第一次世界大戦は、大砲と機関銃の戦争でした。
中でも機関銃は、たった一丁でも連続射撃ができている間は歩兵の進撃を止めてしまうほどの威力を持つ兵器でした。
機関銃から放たれる毎分何十発という銃弾は、生身の人間である歩兵には致命的であり、効果的に配置された機関銃を突破するのは不可能に近かったのです。
そこで登場したのが戦車でした。
エンジンの力で動き、装甲板によって内部が護られた戦車は、機関銃弾を跳ね返しながら進撃することが可能だったのです。
英国で生み出された戦車でしたが、英国製の戦車は側面から見ると巨大なひし形の箱に機関銃が突き出ているという形のもので、右側の機関銃は右側にしか、左側の機関銃は左側にしか射撃ができないものでした。
これでは一台の戦車に最低二丁以上の機関銃が必要になります。
機関銃が二丁になれば、操作する人員も必要ですし、重量も重くなります。
重くなれば大きなエンジンが必要で、大きなエンジンはやはり重たくなります。
結局重く大きい車体となり、運用面でも不都合が出てきます。
そこで、戦車に関しては後発となりましたが、同じ協商国軍であったフランスは、機関銃が一丁でも前後左右に射撃ができるように、車体の上に砲塔(銃塔)を搭載することにします。
砲塔形式であれば、回転させることによって前後左右に射撃ができるからです。
この考えの下に作られた戦車が、史上初めて回転砲塔を搭載した戦車、「ルノーFT」として採用されました。
ルノーFTは、小型の箱型車体の後部にエンジンを搭載し、車体からはみ出す形で両側につけられた履帯式走行装置を起動させ、車体上部に搭載された砲塔の機関銃で射撃を行うという、近代戦車の構造を完成させた戦車でした。
車体が小型で、機関銃も一丁で済んだために軽量で収まったことから、重量が少ないという頭文字でFTと名づけられたのです。
ルノーFTは最大装甲厚16ミリ、時速が最高でも約8キロというものではありましたが、軽量でコストも割りと低価格だったために、大量に発注されました。
第一次世界大戦の終結までに、何と三千両以上のルノーFTが作られたのです。
ルノーFTは第一次世界大戦の最優秀戦車とされ、戦後は各国に輸出されたりライセンス生産がされたりしました。
日本でも戦車の研究のために輸入されたのです。
ルノーFTは確かに優秀でしたが、それは第一次世界大戦においてはという注意書きが付くものでした。
しかし、戦後の世界恐慌はフランスにおいても新型戦車の発達を阻害してしまいます。
無論新型戦車はいくつも作られましたが、陸軍大国フランスの全戦車を新型にすることはできませんでした。
結果として、ルノーFTは1940年の第二次世界大戦でも働かなくてはなりませんでした。
フランス国内には二千両近くのルノーFTがまだ警備隊などに使われていたのです。
ですが、やはりルノーFTでは独軍の電撃戦に対処することはできませんでした。
性能面もそうですが、運用面でもフランスは独軍にかなわなかったのです。
ルノーFTも各地で撃破され、また降伏して独軍の軍門に下りました。
フランスの降伏によって、ルノーFTにも安息の日々が訪れるかと思いましたが、そうは行きませんでした。
独軍の根本的な戦車不足は、フランス製戦車の独軍使用という状況を生み出します。
ルノーFTもまた、独軍の十字マークをつけてご奉公することになってしまいました。
フランス国内のレジスタンスや、飛行場の警備など、主力の戦車を使いたくはないが戦車があると助かるというような状況でルノーFTは使われます。
結局ノルマンディーに上陸した米英軍を迎え撃つことまでルノーFTはさせられました。
1918年から1944年まで、息の長い使用にどうにか耐えたルノーFT。
フランス戦車としてはまさに異例中の異例の戦車だったのです。
- 2007/12/29(土) 19:28:30|
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どんなに薄っぺらでも、装甲があるとやっぱり違いますので、使いどころはたくさんあったんですね。
ところで、車体の後ろに出っ張ってついている、ドラム缶を四分の一に切ったような部分は、あれは塹壕を越えたり坂道を登る時の後倒防止・・・ですよね?
- 2007/12/30(日) 07:48:45 |
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- うおP #-
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>>うおP様
尾橇(びそり)と呼ばれる奴ですね。
ひし形戦車に比べて車体長が短かったので、塹壕を越えるときに車体を支えるために付けられたといいますね。
転倒防止にも役立ったそうですよ。
第一次世界大戦後はあんまり付けられなくなったようです。
日本の八九式戦車にも付いてましたよね。
- 2007/12/30(日) 19:00:46 |
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- 舞方雅人 #-
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