみんなに気を使わせないようにと思っていたことが、かえってみんなに気を使わせてしまっていたのかもしれない。
 それにしても……
 涼美さんぐらいは知ってるよって教えてくれたってよかったのに……

 なんだろう……
 なんとなく躰が重く感じる……
 風邪でもひいたかな……
 シャワーを浴びた後だからなのか、なんだか躰が火照るようだ。
 熱は無さそうだけど……
 今晩は早く寝たほうがいいかもしれない……

 パジャマに着替え、目覚ましをセットして布団に潜り込む梓紗。
 明日もまた緊張の一日だろう。
 早めに寝て体調を整えるのもギラットレンジャーの大事な任務。
 暗黒帝国ヤミンゲルを打ち払うその日まで頑張らなきゃ。
 おやすみなさい。


 ほどなく梓紗は寝息をたてはじめる。
 天井でその様子を見下ろしている黒い虫。
 この虫がその目で見たものは、映像となってキーラーガの見ているモニターに映し出されるのだ。
 暗黒帝国ヤミンゲルの放つ偵察用の闇虫である。
 普通の虫ならば入り込めないような場所でも、この闇虫なら入り込んでしまう。
 梓紗のことを調べたキーラーガが、その様子を探らせるためにここに送り込んだのだった。

 「ふうむ……今のところは変わった様子はないか……」
 ベッドで寝息を立てている梓紗の姿が、モニターに映し出されている。
 皇帝陛下にいただいたビアンドラゴラの種は、確かにこの女に潜り込んだはず。
 で、あれば、何か変化があってもよさそうなものだが……
 キーラーガが考えるように顎に手を当てる。

 待てよ……
 確かビアンドラゴラの種は、その花の甘い香りで引き寄せ、毒花粉を吸わせて麻痺状態にさせた獲物に植え付けるもの。
 本来餌として麻痺させたり殺したりした獲物は、そのまま蔓によって巻き付かれ、溶解液で溶かされてしまう。
 そしてビアンドラゴラは、その溶けた溶液を養分として吸収するのだ。
 だが、種を植え付けた獲物に関しては、一度麻痺から回復させ、何事もなかったかのようにその場を去らせるのだ。
 種はその獲物の中で発芽し、体内に根を張り巡らせていく。
 やがて根が広がり、獲物の躰が耐えきれなくなると、そこで獲物は死んでしまう。
 その死んだ獲物の躰を養分にして、ビアンドラゴラは成長し、花を咲かせるのだ。
 だとすれば、今頃この女の中でも根が張り広げられているのかもしれん。

 「しかし……もしそうだとすれば、ただこの女が死んだ後に大きなビアンドラゴラの花が咲くだけではないのか?」
 『そうではない、キーラーガよ』
 「うおっ、へ、陛下!」
 突然闇の中から、自分のつぶやきに返事が返ってきたことに驚くキーラーガ。
 聞き耳を立てているなど、皇帝陛下もお人が悪い。

 「も、申し訳ありません。陛下より賜りましたあの種、闇頭脳によってあの種を植え付けるにふさわしい人間を選び出したのではありますが……その……手違いにより……」
 植え付ける相手をミスしてしまったことを、キーラーガは慌てて報告する。
 『よい。わかっておる。むしろこれは願ってもないこと。それに言ったであろう、キーラーガよ。我が魔力を込めしあの種は、ただ根を張り巡らせた躰を養分にするのではなく、その躰ごと一つの花となるのだ』
 「一つの花?」
 闇の中から聞こえてくる皇帝の言葉にキーラーガが問いかける。
 『そうだ。人間の躰を取り込み、新たなビアンドラゴラとして成長し花を咲かせる。言わばビアンドラゴラと人間の融合体となるのだ』
 「融合体ですと?」
 確かに魔獣人となるようなことはおっしゃってはおられたが……
 『そうだ。それこそが、人間のように自由に動ける肉体と知性を持つ、新たなビアンドラゴラとなるのだ』
 「するとあの女は……」
 『うむ、面白いことになりそうだ……』
 闇の中から含み笑いが響いてくる。
 「なるほど……」
 再びモニターに目をやるキーラーガ。
 そこには、ベッドで眠る梓紗の姿が映し出されていた。


 ハア……ハア……ハア……
 躰が熱い……
 なんだかのどが渇く……
 苦しい……
 ハア……ハア……ハア……
 熱い……
 躰が……
 躰が……

 苦しそうに寝返りを打つ梓紗。
 髪に隠れているその首筋には、黒い網目のような模様ができていた。

                   ******

 目覚まし時計の電子音が鳴る。
 「ううーん……」
 手を伸ばしてスイッチを押し、電子音を止める梓紗。
 布団から上半身を起こし、両手を肩のあたりまで持ち上げ、うんと伸びをする。
 ハア……
 もう朝なの?
 全く眠った気がしない。
 躰が重く感じる。
 疲れが取れていないのだろうか……
 なんだか自分の躰がうまく動かないような気がする……
 それに頭もなんだかすっきりしないわ……

 「えいっ」
 梓紗はベッドから無理やり起き出すと、パジャマを脱ぎ、寝汗を流すためにシャワーを浴びる。
 「熱っ!」
 お湯に手をかざして思わず引っ込める梓紗。
 いつもの設定温度のはずなのに、とても熱い。
 まるで熱湯のよう。
 「湯沸かしの故障かしら?」
 梓紗はお湯を止め、水で手を冷やす。
 冷たい水が気持ちいい。
 この温度なら、このまま水を浴びたほうがいいかもしれない。
 梓紗はそのまま冷水を躰に浴びる。
 冷たくて気持ちがいい。
 なんだか全身で水を吸収しているかのよう。
 そのまま水を口の中にも流し込み、のどの渇きもついでに癒す。
 美味しい……
 水は美味しいわ。

 シャワーを終え、タオルで躰を拭きながら部屋に戻る。
 朝食を取ろうと考えるものの、どうにも頭がぼうっとして考えがよくまとまらない。
 それに食欲もあんまりわいてこない。
 「いいか……」
 どうせ今日も街の巡回がメインだろうし、お腹が空けば途中で何か買って食べればいい。
 とりあえず、本部に行かなきゃ……
 梓紗はそう思い、身支度を整えていく。
 いつものように化粧を施し、服を着替えて家を出る。
 
 「あっ!」
 外に出たとたん思わずよろめいてしまう梓紗。
 あまりのまぶしさにめまいのようなものを感じたのだ。
 「えっ? いったい?」
 近くの壁にもたれかかり、少しの間目を閉じて黙って立つ。
 すると、じょじょにめまいのようなものは去り、梓紗はゆっくりと目を開ける。
 かなりまぶしいものの、先ほどよりはだいぶマシのようだ。
 室内から急に外に出たので、まぶしく感じたのかもしれない。
 「ふう……やっぱり風邪か何かかなぁ……」
 今朝から躰はだるいし、頭もぼうっとする。
 食欲もないし、風邪をひいてしまったのかもしれない。
 「うーん、とりあえず本部に行ってメディカルチェックを受けるのがいいかも……」
 ギラットレンジャーの本部にはもちろん最高級の医療スタッフもそろっているのだ。
 チェックを受け、風邪薬でももらった方がいいのかもしれない。

 少し落ち着いたところで、駐車場に向かう梓紗。
 止めてあるピンク色の軽自動車に乗り込むと、エンジンをかける。
 ふう……
 どうやら収まったようだ。
 さて、行きますか。

 軽快に走り出すピンクの軽自動車。
 市販車に似せてはあるものの、もちろんこれはギラットピンクの専用車でもあり、防弾装甲に覆われた高性能カーである。
 様々な電子機器も積まれ、主に偵察や捜索に使われるのだ。
 いつどんな時に戦闘になるかわからないギラットレンジャーであるから、梓紗はこの専用車を普段でも使っているのだった。

 「おはようございます」
 何の変哲もないオフィスビルの地下駐車場。
 ビル入り口警備の警備員がにこやかに挨拶してくる。
 「おはようございます。お疲れ様です」
 いつものように毎回違うルートを通って本部にやってきた梓紗。
 場合によっては大きく遠回りをすることもある。
 もちろんあとをつけられていないかのチェックも忘れない。
 警備員二人の監視の下、梓紗はIDカードと指紋及び網膜のチェック、さらには暗証番号の入力を行う。
 このすべてが問題ないと証明されることで、初めて入り口が開けられるのだ。
 その間には持ち物のチェックも行われる。
 ヤミンゲルの連中がどういう手段で来るかわからないのである。
 できる限りのセキュリティを行うのは必要だろう。
 「OKです。どうぞ」
 「ありがとうございます」
 顔見知りの警備員に笑顔で礼を言い、入り口を通る梓紗。
 ここから先はギラットレンジャーの本部区画であり、ごく限られた人間しか入れない。
 梓紗は爆発物探知機を兼ねた廊下を歩いてロッカールームに行き、そこでレンジャーチームの制服に着替えて司令室に向かう。
 まずは司令に顔を見せなくては。

 梓紗がロッカールームを後にしようとしたその時、、梓紗のロッカーの扉の隙間から、一匹の黒い虫が這いだしてくる。
 昨晩梓紗の様子を事細かに伝えていた闇虫だ。
 朝、梓紗が起きる前に彼女のハンドバッグに潜り込んでいたのである。
 隙間に潜り込んで持ち物チェックからも逃れた闇虫は、かさかさと壁を這い上り、ドアの隙間から廊下に出る。
 そして天井に張り付いて、廊下を歩いていく梓紗の姿を追うのだった。


 「うーむ……ここがギラットレンジャーの本部というわけか……いや、待て、まだそう決めつけるのは早計だ」
 闇の中に映し出される闇虫からの映像を見ながら、その人間そっくりでありながらも青い肌をした甲冑の男、キーラーガが顎に手を当てる。
 「だが、重要な施設であることは間違いあるまい。ククク……闇虫をあの女のバッグに忍び込ませたのは正解だったようだ」
 今までうかがい知ることのできなかったギラットレンジャーの施設。
 その内部に潜り込めたというのは僥倖だろう。
 と、なれば、この闇虫は大事に使わねばなるまい。
 おそらく二匹目を持ち込むことはそう簡単ではないだろうからな。
 なるべく物陰に潜ませ、人目に付かないようにする必要があるだろう。

 「むっ?」
 廊下を歩いていた梓紗が、頑丈そうなドアに相対している。
 首から下げたカードをドアの脇の機械に通し、何やら覗き込んで文字盤のキーを打ち込んでいく。
 「何をやっているのだ? うおっ?」
 梓紗が一連の動作を追えると、頑丈そうな扉が横にスライドして開いていく。
 その開いたドアから梓紗は中へと入っていった。
 「むう……」
 なるほど、あれはドアを開けるための動作だったらしい。
 つまりそれだけ厳重に管理されている区画ということになるのだろう。
 だとすれば、今むやみに闇虫を入り込ませるのは得策ではないかもしれない。
 機会はまだある。
 キーラーガは瞬時にそう判断し、梓紗の姿がドアの向こうに消えていくのを見送った。


 「よう、おはよう」
 「おはよう、梓紗」
 「あ、おはようございます」
 司令への挨拶を済ませた梓紗が、司令室からいつものメンバー詰所にやってくると、先に来ていた仁と涼美がいて、お互いに挨拶を交わし合う。
 ギラットレンジャーの詰所は一種の休憩室のようになっていて、メンバーが自由にくつろげる空間になっているのだ。
 「梓紗、昨日の大会の記事が出ているぞ」
 仁が、テーブルにスポーツ新聞を広げる。
 「優勝した子の写真も載っているわ」
 「えっ? 見せて」
 梓紗はすぐにテーブルに行って記事を見る。
 そこには、レオタード姿で演技をしている羽賀谷早奈美の写真が比較的大きく掲載されており、優勝したことが書かれていた。
 「うーん……やっぱり体操選手ってきれいよね」
 「そうだなぁ」
 仁がうんうんと涼美の言葉にうなずいている。
 「美味しそう……」
 「えっ?」
 「えっ?」
 思わぬ言葉に顔を上げる仁と涼美。
 「えっ? えっ?」
 梓紗も自分が何を言ったのかに気付いて驚く。
 い、今のはいったい?
 私は何を?
 それは一瞬で消えたものの、確かに今梓紗は早奈美のことを美味しそうと思ったのだ。
 いったい私は?
 何を思ったの?

 「梓紗?」
 「美味しそう?」
 仁と涼美が梓紗を見つめる。
 「あ、あはは……なんだか今朝は起きたときから頭がなんだかぼうっとしちゃってて……朝を抜いたからお腹が空いたのかな?」
 思わずごまかし笑いをする梓紗。
 「ええ? 大丈夫? ダメよ、無理なダイエットは」
 涼美が軽くたしなめるように言う。
 よくあるのだ。
 朝食を抜くことでダイエットを考える。
 だが、それは躰には負担にしかならない。
 「ああ、俺たちはいつも体調は万全に整えておかなくちゃならないからな」
 仁もやんわりと朝食抜きをたしなめる。
 彼から見れば、ギラットレンジャーの訓練で鍛えられた梓紗の肉体は引き締まっており、太っているには程遠いのだが、女心とはそういうものなのだろう。

 「え、ええ……でも、なんだか今朝は食欲が無くて……もしかしたら風邪を引いたかも」
 表情を曇らせる梓紗。
 確かに今朝はあんまり体調がすぐれなかった。
 「無理はするなよ。なんだったら今日は本部で休んでいてもいいぞ」
 どうせ街を巡回すると言っても、そうそう都合よくヤミンゲルの動きを察知できるわけもない。
 むしろ臨戦態勢で外にいるということが重要なのであり、ヤミンゲルの連中が現れた場合にいつでもその場に急行できることの方を重視している行動だ。
 ヤミンゲルの出現はほぼ本部の方でその動きを察知し、彼らはその指示に従って現場に急行する。
 なので、巡回という名目で気晴らしの外出をしていると言ってもいいぐらいだろう。
 一人ぐらい詰所で休んでいたところで大きな問題はない。
 だから、昨日の梓紗の行動も厳密にいえば巡回途中のサボりということになるかもしれないが、目くじらを立てるようなことではないのだ。
 「ええ。でも大丈夫だと思う。だいぶ良くなったみたいだし、ひどくなりそうならメディカルルームで薬もらってくるわ」
 梓紗が笑顔を見せる。
 実際、今はそれほど体調が悪いわけではなくなっていた。
 たぶん何とかなるだろう。


 その様子を天井から見下ろしている黒い虫。
 その目と耳が、今までうかがい知ることのできなかったギラットレンジャーの詰所内部をうかがっていることは、どうやら気付かれていないようだ。
 あのあと、ほどなくして再び出てきた梓紗を天井から尾行し、この詰所に入り込んだのだ。
 ここは先ほどの厳重な扉とは違い、誰もがある程度は自由に出入りできるらしい。
 なので、キーラーガも思い切って闇虫を忍び込ませたのだが、どうやら正解だったようだ。

 「うーむ……やはりここはギラットレンジャーの重要施設、それも奴らの拠点と言ってもよさそうだ。あの桃川梓紗とやらもギラットピンクであることに間違いはあるまい。するとここにいる連中が……」
 闇の中に映し出される闇虫からの映像に、キーラーガは腕組みをする。
 ちょうどほかの二人、道太と晃もやってきて、詰所に五人がそろったところだ。
 「ギラットレンジャーの五人ということか……」
 キーラーガは闇頭脳に映像内の人物の特定を急がせる。
 これで奴らを個別に襲撃することも可能になるだろう。
 予想外の収穫と言わねばなるまい。

 「む、出かけるようだな」
 全員がそろったことで、奴らはどこかへ行くらしい。
 街の巡回ということだが、ここに常時いるわけではないということだろうか?
 なるほど、奴らは常に街中をうろつき、我らヤミンゲルの出現を待ち伏せていたというわけだ。
 道理で現れるのも早かったわけだ。

 『いいからおとなしくしてろって』
 『でも……』
 『体調はしっかり整える。ギラットレンジャーの基本だぞ。メディカルチェックしておけ』
 『むう……了解です……』
 「うん?」
 映像の中では何やら言い争いをしているようだ。
 どうやら五人のうち、あの梓紗という女だけが残され、四人だけで出て行ってしまったらしい。
 どういうことだ?
 まさか、種を植え付けたのが気付かれたのか?
 メディカルチェックをしろと言われたようだが……
 うーむ……

 キーラーガはとりあえず新たに数匹の闇虫を放ってみる。
 この一匹のほかにも、うまくいけばもう一匹ぐらいは忍び込ませたいものだし、出かけて行ったギラットレンジャーの各メンバーにも可能ならば張り付かせたい。
 まあ、少なくとも、この梓紗という女の監視のためにも、家にもう一匹置いておく必要があるだろう。


 「で、ここへ来たってわけね?」
 白衣と眼鏡が良く似合う、ふわっとしたショートヘアの女性がふふっと笑う。
 ギラットレンジャー本部でメディカルチーフを勤めている医師の早間美彩(はやま みさ)である。
 メンバーの健康管理に重要な役目を果たす彼女だが、まだ30代の若さであり、梓紗や涼美にとってもちょっと年の離れた姉のような存在である。
 いまだ独身ということもあり、男性職員からの人気も高いらしい。

 「今はほぼなんともなくなったんですけど、朝はなんだかめまいみたいなものを感じたり、躰がだるい感じでしたから、赤根田さんがチェックを受けてこいって……」
 まあ、ちょっと風邪気味なのかもしれないけど、今はもうなんともないのに残れと言われたことで、梓紗は少し不満げに口をとがらせる。
 「まあ、それは正しいわね。ギラットレンジャーはいかなる時でも全力を発揮できるようにしてなくちゃならないんだから」
 眼鏡の奥の目を細め、美彩が微笑む。
 この笑みを見たいがために仮病を使う者もいるとまで言われる笑みだ。
 「それはそうなんですけど……」
 「とりあえず熱は無さそうね。口開けて」
 額に測定器を当てて体温を測り、口の中を確認する美彩。
 「のどもなんともないわね。じゃ、服をめくって」
 言われたとおりにする梓紗に、聴診器を当てて心音を聞いていく。
 「うん。まあ、疲れが出たのかもね。このところヤミンゲルの攻撃も激しいし……」
 「そうなのかな……」
 「とりあえずぐっすり寝て、美味しいもの食べて栄養を取りなさい。なんだったら栄養剤でも出す?」
 カルテに所見を記入する美彩。
 「あ、いえ、そこまでは。ありがとうございました」
 ともあれ、特になんともなさそうということで梓紗もホッとする。
 梓紗は美彩に礼を言うと、メディカルルームを後にした。

 ひとまず結果を司令に報告し、行動の指示を仰いだ梓紗だったが、そういうことなら今日は待機していろということで、詰所での待機任務となってしまう。
 本を読んだりネットサーフィンをして時間をつぶす梓紗だったが、正直待機任務はつまらなく、いっそのことヤミンゲルの襲撃がないかななどと考えてしまうほど。
 結局梓紗の一日はこうして終わった。


 「ふーむ……ただ一日拠点で過ごしただけか……」
 つまらん……
 梓紗同様にキーラーガもそう思う。
 あの女がいつビアンドラゴラとして発芽するのかとわくわくしていたが、結局何も起こらなかったではないか。
 発芽には時間がかかるものなのか?
 どうもこういうのは性に合わん。
 ただ黙って見ているなど……
 いっそのこと拠点が判明した今、あそこを襲撃するのもいいのでは?
 …………
 いや、待て……
 あの種は皇帝陛下がご用意されたもの。
 下手な動きをしてお怒りを買ってはたまらない。
 ここは……やはりもう少し何らかの結果が出るのを待つしかあるまい。
 キーラーガはそう考え、自分で自分を納得させる。
 やれやれ……
 いつまで待たされるものか……

(続く)

  1. 2021/07/17(土) 20:00:00|
  2. 闇に咲く美しき毒花
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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