130万ヒット記念SS第二弾として、「帝都奇譚」の29回目をお送りします。
うだうだと続いてしまっているこの作品ですが、もう少しお付き合いくださいませ。
29、
「終わったのですね?」
勝手口から屋敷に入った月子は、いきなり声をかけられたことに驚いた。
「摩耶子さん・・・起きていらっしゃったのですか?」
月子の前には、夜着を羽織った摩耶子が立っていたのだ。
心配そうな表情を浮かべている摩耶子に、月子は優しく笑顔を向ける。
「はい。すべて終わりました。あなたを狙う魔物はもうおりません。多少の後始末は残るでしょうが、帝都は元通りの平和な日々に戻るでしょう」
憲兵隊の入生田さんにも教えてあげなければね・・・
ふとそんなことも思う月子。
「よかった・・・月子さんが無事で本当によかった・・・」
ホッと胸をなでおろす摩耶子。
「摩耶子さんこそこんな時間にどうしたのです?」
「あ、私はどうしても寝付けなくて。布団の中で眼をつぶっていたら悲鳴のようなものが聞こえて・・・」
ふう・・・
月子がため息をつく。
どうにかして音を遮断するような結界を用意しないとダメだわね。
「そうでしたか。お騒がせしてしまいました。もう大丈夫ですから、ごゆっくりお休みくださいませ。明日に差し支えますよ」
「まだ休むことはできません」
「えっ?」
月子は驚いた。
いきなり摩耶子が強い口調で言い放ったのだ。
驚くには充分なことだった。
「月子さん自分がどういう状態かわかってますか? 傷だらけです。手当てしないとダメですわ」
「えっ? あ、ああ・・・いいんですよ、これぐらい平気ですから。自分で手当てぐらいできます」
「ダメです。私のためにこんな怪我を負ったのですから、手当てぐらいはさせてください。さあ、こっちへ」
月子の腕を取って居間に向かう摩耶子。
なんとなくその必死さが月子には面白く感じてしまう。
苦笑しつつも月子は摩耶子に連れて行かれるままになるのだった。
「ああ・・・ひどい・・・」
躰にぴったりした月子の洋服を脱がせると、あちこちに傷ついた箇所がある。
いくつかはすっぱりと切り裂かれ、いくつかは肉が抉り取られたようにもなっていた。
ほかにも治癒してはいるもののいくつかの傷跡があり、月子がただならぬ戦いの場に身をおいていることがしのばれる。
「摩耶子さん、もういいの。気分が悪くなったら困るわ。あとは私がやるから薬箱だけ置いておいてくださいな」
摩耶子が持ってきた薬箱から、脱脂綿と消毒液を取り出す月子。
つい摩耶子の好意に甘えてしまったが、傷口を見せるなどということはするべきではなかった。
うかつなことをしてしまったと月子は悔やむ。
鷹司のお嬢様に見せるべきものではなかったのだ。
「摩耶子さん?」
脱脂綿に消毒液を含ませ、傷口に当てようとした月子は、ふと雰囲気の異様さに気が付いた。
摩耶子が無言になってしまったのは、てっきり傷口を見て気分が悪くなったものと思っていたのだ。
だが、月子が顔を上げたとき、摩耶子はじっと彼女の傷口を見つめていたのだ。
「摩耶子さん?」
「飲み・・・たい・・・」
「えっ?」
月子はぞっとした。
まさか・・・
そんな・・・
反射的に飛び退ろうとする月子。
だが、間に合わなかった。
普段の月子ならかわせたはずのことだったが、ヴォルコフとの戦いでの消耗が激しい今の月子は動きが鈍っていたのだ。
「あぐっ!」
月子の左腕に激痛が走る。
摩耶子の腕がすばやく月子の左腕を掴み、噛み付いてきたのだ。
「ま、摩耶子さん・・・ど、どうして・・・」
どうして気が付かなかったのか?
いったいいつの間に彼女は魔に犯されてしまっていたのか。
左腕から急速に熱が奪われていくのを感じ、月子は必死で振りほどく。
摩耶子の爪が食い込むのもかまわずに、蹴飛ばすようにして突き飛ばし、どうにか距離をとる。
「ま、摩耶子さん・・・あなた・・・すでに・・・」
唇を噛む月子。
立ち上がった摩耶子の目は真っ赤に輝き、冷たい笑みを浮かべている。
「月子さん、私・・・喉が渇くの。あなたの血が飲みたいの。いいでしょ?」
目がかすむ。
任務を果たせなかった悔しさが、摩耶子を魔に貶めてしまったふがいなさが押し寄せる。
一瞬にして結構な量の血を奪われたのか、躰に震えが走る。
寒い・・・
月子は気力を振り絞り、脱いで椅子にかけた洋服に目を留める。
あの中にはまだ破魔札がある。
それを手に入れねば・・・
「ごめんなさい」
摩耶子が首を振る。
「私・・・どうしようもないの。喉が渇いてどうしようもないの・・・」
「そう・・・残念ね。残り少なくなっちゃったみたいだけど・・・あげるわけには行かないわ」
じりじりと椅子の方へと歩を進める月子。
その目は摩耶子からはずされることはない。
だが、だからといって赤い瞳を見るわけにも行かない。
魔力を持つ赤い瞳は見たものを魅入ってしまう。
ひざががくがくと震えながらも、月子は破魔札を取りに行くのだった。
「もう・・・だめですよ、月子さん。おとなしく血を飲ませてください。それだけでいいんですから」
何か吹っ切れたような表情を浮かべる摩耶子。
もはや彼女の中では獲物から血を吸うのは当たり前に思われるようになっていたのだ。
今ならばわかる。
小夜の血を吸ったのも私。
小夜は今頃また誰かの血を・・・
うふふ・・・
なんだか素敵だわぁ・・・
夜がこんなに気持ちがいいものだったなんて・・・
月子さんにも教えてあげなくちゃね・・・
躰が軽い。
今にもどこかに飛んでいってしまえそう。
すごい。
気持ちいい。
まるで生まれ変わったみたいだわ。
ああ・・・最高・・・
摩耶子がいきなりジャンプする。
月子目がけて飛び掛ってきたのだ。
間一髪で転がるようにかわす月子。
先ほどからうかつすぎることに、手元には武器になるようなものは何もない。
傷口の手当てのために服も脱いでしまい、今は下着だけなのだ。
まだ珍しい洋装の下着姿の月子。
白い肌にとてもよくマッチしている。
だが、今は身に着けているものがこれだけという心もとない状態に、月子は臍をかんでいた。
躰が重い。
まるで鉛か鉄でも飲み込んでいるかのよう。
苦しい。
ヴォルコフとの戦いで受けた消耗が回復できない。
このままではいけない。
何とかしなくては。
とは思うものの、今はどうしようもない。
とっさに転がってよけたものの、すでに摩耶子の動きは人間を越え始めている。
摩耶子さん・・・
暗澹たる思いの月子。
もはや元に戻すことは叶わない。
消滅させて魂を救ってやるしかない。
それができるのはここには自分しかいないのだ。
しっかりしなさい月子。
あなたは退魔師じゃない。
自分を叱咤して立ち上がる。
摩耶子が飛び掛ってきたときにひっくり返された薬箱。
そこから転がりでた和バサミ(握りバサミ)を手に取る。
今はこれが唯一の武器。
月子は和バサミを構えて摩耶子と対峙した。
- 2008/10/01(水) 20:48:08|
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三年連続更新記念SS大会初日は「帝都奇譚」です。
どうにもこんな記念日更新ばかりになってしまい申し訳ありません。
今回は一つの終わりを迎えます。
楽しんでいただければ幸いです。
28、
状況は最悪だ。
首筋に食い込んだ牙からは赤い血と命がともに吸い取られていく。
「う・・・あ・・・」
力が抜ける。
リボンを手にした腕がだらんと垂れ下がる。
その瞬間、ヴォルコフの牙が緩んだのを月子は見逃さない。
この瞬間を待ったのだ。
振り切るつもりなら振り切ることはできたはず。
だが、決め手を欠く状況では振り切ったとしても最初に戻るだけ。
すでに鎖分銅は無く、リボンもいつまで持つかわからない。
と、なれば、懐に踏み込んで一撃を見舞うしかないのだ。
しかもヴォルコフのような相手に対して懐に踏み込むとなるとただではすまない。
正面からでは踏み込むことすらできないはず。
肉を切らせるしかなかったのだ。
月子の腕が下がった瞬間、ヴォルコフは勝ちを確信した。
これでこの女は我が物となり、日本の退魔師連中に楔を打ち込むこともできるだろう。
仲間だった退魔師をいたぶる魔女となるがいい。
ヴォルコフの口元に笑みが浮かぶ。
そのとき、激痛が彼の左足を貫いた。
「何?」
思わずヴォルコフは自分の左足に目を落とす。
彼の左太ももには、月子の握った棒手裏剣が突き立っていた。
「くっ、この女ぁ!」
怒りがヴォルコフの躰を駆け抜ける。
血を吸ってしもべになど考えたのがまずかったのか。
捕らえたときに息の根を止めなかったことが悔やまれる。
「ぬおおっ」
突き飛ばすように月子を放り出すヴォルコフ。
そして左太ももの棒手裏剣を抜こうと手を伸ばす。
そのとき彼の目に映ったのは、棒手裏剣に巻かれていた破魔札だった。
「うおおおおおっ」
左太ももの棒手裏剣を握り締めた瞬間に、ヴォルコフの全身は燃え上がる。
さながら火のついたたいまつのように全身を炎が覆う。
「ぐわぁっ! ば、バカなっ! これしきの炎でっ」
全身を焼き始める炎にうろたえるヴォルコフ。
確かに炎は彼らのようなものにもダメージを与えてくるが、一瞬にして全身を覆いつくすようなことはありえない。
「うふふ・・・私からの贈り物ですわ。病原菌は焼き尽くすのが一番ですから」
青い顔で肩で息をしながらも、月子が笑みを浮かべている。
退魔の炎は魔を浄化するまで焼き尽くすのだ。
おそらくこれでヴォルコフは・・・
月子はもう一体のしもべに眼をやった。
さほどの脅威にはならないだろうが、不意を突かれてはかなわない。
「ぬ、ぬおおお・・・消えん! 火が消えん! バカな・・・そんなバカな・・・」
全身を火に焼かれながらのたうち回るヴォルコフ。
鷹司家の庭の池に飛び込んでも炎はまったく消えはしない。
浄化の炎はその程度では消えないのだ。
灯はその姿をただ眺めているだけだった。
主人が炎に焼かれていく。
その恐怖だけが彼女を捕らえている。
逃げ出したいほどの恐怖でありながら、彼女は逃げ出すことができなかった。
なぜなら、ヴォルコフに命じられていないからである。
しもべである彼女は命じられることをしなくてはならない。
その命令がこない。
動くことができないのだ。
灯は主人を今まさに滅ぼしつつある女退魔師を、黙って見ているしかなかった。
燃え盛る炎。
その中で苦しんでいた男はもう動かなくなっていた。
断末魔の悲鳴とともに崩れ落ち、あとはもう燃え尽きるまで燃えるだけのこと。
終わったのだ。
ここのところ帝都を騒がしていた化け物が、ようやく今その終焉を迎える。
ヴォルコフの死により、帝都は元の賑わいを取り戻すだろう。
無論残滓を片付けなくてはならない。
まずはあそこのしもべ。
思うように動かない躰を必死に動かし、月子はリボンを握り締めた。
月明かりが日本庭園を照らしている。
静まり返ったそこは、先ほどまでの死闘が嘘のような平穏さだ。
黒々と焦げ付いた三つの死体。
物言わぬむくろと化したそれらが、先ほどまで帝都を脅かしていた魔物とは思いもつかないだろう。
とりあえずは終わったのだ。
月子はふうと息を吐く。
手にしたリボンで、再び髪を結わえ付ける。
あちこち切り裂かれ、ずたずたになってしまった服からは白い肌が覗き、そのところどころから血がにじんでいる。
あらためてそのことに気がついた月子は、思わず苦笑してしまう。
よくも生き残ったもの・・・
ロシアを恐怖に陥れた強大な魔物を相手に、生き残れるなどとは思いもしなかった。
死ぬことなどは怖くなかったが、鷹司のお嬢様がヴォルコフに穢されるのだけは避けたい。
その思いが力を与えてくれたような気がする。
月子は背後に広がる鷹司の屋敷を振り返り、静けさの中に無事であることにあらためて胸をなでおろした。
印を組んで呪文を唱える。
黒焦げになった死体がぐずぐずと崩れ去り、風が塵となった破片を吹き飛ばす。
これでいい。
ヴォルコフは滅びたのだ。
月子は消耗しきった躰を引きずるようにして、鷹司の屋敷に戻るのだった。
- 2008/07/16(水) 19:58:03|
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五月最初のSSは「帝都奇譚」です。
今回もちょっとだけで申し訳ありません。
次回あたりで月子とヴォルコフの戦いにもけりがつくと思います。
ではどうぞ。
27、
奇妙なものを使う・・・
ヴォルコフの第一印象はそれだった。
先ほどまで使用していた分銅鎖といい、よほど長いものが使い慣れているのか?
それにしても重さも長さもまるで違うものを二種類使うとは・・・
退魔師というがこの女、忍者ではないのか?
呪符をを刻んだこのリボン。
普段使うことはめったにない。
どちらかというと最後の隠し武器といってもいいものであり、これを出すということ自体が容易ならない相手であることを物語っている。
もちろん月子はそれを充分に承知しており、できるなら出したくなかったなどとは思わない。
ヴォルコフの力量から言っても、いずれは出さざるを得なかったであろうし、早いか遅いかの違いだろう。
もっともその前に決着がついたのであれば、それに越したことはなかったのだが。
リボンを手にした月子を前に、一歩を踏み出せないヴォルコフ。
たかが人間にこれほど手間取るとは誰が考えたであろう。
だが、それもここまで。
鋭い爪をかざし、ヴォルコフは月子に向かって飛び掛った。
来た!
月子の躰に緊張が走る。
魔物のくせに伯爵などと名乗るからには相当にプライドも高いだろう。
後ろから飛び掛るなどということは考えないとは思ったが、こうも正面から飛び掛ってこられると、月子は一瞬苦笑が口元に浮かぶのを止められなかった。
鋭い爪での斬撃。
それに続く牙の一撃は、これまで数多くの西洋のハンターを倒して来たに違いない。
でも・・・
私はそう簡単にはやられない。
月子はすっと身を沈め、ヴォルコフの繰り出してくる爪の斬撃に備える。
唸りを上げて襲い来るヴォルコフの爪の一撃。
月子はそれを紙一重でかわしつつ、左手でリボンを扱いヴォルコフの繰り出された右手に絡ませる。
そのまま躰を回転させるようにして、左手のリボンで大きくヴォルコフの右手を振り回す。
そしてヴォルコフに背を向けるような形になると、右ひじを顔面に叩きつけた。
ガキッという感触が走り、月子に手ごたえを感じさせる。
まさに一撃が決まったといってよかった。
「えっ?」
だが、それもつかの間、月子はヴォルコフに背を向けてしまったことを悔いる羽目になる。
ヴォルコフはリボンに絡みつかれた右手が月子の前側に回りこんでいるのをいいことに、顔面への肘鉄をものともせず、月子を両腕で抱きかかえる形に持ってきたのだ。
「し、しまった」
月子は臍をかむ。
正面から来ることで相手の動きを理解した気になっていたのだ。
顔面への一撃は通常であれば相手の戦意を喪失させるのに充分すぎるもの。
だが、相手は通常ではなかったのだ。
窮地に陥ったのは自分の方だった。
「あぐぅ・・・」
首筋に激痛が走る。
ヴォルコフの牙が食い込んだのだ。
通常言われる吸血鬼とは違い、ヴォルコフは“新たな世界に生きる者”であり、牙を突きたてて血を飲むことはめったにない。
通常は相手とキスをかわし、その舌で相手の喉の奥からエキスを吸い取るのが普通である。
だが、今回ヴォルコフはあえて牙を突きたてた。
これはさんざん翻弄してくれた女退魔師に対する怒りの現れであり、痛みを与えることで罰を与えているといえるのだった。
「ククク・・・お前の血を残らず吸い取ってしもべにしてくれる。そのあとでさんざんいたぶってやるとしよう」
すでに動きが止まった女退魔師。
あとは血を吸い尽くしてしもべにするだけ。
てこずらせてくれたものの、これはこれでいい手駒になるに違いない。
ヴォルコフの口元に笑みが浮かぶ。
紅葉を失った代償としては釣りが来るというものだ。
先ほどの顔面への一撃は赦してやるとしよう。
そう思い、ヴォルコフは月子の血をたっぷりと口の中に吸い込んだ。
月子の口元になぜか笑みが浮かんだのも知らず。
- 2008/05/02(金) 20:01:41|
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「魔のかけら」に本当に多くの拍手をいただきましてありがとうございました。
拍手の数が50を超えるなんてほんとにうれしいです。
ありがとうございました。
さて、1000日連続更新記念SS第四弾・・・といっていいのかなぁ。
SS連続更新六日目は「帝都奇譚」の26回目です。
うー・・・明日も何とかSS投下したいよー。
がんばらねば。
それではどうぞ。
26、
ヴォルコフが動き、月子が対応する。
この構図を幾度か繰り返し、ヴォルコフは確実に月子の体力を奪っていく。
重い分銅鎖は威力は大きいものの、何度も繰り返し投じるには不向きな武器でもあり、月子の息が徐々に上がってくるのが見て取れた。
もとより月子も長引かせるつもりはない。
幾度となくヴォルコフの急所を狙って分銅鎖や棒手裏剣を打ち込んでいるのだが、そのことごとくをかわされているのだ。
理由の一つはヴォルコフの能力そのものの高さ。
そしてそれ以外の理由として、二人のしもべたちの存在があった。
紅葉も灯もダメージを負ってはいるものの、ある瞬間にはおとりとして、またある瞬間には盾としてヴォルコフをサポートしてくる。
三対一ではいくら月子といえども苦戦はまぬがれない。
むしろ、“新たな世界に生きる者”を三体も相手にして引けを取らない月子の戦闘能力の高さこそ特筆すべきものだった。
「ハア・・・ハア・・・」
何度目かの攻撃が失敗に終わり、月子は屋敷の屋根に降り立った。
パキッと音を立てて瓦が割れ、着地の衝撃を月子が消せなくなっていることを物語る。
「おやおや、足元がふらついたかね? だいぶお疲れのようだが」
ヴォルコフが正面に立ってにやりと笑う。
赤く輝く眼が獲物を前に細められる。
「くすっ・・・ご心配には及びませんわ。ようやく躰がほぐれてきたところですから」
じゃらっと音が鳴り、分銅鎖が月子の手に巻き取られる。
「強がりはよせ。もう立っているのもやっとだろう。早く我にひざまずいて許しを請うがいい。すばらしい世界に導いてやるぞ」
一歩二歩と前に出るヴォルコフ。
月子の背後左右からは、二人のしもべもじりじりと迫る。
月子の額に一筋の汗が光った。
躰が熱い・・・
喉が渇く・・・
それに何かが駆け回る気配・・・
寝苦しさにうっすらと目を覚ます摩耶子。
夜着のまま布団を跳ね除け、上半身を起こす。
障子を開けて外を見る。
なんだか無性に夜の空を見たくなったのだ。
夜空には月が輝いている。
白くて大きな月。
それは摩耶子に安らぎをもたらしてくれた。
喉が渇く・・・
・・・を飲まなきゃ・・・
・・・を飲みにいかなくちゃ・・・
何を飲むのだろう。
何を飲みに行かなくてはならないのだろう。
ふと湧き起こった衝動に背筋がぞくっとする。
首を振る摩耶子。
このところ体調が優れない。
きっと寝が浅いせい。
喉の渇きをこらえて摩耶子は布団にもぐりこむ。
その頭上で何が行われているのかを知らぬまま・・・
「ハア・・・ハア・・・」
月子の前でどさっとひざから崩れ落ちるしもべの一人。
「ぎゃぁぁぁぁぁ・・・」
すぐに貼り付けた札が彼女の躰を炎で包み込む。
「むう・・・まだそのような力を・・・」
ヴォルコフは歯噛みした。
あまりにも目の前の女が予想以上だったのだ。
左右のしもべに命じ、取り押さえたところで精気を吸い取る。
その考えはあっけなく吹き飛んだ。
ヴォルコフが一瞬動きを止めた瞬間を逃さず、一体のしもべを屠ることに全力をかけてきたのだ。
牽制の棒手裏剣も分銅鎖も使わず、もう一体のしもべには目もくれずに一体だけをつぶす。
まさに各個撃破の見本だ。
すっぱりと切り裂かれた洋服の下からは白い肌が覗き、一筋の傷から血が流れている。
しもべの爪に切り裂かれた傷だが深手ではない。
紅葉を失った代償としては、あまりにも軽すぎる傷だった。
赤い目が怒りに燃える。
戯れに作ったしもべだが、こうも簡単に失うのは面白いことではない。
この女をしもべに加え、思い切り嬲ってやれば少しは気も晴れるだろう。
ヴォルコフはこぶしを握り締め、月子に一歩近づいた。
しもべの一体は倒した。
元は人間だったものだがやむをえない。
破魔札の炎によって浄化され、開放された魂は安らぎを得ているはず。
そう思わなければやっていられるものではない。
月子は分銅鎖を巻き取り、ヴォルコフの動きに集中する。
もう一体のしもべはさほど気にしない。
二体でのコンビネーションにすら難のあったしもべごとき、ヴォルコフさえ倒せばどうとでもなる。
跳躍したヴォルコフのマントが翻り月を隠す。
月明かりが明るければ明るいほど一瞬の闇は人間の目をくらませる。
繰り出された手刀を寸でのところでかわした月子は、そのまま後ろに跳躍して距離をとる。
すかさず棒手裏剣を牽制に繰り出すと、分銅鎖を叩き込む。
ずしんという手ごたえが鎖を通じて伝わり、ヴォルコフの胴に分銅がめり込んだことを知らせてきた。
「くっ」
一瞬の喜びはすぐに失われ、ぐんと引き込まれる力の強さに月子は驚愕する。
なんてこと。
ヴォルコフは叩き込まれた分銅の衝撃をものともせずに、それを掴み取って引っ張っているのだ。
「ちっ」
月子は舌打ちすると分銅鎖をあきらめる。
強力な武器だが、こうなると力勝負になってしまう。
月子はあらためて距離をとり、長い髪をまとめていた髪留めのリボンをはずし、右手に巻きつけた。
じゃらっという音がして地面に落ちる分銅鎖。
普通の人間であればあの一瞬で勝負はついていた。
掴み取った鎖を引っ張り、相手を懐に引き入れる。
手を離すのが一瞬遅れただけで、相手はこの手に掴み取られていたはずなのだ。
それをこうも簡単に逃れられるとはな・・・
ヴォルコフは苦笑した。
ここまで本気を試される相手というのは初めてだ。
この女・・・
ただでは済まさん。
巻きつけたリボンに気を込める。
白い布切れだったリボンがぼうっと輝き、表面に文様が浮かび上がる。
棒手裏剣、短剣、分銅鎖、そしてこの呪符リボン。
これらが月子の武器なのだ。
月子はリボンの両端を両手で持ち、ぴしんと張り鳴らした。
- 2008/04/15(火) 20:03:33|
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1000日連続更新達成記念SS第一弾は「帝都奇譚」です。
いよいよヴォルコフと月子の戦いが始まります。
楽しんでいただければ幸いです。
25、
カチャリ・・・
飲み干したコーヒーカップをソーサーに置く。
口元が引き締まる。
「来た・・・ようですね」
ゆっくりと玄関に向かう月子。
全身に緊張感がみなぎっている。
夜は奴らの時間。
本来なら昼間の動きの鈍い時に相手をできれば一番なのだけど・・・
やむをえない。
摩耶子さんを渡すわけにはいかない。
彼女はヴォルコフには渡さない。
日本庭園。
鷹司家の庭。
月明かりがあたりを照らしている。
立っている三人の影。
やわらかいラインからは、そのいずれもが女性であることがわかる。
「なるほど・・・今日はご本人ではなくしもべに私の相手をさせようというわけですか?」
動きやすい洋靴を履いた足が一歩前に出る。
どこの誰かは知らないが、目の前にいる二人の女性はすでに人ではない。
赤い目を輝かせ、鋭い爪と牙を月子のほうへ向けてくる。
「可哀想に・・・」
月子は手裏剣を取り出す。
退魔用の特殊手裏剣だ。
普通の武器では魔物を傷つけることは叶わない。
だが、退魔師の力を与えられた武器は魔物をもものともしないのだ。
「それでは・・・お相手いたしましょうか」
月子がそうつぶやいた瞬間、三人の躰がはじけるように動き出した。
「ハッ!」
月子が手裏剣を撒き散らす。
もとより命中を期待したものではなく、それを相手が避けることによって動きを直線化させるのが狙いだ。
二人のしもべたちは、左右から月子を囲むつもりでいる。
変ね・・・
月子は手裏剣をかいくぐる二人の動きを分析する。
一体の動きが鈍い。
もう一体がかなりのすばやさを見せているのに、その一体は自分のすばやさに戸惑っているかのよう。
変化したて?
もしかしたらそうなのかもしれない。
なるほど・・・
月子はまるで宙に浮いているかのように、庭木や屋根を跳び伝う。
そしてすばやく追いすがる一体に棒手裏剣を打ち込んだ。
「ハグッ!」
左肩をえぐられる一体のしもべ。
月子は知る由もなかったが、それはヴォルコフによって紅葉と名付けられたしもべだった。
「くっ!」
紅葉は思わず左肩を押さえてしまう。
ヴォルコフ様の新たなるしもべ灯の動きの鈍さを逆手に取り、おとりにしようとしていたのに、退魔師は逆に彼女を狙ってきた。
これではおとりの意味がないどころか、灯にはこの隙をつくこともできはしない。
しかも肩口につけられた傷は回復してくれないではないか。
「おのれ!」
再度仕掛けなおさなくてはならない。
今度はおとりなどという考えをなくし、二人で時間差攻撃をかけるのだ。
あんな女退魔師ごときに・・・
心臓を狙ったのだが左肩への一撃で動きは止まった。
意図してそうなのかはわからないが、おとり役は牽制だけで動きが止まる。
二対一と不利には違いないが、しもべごときに遅れは取らない。
それに・・・
どこかにヴォルコフがいるはず。
彼女たちはどうせ二人ともがおとりなのだろうから・・・
屋根の上に降り立つ月子。
彼女を挟むように二人のしもべも屋根に立つ。
屋敷の中では天井裏をネズミが這っているとでも思っているかもしれない。
そう思うとこんな時なのに笑みがこぼれる。
やれやれ・・・
命のやり取りをしているというのにね。
左右から同時に仕掛けるしもべたち。
月子は一瞬左右を見ると、今度は右手側の灯に対して手裏剣を見舞う。
そしてジャンプすると同時に上空から分銅鎖の分銅を紅葉に対して打ちつけた。
人間とは思えない月子の動きに二人のしもべは翻弄される。
一瞬のうちに灯は右足の甲に手裏剣を受け、紅葉は分銅で額を打ち据えられる。
「ぐがぁっ」
「ぎゃっ」
二人の悲鳴が夜空に響き、寝静まった町を一瞬ざわつかせた。
「さすがにやってくれるではないか」
月明かりを背にして黒服の男が姿を現す。
「ようやく姿を現しましたね、魔物さん」
「ニコライ・ペトローヴィッチ・ヴォルコフだ。覚えが悪い雌犬にはしつけが必要だな」
「ごめんこうむりますわ。こちらこそ、あなたのような魔物は退治して差し上げます」
月子とヴォルコフの視線がぶつかる。
二人の間に緊張が走った。
先に動いたのはヴォルコフだった。
欧州人の巨体とは思えぬほどの跳躍で、月子との距離を一気に縮める。
月子は一瞬後ろに下がるように見せかけ、そのまま前へと躰を倒す。
右手に巻きつけた分銅鎖を伸ばし、ヴォルコフの足下を掬いにいく。
着地の瞬間を狙われたヴォルコフだが、逆にタイミングをずらすと、分銅をかわして月子の懐に滑り込む。
月子は左手に握った棒手裏剣を牽制に投げつけ、後ろに下がって距離をとった。
「ヌウ・・・なかなかやる。わが手駒にふさわしい」
「くすっ・・・私は仕える相手は自分で選びますので」
月子は笑みを浮かべながら分銅鎖を握りなおした。
- 2008/04/10(木) 20:00:32|
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今日は4月1日でしたので、エイプリルフールネタでもと思ったのですが、たいした面白いネタが思い浮かびませんでした。
それにそんなものよりも、少しでもSSを書いたほうがいいやと思いまして、「帝都奇譚」を少しばかりですがお送りいたします。
お楽しみいただければ幸いです。
24、
まだ信じられない・・・
昨日まで笑いあっていたというのに・・・
昨日まで会話を交わしていたというのに・・・
昨日まで・・・
知らず知らず涙が浮かぶ。
「ん・・・くっ・・・」
布団をかぶり、声を殺して泣く。
人間というのはなんてはかないのだろう。
昨日まで笑いあっていた友人が今日はもういない。
なんてことだろう・・・
姉川久はただ泣くしかできなかった。
『せ・・・ぱい・・・』
えっ?
『あ・・・がわ・・・ぱい・・・』
まさか・・・
そんなまさか・・・
『どう・・・たんですか・・・がわ・・・ぱい』
ぞっとする久。
思わず布団を跳ね除ける。
バカな・・・
そんなバカな・・・
『あけて・・・ませんか・・・あねがわ・・・ぱい』
死んだはず・・・
あなたは死んだはずなのよ・・・
久は耳を押さえて首を振る。
そんなはずない・・・
小夜ちゃんが生きているはずがない・・・
でも・・・
でも・・・
『先輩・・・姉川先輩・・・』
窓の外から声がする。
間違いない。
あの娘の声だわ・・・
生きていたんだ・・・
死んでなかったんだ・・・
死んでいなかったんだわ。
久はゆっくりと起き上がる。
そしてゆっくりと障子を開ける。
窓の外にたたずむ小夜。
月明かりに照らされたせいか、目が赤い。
『こんばんは、姉川先輩』
ああ・・・小夜・・・
小夜の赤い目を見た途端、久は何がなんだかわからなくなる。
『窓を開けてください姉川先輩。一緒に夜を楽しみませんか?』
小夜の言葉にゆっくりとうなずく久。
そして、久は無言で窓を開けるのだった。
「おや、月子さん、まだ起きていたのかね?」
鷹司家の現当主鷹司昭光が、廊下にたたずむ女性の姿を目に止める。
背中で束ねた長い黒髪が月明かりに照らされる姿は、なんとも言えず美しい。
「これは昭光様。今晩は何やら胸騒ぎがいたしまして・・・」
コーヒーカップを片手に窓の外を覗いていた月子がにこやかに振り返る。
「胸騒ぎ? それはまた穏やかじゃないな。特に君のような退魔師からそういう言葉を聞くとはね」
多少表情を曇らせて鷹司の現当主は月子を見る。
長い洋装のロングスカートは躰に張り付くように月子のボディラインを覗かせ、昭光はドキッとした。
「ご心配には及びません。昭光様にも鷹司家のどなた様にも決して悪いことの起きぬよう、私がここにいるのですから」
昭光は気を落ち着かせるようにうなずいた。
「頼みましたよ月子さん。私は先に休ませてもらおう」
「お休みなさいませ、昭光様」
一礼をする月子の脇を昭光は通り過ぎた。
再び月子は窓の外を見上げる。
「今晩あたり・・・来るかしらね・・・」
「ああ・・・なんて美味しいの・・・」
獲物ののど笛を噛みちぎり、飛び散る真っ赤な血しぶきを口で受け止める。
どくどくと流れ込む血を思う存分飲み干していく。
「うふふふふ・・・美味しいですか? 姉川先輩」
セーラー服に身を包んだ真木野小夜が口元に妖しい笑みを浮かべている。
先ほどたっぷりと姉川久の血を飲み干し、代わりに自分の血を垂らしてやったのだ。
思ったとおり久は自分と同様に死の縁から蘇り、こうして家族だった者たちを襲っている。
「ええ・・・美味しいわ。こんな美味しいものは飲んだこと無かったわ・・・」
手当たり次第に食いちぎり、血まみれになりながらその血をのどに流し込んでいく姉川久。
父も母も祖母も関係が無い。
今の久にとってそれらはただの獲物。
“新たな世界に生きる者”となった今、彼女にとっては獲物に過ぎなかったのだ。
「うふふふ・・・先輩もこれで私の仲間。他にもいっぱい仲間を作りましょう。そして・・・私たちの女王様をお迎えしなくては・・・」
口元に手を当ててくすくすと笑う小夜。
赤く輝く瞳にはもはや人間らしさはかけらも残っていなかった。
- 2008/04/01(火) 20:18:02|
- 帝都奇譚
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今日は帝都奇譚をお送りします。
しばらく重点的に書いていくつもりですので、楽しんでいただければ幸いです。
23、
重苦しい沈黙が室内を支配している。
啜り泣きがあちこちから聞こえてくる。
喪服姿の人々があちこちで沈痛な表情を浮かべている。
「小夜さん・・・」
布団に寝かされ、白い布をかぶされた小夜。
「どうか、顔を拝んであげてください」
父親が白い布をそっとはずす。
「ああ・・・」
姉川久がたたみに額を擦り付けるように泣き崩れた。
「小夜さん・・・」
「真木野さん・・・」
茶道部の友人たちもみな一様に声を詰まらせる。
青ざめた顔の小夜は穏やかな表情で目を閉じていた。
白い着物を着せられ寝かされている小夜は、その眠りが永遠のものになってしまったなど信じられない。
「小夜さん・・・」
摩耶子はそっと手を合わせ、目を閉じて小夜の冥福を祈る。
ほんのちょっとしか知り合えなかったが、彼女のことは妙に心に残っていた。
電灯を背にした小夜の顔。
あれは本当にあったことだったのだろうか・・・
何かぼんやりしている。
一体何が・・・
摩耶子は意を決して立ち上がる。
そっとその場を離れると、玄関から裏庭に向かっていく。
幸い皆通夜の支度で急がしそうで、摩耶子の行動を見咎める者はいなかった。
私は何をやっているのかしら・・・
自分でも不思議に思う。
でも、確かめずにはいられない。
小夜に夕べ会ったのだとしたら・・・
会ったのだとしたら・・・?
小夜の死は私が原因だとでも?
摩耶子は首を振る。
そんなことはありえない。
心の臓の発作だと言っていた。
心の臓の発作が小夜の命を奪ったのだ。
そこに自分は関係ない。
たとえ夕べ小夜に会っていたとしても、その死には関係が無いはずだ・・・
真木野小夜の家。
今日始めて訪れた彼女の家。
なのに・・・
なのになぜ・・・
なぜ見覚えがあるのだろう・・・
摩耶子が歩く先には大きな庭が広がっていた。
真木野家は大きな武家屋敷が元になっている。
庭には池もあり、石灯籠がおいてある。
そのすべてが摩耶子の記憶にぴったりとはまるのだ。
間違いない。
私は夕べここに来たんだ・・・
摩耶子はそう思う。
そして、その思いは、障子窓が開けられた小夜の部屋が見えたときに確信に変わった。
「あれ? 摩耶子さんは?」
久が気が付くと、いつの間にか摩耶子の姿が見えなくなっていた。
「さっき出て行ったようですわ」
「お手洗いにでも行ったのではありませんか?」
茶道部の友人たちが教えてくれる。
「それにしては遅くない?」
「そうですわね。出て行かれてからもうかなり経ちますわね」
久は壁にかけられた時計に目を移す。
すでに時間は夕方の6時過ぎ。
そろそろお坊様がお経を上げに来るはずだ。
久は立ち上がった。
また無理をして気分が悪くなったのかもしれない。
だとしたら大変だ。
とりあえずどこにいるのか探しておこう。
久はそう思ったのだった。
「あ・・・れ・・・?」
目を覚ます摩耶子。
額には濡れた手ぬぐいが置かれ、いつの間にか制服のまま布団に寝かせられていたのだ。
「目が覚めましたか?」
「月子・・・さん?」
隣には心配そうな表情で摩耶子をうかがっている月子がいる。
「ここ・・・は?」
上半身を起こす摩耶子。
庭から見えた小夜の部屋が、あの記憶とぴったり当てはまったことを理解してからの記憶がない。
「ここは鷹司のお屋敷ですよ。あなたは真木野家で気を失われたそうで、姉川様と言うお嬢様がお知らせくださったのです」
月子は摩耶子の額から落ちた手ぬぐいを拾い、洗面器の水に漬ける。
「そうでしたか・・・また姉川さんにご迷惑をおかけしてしまった・・・」
「貧血のようですね。こういったことはしょっちゅうあるのですか?」
手ぬぐいを絞って摩耶子に手渡す月子。
摩耶子はそれを受け取り、額と首筋に浮かんだ汗をぬぐっていく。
「いいえ、この数日です。どうも躰の調子が思わしく無く・・・」
「躰の調子がですか? いけませんですね。勉強に根を詰めすぎなのではありませんか?」
手ぬぐいを摩耶子から受け取り微笑を向ける月子。
仕事とはいえ、こうして知り合った娘さんと仲良くできるのはうれしいもの。
だからこそ、躰のことも気にかけてしまう。
「そんなことは・・・それよりも・・・」
「それよりも?」
脇においておいたりんごの皮をむき始める月子。
「私・・・昨夜・・・おとなしく寝ていたのでしょうか?」
その手が摩耶子の言葉に止まる。
「おとなしく寝ていなかったのではないかと?」
月子の目が鋭くなる。
「わかりません。ただ・・・」
「ただ?」
「真木野さんの家に行ったような・・・」
「今日お通夜のあったお宅ですね?」
摩耶子はこくりとうなずいた。
「真木野さんの家に行って何かをしたのですか?」
「わかりません・・・小夜さんに会ったのだと思います」
「小夜さんというのは亡くなられたお方?」
「はい・・・」
月子は何か考えつつ皮むきを再開する。
「はい、召し上がれ」
皮と芯をきれいに取り除かれたりんごを皿に載せて差し出す。
「ありがとうございます」
摩耶子がりんごを食べ始めたとき、月子はそっと摩耶子の額に手を当てた。
何も感じられない・・・考えすぎか?
でも・・・
「熱は無いようですね。りんごを食べたらおやすみなさい。私は部屋で待機しますので」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんてとんでもないですわ。ゆっくり休んでくださいね」
月子はそう言って部屋を出る。
その表情は硬かった。
- 2008/03/06(木) 19:20:13|
- 帝都奇譚
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今月最後の更新は「帝都奇譚」です。
少しだけで申し訳ありませんが、楽しんでいただけると幸いです。
22、
『摩耶子さん・・・摩耶子さん・・・』
どこか遠くで名前を呼ばれている。
聞き覚えのある声。
どなただったかしら・・・
うっすらとそんなことを考える。
やがて徐々に意識がはっきりしてくる。
霞のかかったような頭が次第にはっきりしてきたのだ。
「う・・・」
ゆっくりと目を開ける摩耶子。
「あ・・・摩耶子さん。よかったぁ」
「気が付かれましたのね」
目を開けた摩耶子を覗き込んでいる二人の少女。
いずれもが心配そうな表情をしていた。
「桜さん、姉川さん・・・」
摩耶子はゆっくりと上半身を起こした。
「あ、まだ動かないほうがいいわよ」
脇のほうから声をかけられる。
気が付くと、室内にはもう一人白衣を着た女性が机に向かっている。
養護教諭の津積時子(つつみ ときこ)だ。
するとここは保健室なんだわ。
摩耶子はいまさらながらに自分のいる場所に思い至る。
玄関先で気が遠くなったのち、ここに運び込まれたものだろう。
「お騒がせをしてしまいました」
白い掛け布団をよけ、ぺこりと摩耶子は頭を下げる。
「貧血を起こしたようね。少し休んでいきなさい」
養護教諭の津積が微笑む。
さすが白鳳女学院の誇る白衣の天使。
もっとも、口さがない連中に言わせると白衣の堕天使ということになるらしい。
「驚いたわ。突然倒れるんですもの」
「真木野さんのことがショックでしたのね。ごめんなさい」
桜も久も摩耶子が気が付いたことでホッとしていた。
朝から休み時間のたびに保健室に顔を出していたのだ。
摩耶子は二人の友人に心配をかけたことを謝ると同時に温かいものを感じていた。
授業開始のベルが鳴る。
「いけない、行かなくちゃ」
「鷹司さんはこのまま午前中の授業はお休みしたほうがいいわ」
「でも・・・」
桜と久が摩耶子を押しとどめて教室に向かおうとする。
それを了承するかのように養護教諭の津積もうなずいた。
「無理しないほうがいいわ。あと一時間寝ていなさい。そしてお昼ご飯をしっかり食べて午後の授業に出ること。いいわね」
「わかりました」
摩耶子はその言葉にうなずき、桜と久を送り出す。
静けさの戻った保健室で、摩耶子はもう一度横になった。
そそり立つ肉棒。
先ほどまでおのれの肉体を貫いていた肉棒がとてもいとおしい。
「ぺちゃ・・・ぴちゃ・・・」
唾液をまぶすように舌を絡め、あごがはずれそうなほど太い肉棒を頬張りこむ。
「ふっ・・・うまいか?」
筋肉質の肉体を誇らしげに晒している体格のよい男。
「ああ・・・はい・・・」
肉棒をしゃぶるのをやめ、うっとりとした表情を男に向ける。
至福のひと時を過ごしているかのようなその表情。
少し前までは、こうして男の肉棒をしゃぶるなど考えもしなかったに違いない。
だが、今ではこの男に従いこの男のものとして過ごすことこそが彼女の存在意義のすべてだった。
「うふふふふ・・・よかったわね。これであなたもヴォルコフ様のしもべ」
ヴォルコフの隣で妖艶に微笑む女がいる。
蠱惑的な洋装に身を包み、魅力的なすらっとした脚をスカートのスリットから覗かせてワイングラスを持っている。
かつてのマネキンガールだった彼女は、紅葉という名を授かってヴォルコフのそばに仕えているのだ。
「ふふふ・・・女、名はなんと言ったかな?」
「あ・・・」
肉棒をしゃぶっていた女は一瞬考え込む。
名前・・・
自分の名前はなんと言っただろう・・・
「あ・・・あ・か・り・・・」
ようやくの思いで一つ一つ区切るように自分の名を告げる。
もっとも、こんな名前には意味がない。
目の前の男が自分を何と呼んでくれるのか。
それだけが重要なのだ。
「あかり? 灯火のことか? ふふふ・・・日本人というのは面白い名をつける」
紅葉が手渡したワイングラスを一気にあおるヴォルコフ。
そんなヴォルコフを灯は欲望に濡れた目で見上げていた。
「躰の方は大丈夫なのですか、鷹司さん?」
心配そうに摩耶子の顔色をうかがう姉川久。
授業も終わった今、早々に家に帰って安静にしたほうがいいのではないだろうか。
そう思うのだが、摩耶子は真木野小夜のお通夜に行くというのだ。
「大丈夫です。小夜さんに最後のお別れをしたいのですわ」
摩耶子はきっぱりと言う。
あの小夜のイメージ、夜に会ったイメージがどうしても気になったのだ。
お通夜に行ったからといって何がわかるわけではないかもしれない。
でも、もし小夜と最後に会ったのが学校ではなく夕べだったのだとしたら・・・
だとしたら、それは何を意味するのだろうか。
摩耶子は何か得体の知れないものを感じるのだった。
- 2008/02/29(金) 20:44:22|
- 帝都奇譚
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100万ヒット記念SS第三弾は、一年以上間を空けてしまいました「帝都奇譚」の続きです。
本当に本当に本当にお待たせしてしまい申し訳ありません。
ほんのちょっとですが、これから再開しますので楽しんでいただければと思います。
これまで掲載した部分についても、随時こちらのブログに移転させますので、読み返していただけるようにいたします。
それと、「魔法機動ジャスリオン2ndプロローグ・魔女生誕」に多くのコメントならびに拍手をいただきありがとうございました。
皆様にすごく支持していただけたんだなぁと、すごく感激しております。
これからも自分が楽しめ、皆様に楽しんでもらえるようなストーリーを書いていきたいと思います。
あらためまして、100万ヒット到達皆様本当にありがとうございました。
それではどうぞ。
21、
「う・・・あ・・・」
摩耶子はふと目を覚ます。
いつの間にか机に突っ伏して、うたた寝をしてしまっていたらしい。
時計を見ると午前三時、すでに深夜をかなり回ってしまっている。
「いけない、眠り込んでしまったのだわ・・・」
きちんと寝る支度をしようと思い顔を上げる摩耶子。
その口元からつと雫がたれる。
「あ、よだれ? はしたないわ」
思わず口元を手でぬぐう。
するとその手が赤茶色に染まった。
「えっ? これは・・・血?」
手の甲についたのは血と思わしきもの。
赤茶けて乾きかけている。
「寝ているときに口の中でも切ったかしら・・・」
摩耶子は机の脇の化粧台の中から手鏡を取り出して映してみる。
しかし、口の周りはおろか、口の中も切った様子は無い。
「どうしたのかしら・・・」
摩耶子は首をかしげた。
「今夜は来ない・・・か・・・」
鷹司家の一室で、感覚を研ぎ澄まし外部からの気配を探っている月子。
三倉との戦いを宮内省の退魔部門に報告していたために戻るのが遅くなってしまったのだが、幸いなことにヴォルコフの動きはなさそうだ。
「ふう・・・」
肩の力を抜き、首筋を少し揉む。
昼はヴォルコフの捜査、夜は鷹司家のお嬢様の護衛。
休む暇などありはしない。
「人使いがあらいんだから・・・」
苦笑する月子。
破妖家の一人として類稀なる力を持つがゆえに駆り出されるのだ。
「これも仕方なし・・・か・・・」
とりあえずは仮眠をとることにしよう。
そう決めて月子は布団を用意する。
ヴォルコフのようなものが現れれば、気配は尋常ではない。
眠っていても気が付かないはずは無いだろう。
「おやすみなさい」
灯りを消して眠りに就く月子。
一日が終わった。
「おはようございます」
「おはようございます」
いつものように白鳳女学院の朝が来る。
校門を次々とくぐっていくセーラー服の少女たち。
その中にいつものように摩耶子もいた。
今朝はとても気分がいい。
朝食はあまり食べる気がしなかったけど、お腹もすいていないし元気が湧いてくる気がする。
「おはようございます」
そう言って下駄箱で靴を履き替えようとした摩耶子は、玄関の片隅の異様な雰囲気に気が付いた。
「姉川さん?」
摩耶子は思わず声をかける。
玄関の片隅では姉川久がうつむいてすすり泣いていたのだ。
「何があったのですか?」
「鷹司さん・・・」
顔を上げる久。
大粒の涙が浮かんでいる。
「姉川さん・・・」
「鷹司さん・・・真木野さんが・・・真木野さんが・・・」
久がまたうつむいてしまう。
「真木野さん? 昨日お昼をご一緒した小夜さんですわね? 彼女がどうかしたのですか?」
摩耶子は昨日一緒だった後輩の顔を思い浮かべる。
栗色の髪をしたかわいらしい少女だったが、彼女がいったいどうしたというのだろう。
「今朝・・・亡くなられたと・・・」
「えっ? 亡くなられた?」
摩耶子は驚いた。
「昨日は・・・昨日はあんなに元気だったではありませんか? 何か悪い冗談ではないのですか?」
「私も最初はそう思いました。でも、先ほど真木野さんのお身内の方が学校へ見えられて・・・今朝・・・今朝・・・ああっ」
ひざから崩れ落ちる久。
無理もない。
茶道部の後輩として久は小夜を本当に可愛がっていたのだ。
「まさか・・・」
摩耶子も言葉を失った。
『摩耶子様・・・』
摩耶子の脳裏に小夜の柔らかそうな唇が浮かんでくる。
ドクン・・・
その瞬間、摩耶子の心臓が跳ね上がった。
「小夜さん・・・」
そうだった・・・
摩耶子は昨日の昼、小夜と給湯室で口付けを交わしていたのだ。
なぜそんなことをしたのかわからない。
でも、それは紛れも無い事実。
それに・・・
摩耶子の脳裏で微笑んでいる小夜。
うっとりと呆けたように摩耶子を見つめている。
電灯の灯りに照らされた小夜の栗色の髪が美しい。
電灯の灯り?
電灯の?
えっ?
私が小夜さんと会っていたのは昼間のはず・・・
いいえ、でもこの光景は夜・・・
私は・・・
私はその後で彼女に会っている?
夜に彼女に会っている?
摩耶子は何か意識がぼんやりとしてくるのを感じていた。
「鷹司さん!」
「摩耶子さん!」
あ・・・
躰が倒れて行くのがわかる。
そして桜が彼女を呼んでいることも・・・
- 2008/02/17(日) 20:47:39|
- 帝都奇譚
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今日は帝都奇譚の20回目です。
少しばかりですが、よろしくお願いいたします。
20、
「うわー! 来るなぁっ!」
笑みを浮かべながら走りこんでくる女性に対し、助野は叫びながら銃を向ける。
だが、狙いを定める暇も無く、ましてや撃ったことの無い助野は手が震えてしまって引き金を引くことすらできやしない。
「キャハハハハハ・・・」
紅葉と呼ばれた女の魔物は、人間離れした素早さで助野のそばに走り寄ると、あっという間に手刀で拳銃を叩き落す。
「うわぁっ!」
助野はうめき声を上げ手首を押さえる。
紅葉はそのまま助野の襟首を掴んで引き寄せると、一気にのど笛に噛み付いた。
「ひゅうぁ・・・げぼっ」
助野の口から血があふれる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
両手で口元を押さえた灯の悲鳴が響き渡る。
「こいつのエキスなどいらない。お前のエキスをおよこし!」
口をパクパクさせ、瀕死の重傷を負っている助野をその場にほうり棄て、紅葉の赤い瞳が灯の方を向く。
「ああ・・・あ・・・だ・・・誰・・・か・・・」
動かない足を必死に引き摺り、灯は助けを呼ぼうとかすれた声を上げる。
「紅葉よ」
唐突にヴォルコフが声を発した。
今にも襲いかかろうと身構えた紅葉の動きが止まる。
「はい、ヴォルコフ様」
甘えるようなうっとりした目でヴォルコフに振り返る紅葉。
彼女にとってはヴォルコフこそが全てであり、それ以外のものは意味を成さないのだ。
「その女はわしに捧げよ」
紅葉はゆっくりとうなずく。
「かしこまりました。ヴォルコフ様」
次に何が起こったのか?
紅葉の動きに息を飲んだ瞬間、灯の意識は遠くなっていた。
夜の帳が辺りを覆う。
街灯が照らし出すのはほんの一握りの空間に過ぎない。
太正の御世とはいえ、まだまだ帝都も江渡の世界を抜け出していない一角も多いのだ。
だが、そんな暗い通りを歩く一人の若い女性がいる。
いや、少女と言ってもいいだろう。
ハイカラな紺色の女学生の制服、セーラー服を身に纏い、ゆっくりと歩いている。
気になるのはその足取り。
何となく覚束ず、まるで酔っているか夢遊病のような感じ。
ハア・・・ハア・・・
息が荒い。
こんな時間に女性が出歩くことだけでも不自然であるが、彼女は何か熱に浮かされたような呆けたような表情を浮かべている。
「小夜・・・小夜・・・」
切れ切れに聞こえる呟き。
歩みは止まらない。
やがて彼女は一軒の家の前で止まる。
大きな庭のある日本家屋。
中からは明かりが漏れ、そろそろ眠りの準備をしていることだろう。
「・・・うふ・・・」
少女の口元に笑みが浮かぶ。
少女自身その笑みを浮かべたことには気が付いていないだろう。
なぜ自分がここにいるのかもよくわかっていないに違いない。
だが、彼女はここにいた。
喉の渇き・・・ただそれを癒したかった。
真木野。
玄関の表札にはそう書いてある。
「小夜・・・」
彼女はトンと地面を蹴った。
ゴム底の運動靴が彼女の力を地面に伝える。
黒いタイツに包まれた脚が宙に浮き、彼女の躰を跳ね上げた。
塀を飛び越え、庭に降り立つ少女。
スカートがふわりと翻り、黒髪がはらはらと舞う。
音はしない。
一陣の風のごとく、ただ静かに庭に立ち尽くすのみ。
家人は誰も気がつかない。
少女は再び笑みを浮かべるのだった。
「ふう・・・」
パタンと本を閉じ、首を回す。
集中して読んでいたので首筋が固まっている。
面白い小説。
芥川龍之介の作品は小夜にとっては興味深い。
今日も遅くまで読みふけってしまった。
そろそろ寝ないと明日がつらくなるだろう。
小夜はそう思い、寝る支度をするために立ち上がる。
『小夜・・・』
「えっ?」
小夜はふと自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
部屋には彼女一人。
家人は居間の方にいるので、家人が呼んだのかもしれない。
でも、それにしては変だった。
『小夜・・・』
「誰?」
小夜は少し気味が悪くなる。
一体誰が自分を呼ぶのだろう。
『小夜・・・』
声は庭のほうから聞こえてくる。
いや、それは本当に声なのか?
小夜には耳からではなく頭の中に響いてくるように感じるのだ。
「誰? 誰なの?」
部屋の障子を開け、窓の外を見る小夜。
闇に包まれた庭がそこにはある。
『小夜・・・私よ・・・』
闇に包まれた庭に人影が見える。
誰?
疑問に思ったのは一瞬だった。
人影の目が小夜を見つめたのだ。
その中にごくわずかな赤い輝き。
その赤い輝きが小夜の脳を貫いていく。
あ・・・
小夜は我を失った。
- 2007/02/05(月) 21:54:57|
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