米戦艦「サウスダコタ」を戦闘不能に追い込んだ日本艦隊でしたが、米艦隊にはまだ無傷の戦艦「ワシントン」が残っておりました。
「ワシントン」は探照灯を照らしている日本艦が戦艦「霧島」であることに気がつくと、これに対し猛然と主砲を発射します。

(戦艦ワシントン)
「ワシントン」は40センチ主砲を「霧島」に、照明弾を撃ったあとの副砲を「愛宕」と「高雄」の二隻の日本重巡に向けて発砲し、「霧島」と「愛宕」それぞれに大損害を与えたと信じました。
実際には副砲の射撃は「愛宕」に軽微な損傷を与えたに過ぎませんでしたが、「霧島」のほうはこの「ワシントン」の射撃が大きな被害を与えておりました。
「霧島」は上部構造物をめちゃくちゃに破壊された上に舵が故障し、浸水で傾いたまま円を描いて回るしかできなくなってしまいます。

(ワシントンの霧島への砲撃)
「ワシントン」は大損害を受けた「霧島」を撃沈したとみなして、「愛宕」以下の日本艦隊と交戦しつつ日本軍の輸送船団を狙おうと北西に向かいます。
その間日本軍は多数の魚雷をこの「ワシントン」に向け放ちますが、いずれも信管が過敏すぎたのか自爆するなどして、命中したものは一本もありませんでした。
米艦隊司令官リー少将は、これ以上輸送船団に向かっても避退してしまったかも知れず、そうなればガダルカナル島への上陸は中止されたと見ていいだろうということと、日本軍の魚雷攻撃を受けてしまう可能性があることなどから戦場の離脱を決意。
米軍時間で11月15日の0時30分ごろ、「ワシントン」は反転して離脱の途につきました。
戦闘が終了した海上では、戦艦「霧島」がまだかろうじて浮いておりました。
微速航行していた船体もやがて航行不能となり、軽巡「長良」等による曳航の試みも失敗に終わると、もはや「霧島」を救う手立ては尽きました。
「霧島」の艦長岩淵大佐は、駆逐艦に「霧島」に横付けするよう要請し、生存者を移乗させた上で自沈の処置を行います。
日本軍時間11月15日1時25分ごろ、戦艦「霧島」はゆっくりとガダルカナル島沖の海底に沈んでいきました。
このときは艦長の岩淵大佐は「霧島」と運命をともにはせず、駆逐艦に移乗して救出されました。

(戦艦霧島)
リー少将は日本の輸送船団は揚陸をあきらめただろうと踏んでおりましたが、日本軍は残余の輸送船四隻を強行突入させました。
四隻の輸送船はガダルカナル島に接近し、座礁した上で物資を揚陸するという荒業を用いてまで物資を届けようとしたのです。
日本軍時間の15日2時過ぎ、日本軍の四隻の輸送船はガダルカナル島の海岸に乗り上げ、物資の揚陸を開始しました。
しかし、夜が明けると同時に米軍機による攻撃や米軍地上部隊からの攻撃が始まり、輸送船は次々と炎上してしまいます。
結局四隻の輸送船は物資をほとんど腹に抱えたまま燃やされてしまい、陸に上げることができたのはわずかな量の物資だけでした。
日本軍のガダルカナル島への物資輸送は失敗に終わったのです。
この一連の海戦は「第三次ソロモン海戦」と名づけられました。
先の米軍巡洋艦隊との戦いが「第一夜戦」、そして今回の米戦艦隊との戦いが「第二夜戦」と呼ばれます。
この二つの戦いともに、言ってしまえば新型の米艦隊対旧式の日本艦隊という戦いでした。
米軍は新型の巡洋艦や戦艦、そしてレーダーを装備しておりましたのに対し、日本軍は旧式の艦艇と、訓練で培った夜間視力という戦いでした。
ですが、決して新型の米軍が一方的に勝利したわけではなく、むしろ米軍も被害は甚大だったといえるでしょう。
事実、米軍はこの二つの戦いで軽巡二隻、駆逐艦七隻を失い、戦艦一隻、重巡二隻が大破しました。
日本も戦艦二隻と駆逐艦三隻を失い、優秀な高速輸送船も十隻失ってしまいました。
しかし、何よりの大きな差は日本軍のガダルカナル輸送が失敗したことでした。
もはやヘンダーソン飛行場を無力化することは望めず、そうなると輸送船での大規模輸送は不可能となる以上、あとは駆逐艦や潜水艦で細々とした補給を行うしか道がなくなりました。
この時点でガダルカナル島は餓島と化すことが決まってしまったのでした。
終わり
- 2012/01/24(火) 21:00:00|
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昭和17年(1942年)11月14日21時過ぎ(米軍時間)、リー少将率いる米軍戦艦隊は、護衛の駆逐艦四隻を伴ってガダルカナル島近海に侵入しました。
艦隊の先頭には駆逐艦四隻を連ね、戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」がその後ろに続く単縦陣(艦艇が一列に並ぶ陣形)を取っておりました。
同11月14日20時(日本軍時間:米軍時間より約二時間ずれる)、日本軍は重巡「愛宕」、「高雄」、戦艦「霧島」、駆逐艦二隻の射撃本隊と、軽巡「長良」および駆逐艦四隻の木村部隊、軽巡「川内」および駆逐艦三隻の橋本部隊の三部隊に分かれてこちらもガダルカナル島近海に侵入します。
この時点では日本艦隊指揮官の近藤中将は、米軍は巡洋艦数隻と駆逐艦数隻と判断しており、米軍に戦艦がいるとは気がついていませんでした。
この後日本軍は敵艦隊らしきものを認めたものの、スコールに阻まれて見失い、一方の米軍もレーダーで日本軍を探知することができず、お互いに気がつかないままに接近していくと言う状態でした。
23時過ぎ(米軍時間)、米艦隊は日本軍の橋本部隊をレーダーで探知。
戦艦「ワシントン」が40センチ主砲を軽巡「川内」めがけ轟然と撃ちだしました。
橋本少将はこれに驚いたものの、幸い命中弾はなく、煙幕を張って闇にまぎれ、魚雷発射のチャンスを伺うことにします。
一方日本軍時間で21時半ごろ、木村部隊の軽巡「長良」と駆逐艦二隻、さらに橋本部隊から離れて航行していた駆逐艦「綾波」が米艦隊を発見し、砲雷撃戦を開始しました。
中でも駆逐艦「綾波」はたまたま単艦で航行している最中に米艦隊の真っ只中に飛び込むような形となり、一隻で戦艦二隻、駆逐艦四隻と対峙する羽目になってしまいます。
しかし、「綾波」はここぞとばかりに奮闘し、米駆逐艦「プレストン」に主砲弾を命中させ、米駆逐艦「ウォーク」にも命中弾を与えます。

(駆逐艦綾波)
単艦で米艦隊に突っ込んだ「綾波」は集中砲火を浴びてしまいますが、「綾波」は魚雷も米艦隊に向けて発射。
この魚雷は先ほど命中弾を与えた「ウォーク」に命中し、「ウォーク」は船体が二つに割れて轟沈してしまいます。
さらにもう一発の魚雷が米駆逐艦「ベンハム」にも命中し、同艦は航行不能に陥りました。
「綾波」はこうして大活躍をしますが、自らも集中砲火を受け、ついに航行不能に陥りました。
しかし、ようやく戦場に軽巡「長良」以下駆逐艦四隻が駆けつけ、「綾波」の砲撃で損傷した米駆逐艦を攻撃します。
このため、「プレストン」は間もなく沈没、残った米駆逐艦「グウィン」も損傷を受け隊列を離脱せざるを得ませんでした。
航行不能になった「綾波」は米戦艦「ワシントン」の副砲で止めを刺されますが、米艦隊は護衛の駆逐艦四隻を一挙に失うという状態になりました。
日本艦隊はさらに探照灯を照らして戦艦「サウスダコタ」を発見しますが、残念ながら照らしたのが米戦艦なのか味方戦艦の「霧島」なのかが判別つかずに攻撃を断念します。
一方で米軍も「ワシントン」がレーダーで探知した「霧島」に対し主砲を向けましたが、こちらも「霧島」なのか「サウスダコタ」なのか判別がつかずに砲撃を断念。
夜間の海戦での敵味方の識別の難しさが伺えます。
この間近藤中将は、米艦隊がいまだ巡洋艦と駆逐艦という思いにとらわれていたため、木村隊と橋本隊で対処可能と判断し、本隊はガダルカナル島砲撃のコースを取っておりました。
日本軍時間で22時ごろ、日本軍本隊も敵艦隊を発見し、探照灯を照射しました。
すると闇の中に浮かび上がった艦影はまさに巨大な戦艦「サウスダコタ」であり、近藤中将は米戦艦に対し攻撃を命じます。
重巡「愛宕」、「高雄」は20センチ主砲と魚雷を、戦艦「霧島」は36センチ砲をそれぞれ発射。
すれ違いざまに「サウスダコタ」を攻撃するような形で砲雷撃を行いました。

(米戦艦サウスダコタ)
この攻撃で米戦艦「サウスダコタ」は命中弾多数を受け、上部構造物にかなりの被害を受けました。
これは先の戦闘で日本軍駆逐艦の砲弾を艦橋に受けていたことも被害を大きくした要因と思われます。
「サウスダコタ」は結局戦闘不能となって戦場を離脱する羽目になり、旧式戦艦「霧島」は米新型戦艦に手痛いダメージを与えることに成功したのでした。
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- 2012/01/20(金) 21:00:00|
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ガダルカナル島砲撃に向かった日本軍艦隊でしたが、カラハン少将指揮する米軍巡洋艦隊との遭遇により、戦艦「比叡」を失うという損害を受けました。
米軍の巡洋艦隊にも大損害を与え、五隻の巡洋艦すべてを損傷させるという戦果を挙げはしましたものの、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を砲撃することはできず、陸軍部隊を送り届けるという目的も達成できませんでした。
しかし、日本軍はまだあきらめたわけではありませんでした。
山本五十六連合艦隊司令長官は、再度残存兵力を再編してガダルカナル島ヘンダーソン飛行場の砲撃を命じます。
今度は二段構えの砲撃を行う計画で、11月13日夜に巡洋艦隊による砲撃を行い、翌14日夜に戦艦「霧島」を含む部隊で更なる砲撃を行ってヘンダーソン飛行場を無力化し、一挙に輸送船団を突入させて陸軍兵力を上陸させる予定でした。
この計画に従い、日本軍は西村少将指揮する巡洋艦「鈴谷」「摩耶」「天龍」と駆逐艦四隻が出動し、ガダルカナル島へと向かいます。
砲撃の主役は主砲に20センチ砲を持つ重巡の「鈴谷」と「摩耶」であり、砲撃が終わったのちは三川中将の巡洋艦隊と合流してガダルカナル島近海から退避する予定となっておりました。
一方カラハン少将の率いる巡洋艦隊を失った米軍は、ブル(雄牛:転じて強気の意味も)とあだ名されるハルゼー提督(大将)が、日本軍の行動を封じ込めるべく手持ちの部隊からウィリス・リー少将の指揮する第64任務部隊にガダルカナル島に向かうよう命じました。
リー少将はすぐさま麾下の戦艦二隻と護衛の駆逐艦四隻を連れてガダルカナル島沖へと向かいます。
リー少将は自分の率いる艦隊が練度や経験等でいまだ多少未熟であることを承知しておりましたが、なんと言ってもその中核となる二隻の戦艦が前年に就役したばかりの「ノースカロライナ」級戦艦「ワシントン」と、この3月に就役したばかりの最新鋭戦艦「サウスダコタ」という新型戦艦を二隻も擁していることから、日本軍の撃退には充分な自信を持っていたようでした。
日本軍時間で日付の変わった11月14日午前2時ごろ、西村少将の巡洋艦隊は無事にガダルカナル島に近づき、ヘンダーソン飛行場の砲撃を行うことができました。
重巡「鈴谷」と「摩耶」の20センチ砲が火を吹き、両艦合わせて約1000発もの砲弾がヘンダーソン飛行場に降りそそぎました。
ヘンダーソン飛行場は各所が損害を受け、駐機してあった航空機も全壊18機、損傷32機という損害を受けてしまいます。
しかし、これまた飛行場の機能は翌日には復旧し、飛行場の機能を麻痺させることはできませんでした。
そればかりか、ヘンダーソン飛行場を飛び立った攻撃隊は退避していく日本艦隊を発見して攻撃。
さらに米空母「エンタープライズ」からの攻撃隊も加わって、日本艦隊を攻撃します。
日本艦隊は計画通り三川中将の艦隊と西村少将の艦隊が合流しておりましたが、この攻撃で重巡「衣笠」が沈没、ほかの巡洋艦も何隻か損傷を受けてしまいます。
また、輸送船団も発見され攻撃を受けてしまい、輸送船十一隻中六隻を沈められるという大損害をこうむってしまいました。
重巡の20センチ砲弾ではヘンダーソン飛行場を麻痺させることはできないと感じた日本軍は、やはり戦艦による飛行場砲撃を強行することに決定します。
今度は近藤信竹中将が艦隊を指揮し、ガダルカナル島へ向かうことになりました。
今回ガダルカナル島へ向かう日本艦隊は、旗艦の重巡「愛宕」以下、戦艦「霧島」、重巡「高雄」、軽巡「川内」、「長良」、駆逐艦九隻の合計十四隻でした。
近藤中将は米艦隊が待ち受けているであろうことは予想しており、その際は一時飛行場砲撃を中止してでも米艦隊の撃滅を図る旨を艦隊に指示しておりました。
一方、リー少将の指揮する米軍戦艦隊もガダルカナル島近海に進出してきており、日本艦隊を待ち受ける態勢を整えておりました。
完成して1年ほどの新型戦艦二隻と、完成後27年にもなる旧式戦艦との砲撃戦が、今まさに始まろうとしておりました。
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- 2012/01/18(水) 21:00:00|
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米軍司令官のカラハン少将が日本艦隊の本隊と前衛駆逐艦を別々に見つけたことに気がつかないで確認を求め、また「夕立」を回避するために駆逐艦「カッシング」が転舵したことで艦隊の陣形も乱れてしまっていたころ、「夕立」からの報告とあわせて日本艦隊も米艦隊を確認しておりました。
日本艦隊の指揮官阿部少将は、もはやこの時点においては「比叡」と「霧島」の主砲弾を飛行場砲撃用の砲弾から対艦攻撃用の徹甲弾に交換する暇はないと判断し、両艦にそのままの砲弾で米艦隊を砲撃するよう命じます。
船体の装甲板は貫けなくても、上部構造物を破壊することぐらいはできると判断したのです。
日本軍時間で11月12日23時51分、戦艦「比叡」が探照灯で周囲を照らし出すと同時に砲撃を開始。
この時点で米軍は艦隊の混乱が収まりつつありましたが、貴重な時間を失い日本軍に先手を取られてしまいました。

(比叡)
カラハン少将は艦隊に対し射撃を命じましたが、このときの命令がまた混乱を呼ぶという不手際で、米軍は戦場の真ん中で右往左往する状況に。
そうこうしているうちに日本軍の砲弾が艦隊に命中し始め、新型の防空巡洋艦「アトランタ」の艦橋に直撃弾を受けてしまいます。
「アトランタ」には艦隊の次席指揮官スコット少将が座乗しておりましたが、この一弾で幕僚もろとも戦死。
さらに日本軍の駆逐艦からの魚雷を受けて戦闘不能に陥りました。
ここに至りようやく米艦隊も探照灯を照らして砲撃を開始します。
もはや最初のレーダー射撃で一方的になどという状況ではなくなり、海上は敵味方双方の艦艇で混乱に陥っていきます。
米軍の射撃は探照灯を照らした戦艦「比叡」に集中しました。
闇の中で煌々と探照灯をつけ、しかもそれが大型艦となれば狙われるのは必定でした。
巡洋艦や駆逐艦の主砲、高角砲、機銃までが「比叡」に向けられ、「比叡」の上部構造物は大損害を受けて炎上してしまいます。
一方もう一隻の戦艦「霧島」はほかの日本艦と共同で米軍の巡洋艦を攻撃。
米軍の旗艦「サンフランシスコ」に命中弾を与え、こちらは司令官のカラハン少将を戦死させます。
主席指揮官、次席指揮官をともに失った米軍は、こうなるともう各艦個々で砲撃するしかありませんでした。
その後も双方入り乱れての砲撃戦雷撃戦が続きましたが、米艦隊の臨時指揮官となった軽巡「ヘレナ」艦長のフーバー大佐が各艦に離脱を命じたことで戦闘は終了となりました。
フーバー大佐のもとによたよたと集まってきた米艦隊は、見るも無残な有様となっておりました。
旗艦重巡「サンフランシスコ」大破、重巡「ポートランド」大破、防空巡「アトランタ」大破のち処分、防空巡「ジュノー」大破のち退避中に日本軍の潜水艦に攻撃され沈没、軽巡「ヘレナ」小破と主力の巡洋艦は五隻すべてが損傷を受けました。
駆逐艦も被害は多く、四隻沈没、一隻大破、二隻中破、無傷だったのは駆逐艦「フレッチャー」のみという状態でした。
米軍には及ばないまでも日本軍もまた大きな損害を受けました。
駆逐艦「夕立」は敵発見後単艦で米艦隊に殴り込みをかけるなど活躍しましたが、米軍の集中砲撃を受け大破。
のち処分となります。
また駆逐艦「暁」が沈没し、「天津風」「雷」「春雨」が損傷を受けました。
そして、上部構造物に大きな被害を受けた戦艦「比叡」は、舵が故障して速力が出せなくなっておりました。
このままでは夜明けとともに米軍機の攻撃を受けるのは必至であり、阿部少将は駆逐艦「雪風」に移乗して何とか曳航を試みようとしました。
また空母「隼鷹」や陸上基地から上空直援の戦闘機も向かいましたが、夜が明けるとやはり米軍の航空攻撃が始まり、「比叡」は何発もの命中弾を受けてしまいます。
阿部少将はもはや「比叡」を救う手立てなしとして「比叡」の処分を命令します。
そして自沈の準備を行い艦底の弁を開け乗組員を駆逐艦五隻に移乗させて「比叡」のそばを離れました。
五隻の駆逐艦が「比叡」を離れてしばらくすると、山本五十六連合艦隊司令長官よりの電文が入ります。
「比叡」の処分を待てというのです。
理由は、「比叡」を浮かべておけば米軍は「比叡」を沈めようと航空機を差し向けるに違いなく、「比叡」に米軍機の目をひきつける囮になってもらおうというものでした。
阿部少将は再び「比叡」の元へと戻りましたが、すでに「比叡」の姿はありませんでした。
おそらく戻ってくるまでに沈んでしまったのでしょう。
「比叡」はこの戦争で最初に沈没した日本の戦艦となりました。
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- 2012/01/11(水) 21:00:00|
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出撃した「比叡」と「霧島」は、それぞれ「金剛」級巡洋戦艦の同型艦として建造されました。
巡洋戦艦とは、戦艦より高速で巡洋艦より砲撃力を増したもので、戦艦並みの砲撃力を持っておりましたが防御は弱く、第一次世界大戦の「ジュトランド海戦」では英独の巡洋戦艦が大きな損害を出しました。
「金剛」は第一次世界大戦前に英国に発注された艦で、当時は有力な巡洋戦艦として完成いたしました。
同型艦の「比叡」「榛名」「霧島」はいずれも日本で建造され、大正時代の日本は強力な巡洋戦艦を四隻も保有することになったのです。
その後、第一次世界大戦の戦訓から「金剛」級は防御力を強化するなどの大改装が行われ、種別も巡洋戦艦から戦艦へと変更されました。
しかし、巡洋戦艦時代からの速度の速さは確保されており、最大速度は30ノットを超える日本の戦艦では最も速い戦艦でした。
このため「金剛」級は高速が要求される空母機動部隊の随伴艦として南雲機動部隊と行動をともにすることが多い戦艦でもありました。
完成したばかりの「大和」「武蔵」などとは異なり艦齢30年にも達する古い戦艦であるため、上層部ももったいないという気持ちを持つことなく最前線に投入することができた戦艦でありましたので、かえって活躍の場を多く与えられた戦艦でもありました。
基準排水量は32000トン。
主砲には36センチ砲(正確には14インチですので35.6センチ砲)を連装四砲塔八門装備しておりました。
この36センチ砲の砲撃力を持ってガダルカナル島の「ヘンダーソン飛行場」を砲撃し、一時的な使用不能に追い込んでその間に第三十八師団を上陸させ、今度こそ米軍を撃滅しようと考えたのです。
「比叡」と「霧島」の両艦は、軽巡「長良」と駆逐艦十一隻に護衛され、昭和17年(1942年)11月9日に根拠地であるトラック島を出撃しガダルカナル島へと向かいます。
一方米軍もちょうどこのとき輸送船団がガダルカナル島に到着し、物資を送り届けておりました。
日本艦隊の出撃は米軍側に知られており、この輸送船団を護衛してきたダニエル・カラハン少将率いる巡洋艦隊が、この日本艦隊を迎撃しようと待ち構えておりました。
日付が変わった11月13日の午前1時過ぎ(米軍時間)、米艦隊は最新式のレーダーで日本艦隊を捉えます。
このとき日本艦隊は米艦隊の存在に気がついておらず、日本艦隊は非常に危険な状況でした。
さらに主力の戦艦である「比叡」と「霧島」は、夜明けまでに米軍機の行動圏から退避しなくてはならないことから、短時間で砲撃を済ませなくてはならないために主砲にすでに対地攻撃用の砲弾をセットしてしまっておりました。
これは飛行場砲撃には有効ですが、対艦攻撃には不向きな弾であり、せっかくの戦艦の主砲の攻撃力が半減しているようなものだったのです。
米艦隊旗艦重巡「サンフランシスコ」の艦橋では、カラハン少将が探照灯(サーチライト)を使わないレーダーだけで射撃を行おうと考えておりました。
探照灯は相手を照らし出すのはいいのですが、自分の位置も相手にわかってしまいます。
レーダー射撃ならば日本軍は米艦隊を見つけられないままに一方的に砲撃を受けてしまうことになると考えたのでした。

(米重巡サンフランシスコ)
「サンフランシスコ」の艦橋に僚艦の軽巡「ヘレナ」より日本艦隊が約25キロの位置に来たとの報告が入ります。
「ヘレナ」は新型のレーダーを装備していたので、「サンフランシスコ」よりも正確に日本艦隊の位置を捉えておりました。
まさに日本艦隊は闇の中から見つめる蛇ににらまれたかえるのような状態でした。
このとき、ひとつの偶然が日本艦隊を救います。
昼間の対空警戒態勢から飛行場砲撃用の態勢に艦隊の各艦艇の位置を変更し、そのあとスコールなどで幾度か進路変更をしたことで、前衛警戒の駆逐艦「夕立」と「春雨」が突出してしまっており、かなり米艦隊に接近してしまっていたのです。
日本時間12日の23時40分ごろ、「夕立」は闇の中に米軍艦艇らしきものを発見。
これはなんと米軍のレーダー探知とほぼ同じころでした。
発見されたのは米軍の前衛駆逐艦の「カッシング」でした。
「カッシング」もほぼ同時に「夕立」を見つけますが、突然闇の中から日本軍の駆逐艦が出現したことに驚き、あわてて進路を変えてよけようとします。
そして旗艦「サンフランシスコ」に目の前に敵がいると通報しました。
カラハン少将は驚きました。
わずか数分前に「ヘレナ」のレーダーは25キロ地点に日本軍がいると報告してきました。
それがほんの数分で目の前3キロほどの位置にいるというのか?
カラハン少将はそれがまったく違う本隊と前衛だとは思わなかったのです。
カラハン少将は再度確認するように命じ、貴重な時間が失われていきました。
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- 2012/01/09(月) 21:02:37|
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昭和17年(1942年)、日本はミッドウェーで空母四隻を一度に失うという大損害をこうむりました。
これによりもともとはアメリカ本土とオーストラリア大陸との連絡を遮断するフィジー・サモア作戦の支援用前線航空基地として建設が計画されたガダルカナル島の飛行場でしたが、空母を失い防戦に回る可能性がある場合でも制空権確保のためには必要と判断され、ガダルカナル島の飛行場建設は行われることとなりました。
この日本軍が建設しようとした飛行場は、8月5日には第一段階の工事が完了し、滑走路が使用できるようになりました。
しかし、このわずか二日後の8月7日、海兵隊を中核とした米軍の上陸部隊がガダルカナル島に上陸。
飛行場設営のためのわずかな部隊しかいなかった日本軍は米軍の攻撃になすすべもなく、飛行場周辺は米軍に占領されてしまいます。
このとき米軍の上陸部隊は第一海兵師団を中心に約二万名もの大兵力を擁しておりましたが、日本軍は敵情の把握に失敗し、これを十分の一の二千名程度と判断。
もともとミッドウェー島攻略に当てる予定だった陸軍一木支隊(一木大佐が指揮官のためこう呼ばれた)二千三百名をガダルカナルに送り込んで飛行場奪回を企てます。
二千名の敵に対しこちらも二千名程度で攻撃するというのは、私などは少なすぎると感じてしまうのですが、中国大陸での中国軍との戦いでは兵力の少ない日本軍が中国軍を攻撃して勝つのが当たり前的な状況が多かったので、そういった意識が働いていたのかもしれません。
それに米軍は飛行場を長期的に占領しに来たのではなく、ゲリラ行動的に飛行場を破壊して立ち去るものと考えていたようでもあり、撤退する米軍を追い払う程度という意識もあったのでしょう。
しかし、実際には約十倍の敵にまともにぶつかる羽目となった一木支隊は米軍の火力の前に壊滅し、これに驚いた陸軍は川口少将率いる約四千名の川口支隊を送り込みますが、こちらも数日の戦いでほぼ壊滅するという状態に陥ります。
そしてこの間米軍は日本軍が建設した飛行場を拡張し、「ヘンダーソン飛行場」として運用し始めることでガダルカナル島上空の制空権を握りました。
これにより日本軍はガダルカナル島を奪回するための兵力を送り込もうにも、制空権がないために送り込めなくなってしまいます。
そこで日本軍は苦悩の末ある作戦を実行します。
それは艦砲射撃でヘンダーソン飛行場を砲撃し、一時的にでも飛行場を使用不能にしてその隙に部隊や補給物資を送り込もうというものでした。
これに伴い、ヘンダーソン飛行場を砲撃しようと向かった日本艦隊と、ガダルカナル島周辺をパトロールする米軍艦隊との間に数次の水上艦隊戦が生起します。
まず最初に起こったのは「サボ島沖海戦」でした。
この海戦では砲撃に向かった日本軍の重巡艦隊が米軍艦隊の前に敗北し、重巡「古鷹」と駆逐艦一隻を失い、重巡二隻が損傷を受けました。
しかし、10月13日夜には戦艦「金剛」と「榛名」がガダルカナル島に接近し、ヘンダーソン飛行場を砲撃して一時的に使用不能といたしました。
このとき陸軍はこの艦砲射撃を「野砲千門に匹敵する」と喜びの報告をしています。
ところがヘンダーソン飛行場は不死身でした。
日本軍の知らない間に米軍は滑走路を拡張しており、砲撃を受けなかった滑走路から飛び立った航空機が制空権を保持していたため、日本軍は第二師団の揚陸を妨害されてしまい兵員は何とか上陸したものの、武器弾薬や食料などの物資が半分も揚陸できなかったのです。
このため第二師団の攻撃もまた米軍に跳ね返されて失敗となり、ガダルカナル島の戦いはずるずるとどうしようもない消耗戦になっていったのです。
日本軍は制空権を取ろうと躍起になりましたが、前線飛行場のラバウルからガダルカナル島はあまりにも遠く、長距離飛行のできる零戦でもガダルカナル上空での戦闘は30分もできるかできないかでした。
そのため長距離を飛んで疲れ果てたパイロットの乗る零戦と、上昇してきたばかりの疲労の少ないパイロットの乗る米軍機とでは勝負にならず、またたとえ空戦に勝利しても同じ距離を戻らねばならない零戦はあまりにも不利で制空権を取ることはできませんでした。
第二師団の攻撃も失敗に終わり、それ以上にガダルカナル島への補給もままならない状況に対し、やはりヘンダーソン飛行場を使用不能にするしか道はないとした日本軍は、再度ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を試みることにいたします。
それも重巡の20センチ砲ではなく、破壊力の大きい戦艦の主砲を使うことにいたします。
しかし、残念ながら制空権のない海上では戦艦は夜しか行動できません。
米軍機の行動圏の外で日没を迎え、ガダルカナル島に砲撃し、朝になる前に米軍機の行動圏を出る。
そのためには速力が速くなくてはなりません。
日本の誇る戦艦「大和」や「武蔵」「長門」では速力が遅くてだめなのです。
(速力よりももったいなくてそんな任務に使えないとした説も)
そこで速力の速い戦艦である「金剛」級が選ばれました。
「金剛」「榛名」は10月の砲撃で使いましたから、今度は同型艦の「比叡」と「霧島」に白羽の矢が立てられます。
再度の艦砲射撃を行うため、「比叡」と「霧島」は出撃していきました。
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- 2012/01/07(土) 21:15:00|
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