当ブログでも先日(2008年5月10日)紹介いたしましたが、イタリア軍はL3型軽戦車を持ってまずは軍の近代化を開始いたしました。
その後、37ミリ砲を車体に装備し機関銃を砲塔に装備したM11/39戦車や、北アフリカの戦いでのイタリア軍戦車部隊の主力となったM13/40とM14/41戦車(この二車種はほとんどエンジンの違いのみ)へと発展して行くことになります。
このM13/40(M14/41)は搭載した47ミリ主砲もそこそこの威力があり、当時としては悪い戦車ではなかったものの、側面に大きな脱出ハッチがあるなど防御力に難のある戦車でした。
北アフリカの主敵であった英軍の40ミリ砲(2ポンド砲)にわりと簡単に撃ち抜かれてしまい、砂漠の戦いで大きな損害を出してしまうことになるのです。
無論イタリア軍も第二次世界大戦に参加する以前から強力な戦車の必要性はわかっており、装甲防御力の高い重戦車をムッソリーニの肝いりで開発中でした。
この重戦車は計画重量が26トンであったためにP26と呼ばれ(1940年正式採用の予定だったこともありP40とも呼ばれることあり)、車体正面装甲厚も50ミリとイタリア戦車にしては厚いものでした。
主砲にも大型の75ミリ砲が選定され、当初は短砲身の予定でしたが、やはり対戦車戦闘に有効な長砲身砲を搭載することにもなっていたのです。
しかし、やはりイタリアの工業界にとっては初めての大型戦車であったため、試作までの道のりは険しく、特にエンジンが開発困難で高出力のエンジン開発の難しさをいやと言うほど思い知ることになります。
(高出力エンジンについては隣国ドイツあたりでもなかなか大変だったもの)
結局エンジンはソ連のT-34のエンジンを模倣したものとされ、試作車が完成したのは1941年の年末でした。
その後も戦局の推移などさまざまな要因が絡み、1942年の5月には500両の量産指示が出されるものの、量産が開始されたのはなんと1943年になってからと言うものでした。
結局イタリア陸軍期待の大型戦車(カタログスペックでは四号戦車長砲身型に若干劣る感じ)であったP26戦車ですが、肝心のイタリア政府が1943年9月8日に連合国側に降伏。
たった21両だけが完成し、イタリア陸軍の戦車としては活躍ができませんでした。
しかし、捨てる神あれば拾う神ではありませんが、イタリアの降伏によって連合軍がドイツの下腹から攻め上ってくるのを防ぐために、ドイツはイタリア半島を軍事占領してしまいます。
連合軍が確保した南イタリアのごく一部を除き占領したドイツ軍は、イタリア軍を武装解除してその兵器郡を手に入れると同時に北イタリアの工業施設をも手に入れます。
そこにはまさにこれから組み立てられようとしていたP26戦車の部品や資材が約200両分も手付かずで残っており、自軍の戦車不足から一両でも多くの戦車が欲しかったドイツ軍はこの資材を使ってP26戦車の生産を続行させました。
最終的には約100両ほどのP26戦車が完成し、PzKpfw P40 737(i)と言う形式番号でドイツ軍の戦車として使用されることになったのです。
もっとも、多くのPzKpfw P40 737(i)が、エンジンの不足などで簡易トーチカとして使われ、戦車として使用されたのは半数ほどだったとも言われます。
1943年の10月にはイタリアは連合軍の一員として、対独宣戦布告を行いドイツと戦闘状態に入ります。
ドイツ軍と戦ったイタリア軍を迎え撃った戦車の中には、もともとイタリアのために作られる予定だったP26があったのでしょうね。
それではまた。
- 2008/05/19(月) 20:22:23|
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タイトルで、ぐぐっと読まされてしまいました^^;
しかし戦車用エンジンって、そんなに開発が難しいのですね。
- 2008/05/19(月) 22:29:30 |
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- うおP #-
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>>うおP様
タイトルに惹かれてくださると考えた甲斐がありました。(笑)
コンパクトで高出力のエンジンはどこも開発が大変だったようですよ。
- 2008/05/20(火) 20:28:51 |
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- 舞方雅人 #-
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