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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

戦艦ビスマルクを撃沈せよ (5)

ソードフィッシュ隊の雷撃はビスマルクに思わぬ被害を与えておりました。
しかし、英国海軍はそのことを知りませんでした。
ソードフィッシュ隊からの報告では大きな損害を与えることはできなかったと判断されていたのです。

しかし、ビスマルクを追尾していた軽巡シェフィールドからの電文が、トーヴィー提督を驚かせました。
ビスマルクの速度が落ち、進路を左に変えているというのです。
何かが起こったことは間違いありませんでした。

そのころビスマルクの周囲には、英国海軍のヴァイアン大佐率いる第四駆逐隊が到着しておりました。
ソードフィッシュによる攻撃とは別に、ヴァイアン大佐も駆逐艦の魚雷でビスマルクの足を止めようと思って攻撃を仕掛けたのです。

ソードフィッシュの攻撃により速度が7ノット程度しか出せなくなっていたビスマルクでしたが、まだまだその強力な主砲の攻撃力は健在でした。

22時ごろから始まった第四駆逐隊の五隻の英国駆逐艦の攻撃でしたが、ビスマルクの正確な砲撃に翻弄され、艦隊としての秩序だった攻撃を行なうことができません。
ヴァイアン大佐はやむを得ず各艦個別の攻撃を命じますが、ばらばらに投射された魚雷は思うように当てられません。

結局第四駆逐隊の魚雷攻撃はなんらビスマルクに損傷を与えることはできませんでした。
放たれた魚雷は一本も命中しなかったのです。
しかし、夜が明けるまでの間第四駆逐隊はビスマルクと接触し続け、味方艦隊を導くのに役立ったのでした。

明けて1941年5月27日。
よろよろと航行するビスマルクに、トーヴィー提督の率いる艦隊がようやく追いつきます。
8時43分、まず戦艦ロドニーが英国戦艦でこのロドニーと「ネルソン」しか持たない40センチ主砲をビスマルクに向けて発砲。
続いて旗艦キング・ジョージⅤも36センチ主砲を発射します。

ビスマルクも応戦。
戦場には巨砲の発射音が響き渡りました。

9時ごろになると、戦場に新たに二隻の重巡が加わります。
ウォーカー隊の一隻ノーフォークと、新たにやってきた「ドーセットシャー」でした。
二隻は20センチ主砲をビスマルクに向けて発砲します。

速度の低下したビスマルクは、巨砲の集中射撃に滅多打ちにあっていきました。
上部構造物はめちゃくちゃになり、主砲も第四砲塔以外は使用不能に追い込まれていきます。
10時ごろには大勢は決しました。
各所から煙を上げてのたうちまわるビスマルクは、もはや救いようがありませんでした。

しかし、まだビスマルクが沈んだわけではありません。
トーヴィー提督は焦りました。
これまでの追跡航でキング・ジョージⅤもロドニーも帰還するまでの燃料しか残っておらず、この戦場から離れなくてはならなかったのです。
砲撃で止めを刺す時間的余裕がなかったのでした。

やむを得ずトーヴィー提督は魚雷を持っているものは雷撃せよと命じます。
ですが、果たして魚雷をまだ持っている艦はいたのでしょうか?

たった一隻おりました。
新たに攻撃に加わった重巡ドーセットシャーです。
(ノーフォークも持っていたともいわれますが不明)
ドーセットシャーは沈黙したビスマルクにぎりぎりまで接近して魚雷を発射。
三本が命中したと言われます。
(この数は砲撃戦最中の命中も含まれるとも言われます)

この魚雷命中後、ビスマルクの船体はゆっくりと傾いて転覆。
艦尾から沈んでいったと言われます。
沈没に関してはドイツ側が自沈処置を取ったとも言われ、沈没原因はわかっておりません。
沈没は10時40分ごろのことでした。

ビスマルクの沈没後、燃料の残りがほとんどなかったキング・ジョージⅤとロドニーは戦場を離脱。
ドーセットシャーのみが生存者の救助に当たりました。
しかしドーセットシャーもUボートの脅威を理由に早々に救助を中止。
結局2206名のビスマルク乗組員のうち、救助されたのは115人でした。
リンデマン艦長もリュッチェンス提督もともに戦死。
ドイツ戦艦ビスマルクの生涯はここに終わりを告げました。

フッドの敵討ちとはいえ、このビスマルク追撃にかけた英国海軍の執念はすさまじいものがありました。
追撃戦に参加した艦艇は、戦艦巡洋戦艦が合わせて八隻、空母二隻、巡洋艦十一隻、駆逐艦二十一隻、潜水艦六隻、航空機約三百機と英国海軍のもてる全力を投入した追撃戦だったといっても過言ではありませんでした。
そして、ついに最終的にはビスマルクを沈めることに成功したのです。

ドイツにとってビスマルクの損失は大きなものでした。
水上艦艇での通商破壊はこれをもって終結し、以後ヒトラーは大型水上艦艇を出撃させようとはしませんでした。

月が改まった6月1日。
一隻のドイツ艦がフランスのブレスト港に入港。
途中でビスマルクと別れたプリンツ・オイゲンでした。
通商破壊には失敗したものの、どうにか無事に帰ってくることができたのです。

プリンツ・オイゲンは第二次世界大戦を生き延びました。
戦後、米軍に接収され、ビキニ諸島での原爆実験の標的として使われます。
のち、スクリューだけがドイツに返還されました。

ビスマルクの脚を航空機で止めることに成功した英国海軍も、そののちに同じような目を受けることになります。

主砲故障で散々な目にあったプリンス・オブ・ウェールズは、東洋艦隊の一隻として日本に対しにらみを効かせましたが、「マレー沖海戦」で日本軍の航空機に沈められます。
また、ビスマルクに最後魚雷を発射したドーセットシャーも、インド洋で日本軍の航空機に沈められました。

そして、ビスマルクの推進器に損傷を与えたソードフィッシュ隊を発進させた空母アークロイヤルは、マルタ島への航空機輸送の帰り道、ドイツのU-81からの魚雷を受けて沈没。
ある意味ビスマルクの仇を取った形となったのでした。

参考文献
「バルバロッサ作戦」(第二次大戦欧州戦史シリーズ4) 学研
「グラフィックアクション19 戦うドイツ海軍」 文林堂

参考サイト
Wikipedia「ビスマルク」
Wikipedia「プリンツ・オイゲン」ほか


思った以上に長くなってしまいました。
二回ぐらいで終わるかなって思っていたのですが・・・

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた。
  1. 2008/09/24(水) 20:25:40|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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戦艦ビスマルクを撃沈せよ (4)

ビスマルクの砲撃によって巡洋戦艦フッドを失ったことは、英国にとっては大きな衝撃でした。
完成以来軍艦美の極致と言われ、英国民に親しまれてきた巨艦を失ったことは、英国海軍に復讐心を抱かせるには充分でした。
英国海軍軍令部は、投入できるすべての戦力を振り向けるべく直ちに手配を行います。
船団護衛という重要な任務についていた戦艦「ロドニー」が、この命令により駆逐艦を引き連れてビスマルクに向かいました。

そのころビスマルク艦上では、リュッチェンス提督が決断を迫られておりました。
積み損ねてしまった燃料200トン。
せっかく入港したのに燃料補給を行なわなかったノルウェーのベルゲンまでに消費した燃料が約1000トン。
そして、今また砲撃戦で使用不能になってしまった燃料が約1000トン。
残燃料は3000トンを切っていたといい、通商破壊活動を行なうにはもはや燃料不足は明白でした。

リュッチェンス提督はついに任務中止を決断。
ビスマルクを入港させて修理することに決定します。
無傷に近いプリンツ・オイゲンに関しては、このまま任務を続行させるため、ここで別れることとなりました。

問題はどこに入港するかでした。
ノルウェーのベルゲンやトロンヘイムは近いのですが、まさに英国海軍が待ち構えている危険性が非常に高いものでした。
一方遠回りになりますが、フランスの港へ向かえば英国海軍の監視の目をすり抜けられる可能性もあり、リュッチェンス提督はそちらを選びます。
ビスマルクはフランスのブレストかサン・ナゼールを目指すことになりました。

損傷を受けていたとは言え、ビスマルクはまだ28ノットの速度を出すことができました。
油の尾を引いていてもこの速度を維持できれば、英国の艦隊を振り切ることも可能かと思われました。

英国本国艦隊のトーヴィー提督は、何とかビスマルクの速度を低下させなければならないと考えます。
そこで航空機による魚雷攻撃で損傷を与え、速度を落とさせようとしました。

早朝の砲撃戦の興奮も冷めやらぬ5月24日22時。
本国艦隊の空母ヴィクトリアスから、複葉の旧式機ではあるものの信頼性の高い「ソードフィッシュ」雷撃機が9機飛び立ちます。
この攻撃隊はウォーカー隊の誘導でビスマルクにたどり着き、果敢な攻撃で魚雷一本を命中させることに成功しました。
しかし、この魚雷はビスマルクにさほどの損傷を与えることはできず、出港前にリュッチェンス提督が豪語したことを証明しただけでした。

日付が変わった1941年5月25日深夜。
それまで付かず離れずレーダーでビスマルクを追尾してきたウォーカー隊の重巡サフォークが、レーダーからビスマルクを見失います。
英国艦隊を振り切るためのビスマルクの数度の針路変更が功を奏したのでした。

サフォークが接触を失ったことで英国側は焦りました。
このままではビスマルクを取り逃がしてしまいます。
しかし、ビスマルク側はこの幸運を自ら手放してしまいました。
ドイツ海軍本部に宛てて通信を送ってしまったのです。

ビスマルクの通信は英国側にも傍受され、ビスマルクの位置が知られてしまいました。
ところがまだ幸運は完全には逃げてませんでした。
英国海軍軍令部はビスマルクがフランスに向かうものと判断しましたが、肝心の追尾するトーヴィー提督の艦隊がビスマルクの位置を誤って判断してしまったのです。

トーヴィー提督の艦隊が空しい追尾を行っている間にもビスマルクはフランスに近づいておりました。
あとほんの少しの幸運があればフランスにたどり着ける状態でした。

5月25日はそうして終わり、5月26日の朝を迎えます。
ビスマルクはフランスまで400マイルあまりの位置にあり、もう少しでUボートの活動圏内でした。

10時30分、哨戒機のカタリナ飛行艇がフランスのビスケー湾に向かって航行中のビスマルクを再度発見します。
発見の報告自体は喜ぶべきものであったものの、英国海軍は逆に深刻な状況であることに暗澹たる思いを募らせました。
現状ではどうあがいても、本国艦隊もH部隊もビスマルクを捕捉できる位置にはいなかったのです。

このままではフランスに逃げ込まれてしまう。
せめてビスマルクの速度が低下すれば・・・
英国海軍は一縷の望みを駆逐艦と航空機に託しました。

この時、ジブラルタルより出発していたサマーヴィル提督指揮下のH部隊は、ビスマルクよりおよそ100マイルの位置に到着しておりました。
100マイルであればソードフィッシュ雷撃機で攻撃ができる。
そう考えたサマーヴィル提督は、指揮下の空母「アークロイヤル」にソードフィッシュ雷撃機の出撃を命じます。
14時40分、魚雷を抱いたソードフィッシュは、複葉機という旧式な姿でのろのろとではありましたが、ビスマルク攻撃の熱い思いを載せて飛び立って行きました。

ところがこの熱い思いは空回りをしてしまいます。
アークロイヤルを飛び立った15機のソードフィッシュは、こともあろうに味方である軽巡洋艦「シェフィールド」をビスマルクと誤認して攻撃してしまったのです。

しかし、何が幸いするかわかりません。
この攻撃で投下された魚雷は、すべてシェフィールドに当たる前に自爆してしまい、シェフィールドは傷つくことをまぬがれました。
信管の感度がよすぎて、波に当たっただけで爆発してしまったのです。
帰投したソードフィッシュ隊はそのことを知り、魚雷の信管を交換して第二次出撃に望むことができました。

空母アークロイヤルの艦上で、ソードフィッシュ隊が万全を期して第二次攻撃の準備をしていたちょうどそのとき、この巨艦を潜望鏡に収めたUボートがおりました。
ビスマルクと兄弟艦の約束を交わしたU-556でした。
艦長のヴォールファルト大尉は、あれこそ英国の空母アークロイヤルだと認識しており、魚雷を撃つ絶好のチャンスであることも理解しておりました。
しかし、基地に帰投中であったU-556には魚雷が一本も残っておりませんでした。
商船六隻撃沈という輝かしい戦果を挙げていたU-556は、手持ち魚雷をすべて使い果たしてしまっていたのです。
運命の皮肉でした。
U-556はビスマルクを救うチャンスを逸したのです。

19時10分、アークロイヤルから再びソードフィッシュ15機が飛び立ちます。
今度はシェフィールドの誘導もあってビスマルクに到達。
約30分に渡ってビスマルクを攻撃しました。

熾烈な対空砲火がソードフィッシュ隊を襲い、魚雷投下をあきらめざるを得なくなる機も出る中で、二本の魚雷がビスマルクに命中します。
一本は左舷中央部に命中、多量の浸水が起こりましたが、まだビスマルクにとっては大きな損害ではありませんでした。
しかし、二本目は後部推進器付近に命中。
ビスマルクの三本のスクリューのうち中央の一本が捻じ曲がり艦底を傷つけます。
さらに悪いことに、これによって舵が効かなくなってしまい、取り舵(左舵)を切ったまま動かなくなってしまったのです。

この損傷は致命的でした。
ビスマルクは速度も出せなくなり、左へ左へとただ回転するしかできなくなったのです。
フランスへ逃げ込むことがほぼ絶望となりました。

その5へ
  1. 2008/09/23(火) 20:34:48|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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戦艦ビスマルクを撃沈せよ (3)

1941年5月24日午前5時25分(諸説あり)。
ホランド提督率いる英国先遣艦隊はビスマルクとプリンツ・オイゲンの二隻を発見。
見敵必戦の伝統を持つ英国艦隊は波を蹴立ててビスマルクに向かいます。
ただ、そのため本来取りたかったT字戦法を取ることができなくなり、逆にドイツ側がT字戦法を取りやすくなっておりました。

5時52分、両軍は砲撃を開始。
指揮官先頭の英国海軍は旗艦フッドにプリンス・オブ・ウェールズが続行する形となり、前方を航行する二隻のドイツ軍艦に砲撃を浴びせます。
一方ドイツ側は、隊形変換でプリンツ・オイゲンが前に出る形になっており、ビスマルクは後ろ側になっておりました。

ここでこの二隻のシルエットが似ていることが、ドイツ側の有利に働きます。
プリンス・オブ・ウェールズは後方の敵艦こそビスマルクと判断して砲撃を行ないますが、フッドはしばらくの間プリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認していたというのです。

ドイツ側を追いかける形となっていた英国側は、船体の前側の大砲しか使えません。
フッドが4門、プリンス・オブ・ウェールズが6門と、主砲全部で18門のうち10門しか使えないのです。
さらにそれが分散し、ビスマルクを狙っている主砲はプリンス・オブ・ウェールズの6門のみ。
しかも、完成したばかりのこの戦艦は、まだ完全に仕上がっていなかったのか、主砲1門が最初の砲撃で故障してしまいます。
結局、英国艦隊の18門の主砲のうち、ビスマルクを撃っているのはたった5門に過ぎなかったのです。

この間、ドイツ側はすべての主砲を先頭のフッドに集中させておりました。
ビスマルクの38センチ砲8門と、破壊力は劣るものの傷つけるには充分なプリンツ・オイゲンの20センチ砲8門が、フッドに集中していたのです。

6時ちょうど、ビスマルクの主砲の一弾がフッドの船体中央部付近に命中します。
すでにいくつかの命中弾を受けていたフッドでしたが、この直撃がフッドに止めを刺しました。
巨大な爆発が船体中央部で発生し、フッドの前半分を吹き飛ばしたのです。

フッドの後方を航行していたプリンス・オブ・ウェールズは一瞬何が起こったのか把握することができませんでした。
われに返ったときにはすでにフッドの姿は海上にはありませんでした。
まさに轟沈だったのです。

フッドの轟沈により、プリンス・オブ・ウェールズは緊急回避を行なわざるを得ませんでした。
その結果、今度はドイツ側が狙いやすい位置に動くことになってしまい、集中砲撃を食らってしまいます。
いくつかのドイツ側の砲弾が命中し、プリンス・オブ・ウェールズを損傷させました。
幸いにして致命傷を負うことはありませんでしたが、それ以上に深刻だったのが相次ぐ主砲の故障でした。
気がつくとプリンス・オブ・ウェールズは、前部主砲の半分ほどが故障で撃てなくなっていたのです。

ここにいたり、プリンス・オブ・ウェールズのリーチ艦長は撤退を決意。
このためフッド乗組員の救出を行なうことができませんでした。

反転回頭したプリンス・オブ・ウェールズは、後部砲塔の4門の主砲をビスマルクに向けて撃ちますが、これは命中せず、かえってまたしても砲塔が旋回できなくなると言う故障に見舞われます。
この戦闘に関しては、最初から最後までプリンス・オブ・ウェールズには故障が付きまといました。

6時10分。
戦闘は終了します。
たった20分ほどの砲撃戦でしたが、英国海軍の完敗でした。
フッドは失われ、ホランド提督も戦死。
プリンス・オブ・ウェールズは満身創痍で戦場を離脱せざるを得ませんでした。

ですが、英国側もただやられたわけではありませんでした。
故障に悩まされながらも、プリンス・オブ・ウェールズの放った主砲弾は三発がビスマルクに命中しておりました。
二発はたいした損害ではなく、今後の戦闘行動に支障のあるものではありませんでしたが、一発が水面下に命中して燃料タンクに損傷を与えておりました。

これによりビスマルクはまたしても燃料のうちの1000トンを使用することができなくなりました。
さらに悪いことに、漏れた燃料が海面に油の尾をはっきりと生じさせておりました。
航空機から見れば、それははっきりとわかるものであり、この油の尾を引いている限りビスマルクがその先にいることを示してしまうものでした。

ビスマルクの艦橋では二人の男が意見を衝突させておりました。

一人はリンデマン艦長。
彼は離脱したプリンス・オブ・ウェールズを追撃して撃沈するべきだと言う意見の持ち主でした。
彼はどうやらプリンス・オブ・ウェールズを本国艦隊の旗艦キング・ジョージⅤと誤認していたのかもしれませんが、英国民の親しんだフッドと英国の誇るキング・ジョージⅤを撃沈することができれば、英国民に与える精神的動揺は計り知れなく、またビスマルクにとっても大いなる名誉だと考えておりました。

もう一人はリュッチェンス提督。
彼はプリンス・オブ・ウェールズ追撃に真っ向から反対します。
もともと艦隊の目的は通商破壊であり、そのために出撃してきたのです。
沈めるべき相手は商船であり戦艦ではありません。
たまたまフッドを沈めたとは言え、本来戦闘は回避するべきものでした。
敵が撤退したのなら、この隙に距離をとって本来の通商破壊任務に戻るべきだと考えたのです。

結局ビスマルクは戦場を離れました。
リンデマン艦長にとっては不満が残るものだったでしょうが、提督の命には従わなければなりません。
こうしてデンマーク海峡での戦いは終わりました。

離脱したプリンス・オブ・ウェールズは、重巡サフォークとノーフォークの両艦と合流。
ウォーカー少将の指揮下に入ることになりました。
ウォーカー少将はこの三隻による攻撃は考えず、トーヴィー提督指揮下の艦隊の到着を待つことにします。
レーダーの索敵範囲ぎりぎりに追尾しつつ、チャンスを待つことにしたのでした。

フッド乗組員の救出のために駆逐艦が戦場付近に到着したのは、戦闘から約二時間後でした。
救出されたフッド乗組員はわずかに3名。
ホランド提督以下1415名が戦死いたしました。

その4へ
  1. 2008/09/22(月) 20:25:44|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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戦艦ビスマルクを撃沈せよ (2)

1941年5月18日、ビスマルクとプリンツ・オイゲンほかのドイツ艦隊はゴーテンハーフェンを出港しました。
リュッチェンス提督の計画としては、このままノルウェーをかすめるようにして北海へ向かい、待機しているはずの給油船と合流して燃料を受け取ったのち、北大西洋で英国商船団を攻撃するというものでした。

ビスマルクは、出撃に際してどういうわけか燃料を200トンも積み残しておりました。
長期的に外洋で航海するためには燃料が必要不可欠でしたが、どうも事故で積み損ねていたようでした。

ビスマルクが出港したちょうどそのころ、かつて造船所で兄弟艦の約束を交わした潜水艦U-556は、大西洋上で順調に商船狩りを行なっておりました。
しとめた獲物は五隻にものぼったそうで、ヴォールファルト大尉以下乗組員は意気揚々としていたところでした。

ビスマルク艦隊は、デンマークとノルウェーにはさまれたカテガット海峡を通過。
残念なことに、狭い海峡の通過はすぐにこの艦隊の出撃を連合軍側に知らしめることになります。
5月20日には早くもスウェーデンの軍艦がビスマルク艦隊を発見したのです。

英国海軍の根拠地スカパ・フローでは、戦艦「キング・ジョージⅤ」に将旗を掲げた本国艦隊司令長官サー・ジョン・トーヴィー提督が、ビスマルクの出撃を待ち構えておりました。
彼はビスマルクの出撃を5月中旬と読んでおり、重巡「サフォーク」と「ノーフォークの」二隻を指揮してデンマーク海峡を遊弋中のウェイク・ウォーカー少将に注意するように命じたばかりでした。

ビスマルク艦隊の出撃情報は5月21日にはトーヴィー提督の元に届きました。
トーヴィー提督はビスマルク迎撃に手持ちの戦力を集結するべく各部隊に命令を発します。
地中海で苦戦しているマルタ島守備のために航空機を運ぶ予定だった空母「ヴィクトリアス」の出撃を取りやめ、巡洋戦艦「レパルス」にもスカパ・フローへの帰投を命じました。
そして、先遣部隊として、ランスロット・ホランド中将に戦艦「フッド」と、完成したばかりでまだ完熟訓練も満足に行なえていなかった最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を与え、出撃準備を行わせます。

同日、どうしたわけかリュッチェンス提督は指揮下の艦隊をノルウェーのベルゲン付近のフィヨルドに停泊させ、プリンツ・オイゲンに給油を行なわせました。
今後の通商破壊行動における燃料の不安を解消したかったのかもしれませんが、それにしてはビスマルクへの燃料補給は行なわなかったのです。
このツケは高くつくことになりました。

そのころ、ビスマルクの動向を探るべくトーヴィー提督が派遣した英空軍の偵察機が、フィヨルドのビスマルクを発見。
またしてもビスマルクは居場所を察知されてしまいました。

この情報にトーヴィー提督はホランド中将の先遣隊に出撃を命令。
フッド、プリンス・オブ・ウェールズ及び駆逐艦四隻がビスマルク目指して出港しました。
英軍のビスマルク狩りが始まったのです。

翌5月22日、ビスマルク以下の艦隊はフィヨルドを出港。
北大西洋へ向かって航海を始めます。
ここから先は波の荒い外洋であり、護衛の駆逐艦には航行困難になるであろうことが予想されました。
そのため、護衛の駆逐艦とはここで分離。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンのみがアイスランド方面へ向かいました。

アイスランドとグリーンランドの間をデンマーク海峡と呼びます。
このデンマーク海峡を通って、ビスマルクは外洋へ向かうつもりでした。

一方、フィヨルドからビスマルクが出港したことを知ったトーヴィー提督は、ついに自らも艦隊を率いてビスマルク追撃に向かいます。
戦艦キング・ジョージⅤを旗艦とし、帰投した巡洋戦艦レパルス、出撃を取りやめていた空母ヴィクトリアスと軽巡洋艦四隻、駆逐艦六隻があとに続きました。

トーヴィー提督が本国艦隊を出撃させていたころ、英国海軍軍令部のダドリー・パウンド提督は、本来なら船団護衛につく予定だったジェイムズ・サマーヴィル中将指揮下のジブラルタル駐留艦隊(H部隊)にもビスマルク追撃に参加するよう指示。
この指示こそパウンド提督の最高の指示だったとのちに評されることになります。

5月23日、ビスマルクとプリンツ・オイゲンはデンマーク海峡に侵入。
時折霧が立ち込める中、両艦は粛々と海峡を通過して行き、英軍の準備した機雷原も突破します。
リュッチェンス提督の下には、まだ英国艦隊出撃の報告は届いておりませんでした。

19時15分ごろ、デンマーク海峡を遊弋していたウォーカー少将指揮下の二隻の重巡のうちの一隻サフォークの見張り員が、ビスマルクとプリンツ・オイゲンを視認。
同艦のエリス艦長は、ビスマルクの砲撃を食らってはひとたまりもないので、慎重にサフォークを霧の中に隠し、装備されたばかりのレーダーで追尾することにします。

一方もう一隻の重巡ノーフォークは、霧の切れ間に姿を現してしまうというミスを犯してしまい、ビスマルク側にも英国巡洋艦の姿を視認させてしまいます。
ビスマルクは直ちにノーフォークを追い払うべく砲撃を開始。
正確な砲撃はノーフォークが霧に隠れるわずかな間に砲弾を夾叉(きょうさ:砲弾の着弾が敵艦を挟み込むこと。次の射撃で当たる確率が高くなる)させるほどでした。

サフォークとノーフォークの悲鳴のようなビスマルク発見の報告は、ホランド提督の先遣艦隊はおろか、トーヴィー提督の本国艦隊、英国本土の軍令部、ジブラルタルのH部隊のサマーヴィル提督にも受信されました。
ビスマルクはまたしてもその位置を発見されてしまったのです。

先遣艦隊のホランド提督は勇み立ちました。
指揮下の二隻の戦艦に対して相手は戦艦はビスマルク一隻。
フッドこそ艦齢20年になるベテランですが、その主砲はビスマルクと同じ38センチ砲八門。
さらにプリンス・オブ・ウェールズにいたってはできたばかりの最新鋭戦艦であり、主砲は36センチ砲と一回り小さいものの、その分十門という門数をそろえていて遜色ありません。
気がかりなのはできたばかりということで乗組員の練度不足と、造船所の工員が乗り込んでまだ工事をやっている部署があるということでした。

ホランド提督は態勢的に有利なT字戦法(味方は横腹を晒して全部の大砲を使うが、敵は向かってくるために前側の大砲しか使えず、味方が有利)を取るべく進路を変えます。
この針路変更は、幸か不幸かビスマルクとわずか10マイルほどですれ違うと言う結果になり、ウォーカー隊からの位置報告によって再度変針。
ビスマルクを追いかけるような形となってしまいます。

ビスマルクとフッド及びプリンス・オブ・ウェールズとの戦いは、翌日に持ち越されました。

その3へ
  1. 2008/09/21(日) 20:32:42|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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戦艦ビスマルクを撃沈せよ (1)

第二次世界大戦三年目の1941年5月18日、ドイツの軍港ゴーテンハーフェンより一隻の戦艦が出撃いたしました。
戦艦の名は「ビスマルク」。
あの鉄血宰相といわれたオットー・フォン・ビスマルクの名をつけられた、ドイツ海軍の有力な戦艦でした。

ビスマルクとともに出港したのは、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」ほか駆逐艦六隻。
小規模ながらも堂々たる艦隊を組んでの出港でした。
この艦隊の目的はただ一つ。
英国周辺海域で英国に向かう商船を沈めること。
つまり通商破壊戦だったのです。

1939年に開戦して以来、ドイツは英国を戦争から脱落させるために通商破壊を仕掛けておりました。
1940年には輝かしい電撃戦をもってフランスやオランダベルギーを屈服せしめ、ノルウェーも占領して、欧州の大西洋岸の良港はほぼドイツの手中に収まります。
今までドイツ本国から出かけていたUボートは、フランスやノルウェーの港から出航できるようになり、その威力も増大しました。

1940年から1941年初頭にかけて、ドイツのUボートやポケット戦艦、巡洋艦等の通商破壊艦による英国商船の損害はうなぎのぼりであり、英国は軍需物資どころか日用品にまで事欠く有様となります。
このままいけば、早晩英国は戦争継続が不可能になるだろうと思われました。

そこでドイツ海軍(クリークスマリーネ)の司令官たるエーリッヒ・レーダー提督は、高速戦艦ビスマルクと、巡洋戦艦「グナイゼナウ」、「シャルンホルスト」のドイツ海軍の戦艦クラスすべてを通商破壊に投入し、英国の息の根を止めることを考えます。
これら三隻が暴れまわれば、英国の商船団は壊滅し、英国の息の根はとまると考えられたのです。

レーダー提督は「ライン演習」という作戦名でこれらの軍艦の出撃準備を進めました。
完成したばかりの新型重巡プリンツ・オイゲンもこの作戦に加わるべくゴーテンハーフェンに到着します。

プリンツ・オイゲンは、アドミラル・ヒッパー級の一隻で基準排水量15000トンと、当時の巡洋艦としてはかなり大型の重巡洋艦でした。
(日本海軍の大型重巡である高雄型でも11000トン)
20センチ主砲連装砲塔を前後二基ずつ合計四基八門持ち、長大な航続力を持つこの重巡は、まさに通商破壊用と言っても過言ではありませんでした。
そして、何よりこの重巡の特徴は、遠距離から見た場合のシルエットがビスマルクにそっくりというものでした。
いわばビスマルクの影武者とも言える存在を、ドイツ海軍は用意していたのです。

こうして「ライン演習」作戦の準備は着々と進められましたが、大きな誤算が生じました。
参加するはずのグナイゼナウとシャルンホルストの二隻の巡洋戦艦が二隻とも作戦参加不能となってしまったのです。
シャルンホルストは機関部の故障、グナイゼナウは英空軍機の攻撃による損傷のため、二隻とも修理をしなくてはならなくなったのです。

レーダー提督は悩みました。
このまま戦力の少ない状況で作戦を実行するべきか、それとも両艦の修理を待って戦力を充実させて作戦を行なうべきか・・・
しかし、直接の参戦はしてないものの、英国にはアメリカの援助が行われつつありました。
今このチャンスを逃せば、英国は立ち直ってくるかもしれない。
レーダー提督はそう考え、ビスマルクとプリンツ・オイゲンだけで作戦を決行することにいたします。

5月5日、出撃準備中のビスマルクを、総統ヒトラーが視察に訪れます。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンを直接率いるのはベテラン海軍軍人のギュンター・リュッチェンス中将でしたが、彼はヒトラーの前でビスマルクの優秀さを説明し、英国の戦艦のいずれが来ても撃退できると豪語します。
ヒトラーはそれに満足したものの、ふと雷撃機に魚雷を撃ち込まれたらどうなのだと訊きました。
リュッチェンスは多少の心配はあるものの、対空兵器も充実しており、何よりその厚い装甲が魚雷を蜂の一刺し程度にしか感じさせないでしょうと言ったといいます。

第二次世界大戦直前の1939年2月に進水したビスマルクは、翌年1940年8月に就役しました。
基準排水量41700トン、全長251メートル、38センチ主砲連装砲塔四基八門を搭載し、装甲に排水量の38%も充てるという重防御の戦艦として完成します。
日本の大和級の完成までは世界最大の戦艦でした。

ただし、舷側防御は強力だったものの、甲板防御は比較的弱く、遠距離砲戦には向かない戦艦だったといわれます。
このあたりも戦艦同士の砲撃戦よりも通商破壊を考慮されたのかもしれません。

ハンブルグの造船所でビスマルクが艤装(ぎそう:進水後船に各種装備を取り付けること)しているとき、隣のドックではUボートの一隻U-556が建造中でした。
このよしみでビスマルクの艦長エルンスト・リンデマン大佐以下のビスマルク乗組員と、U-556の艦長ヘルベルト・ヴォールファルト大尉以下のU-556乗組員は互いに親しくなり、お互いに兄弟艦として助け合おうと約束しあったといいます。
海の男たちの友情でした。

こうしてビスマルクとプリンツ・オイゲン以下の艦隊は、北大西洋へと向かいました。
ビスマルクにとっては最後の航海の始まりでした。

その2へ

(ビスマルクの出港時に駆逐艦が付き従っていたことがわかりましたので記事を修正しました)
  1. 2008/09/20(土) 20:04:56|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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