「ネズミとネコ」の二回目です。
それではどうぞ。
2、
「ただいま・・・」
「パパお帰りー」
「お帰りなさい」
玄関先で声が弾む。
だが、入ってきた夫は浮かない顔だった。
「何かあったの?」
「パパ、大丈夫?」
私も美亜も心配する。
疲れているだけじゃなさそうなのだ。
「ん? あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと疲れたかな?」
すぐに笑顔を見せる夫。
私たちが、特に美亜が心配そうにしていることに気が付いたのだろう。
私はその気遣いに感謝して、カバンを受け取り夫をリビングへと連れて行った。
「はい、コーヒー」
「あ、ありがとう」
美亜が寝たあとで、私は夫にコーヒーを淹れる。
ついでに私の分も淹れ、二人で仲良くコーヒータイム。
「今日ね、美亜ったら幼稚園の近くで野良猫見かけちゃって。うちで飼いたいって言うのをなだめるのに大変だったわ」
「ああ、このマンションはペット禁止だし、それに君は猫が苦手だったっけ」
「ええ、ちょっとね・・・小さいころいきなり引っかかれてから、どうもだめなの」
私は苦笑する。
怪盗マウスだからってわけじゃないけど、猫はどうも苦手なのよね。
「それで? 何があったの?」
他愛も無い話のあとに私は本題を切り出した。
「ん? いや、たいしたことは・・・」
「嘘。あんな表情していたんだもの。たいしたことないなんて嘘でしょ」
夫は嘘がつけない人だ。
その正直なところも魅力の一つなんだけどね。
「・・・・・・実は、マウスのせいでうちの社がピンチなんだ」
私はドキッとした。
マウスのせいで?
一体どういう?
「ど、どういうことなの? マウスのせいって?」
「マウスが手に入れてきた資料を基に、うちの記者が裏づけを取ろうとしたらしいんだけど、どうもそれが明るみにでちゃったらしいんだ」
「明るみに?」
「ああ、それで政治家側と企業から、うちがでっち上げのスクープを捏造するつもりだということで、うちの社を訴えるって話になりかけているらしい」
「何それ? だって証拠があるんでしょ?」
「あの証拠だけじゃ不十分らしい。圧力をかけられて握りつぶされればおしまいなんだそうだ。もっと決定的な証拠があればって編集部では騒いでたよ」
「決定的な証拠・・・」
私は思いをめぐらせる。
だったらその決定的な証拠を盗ってくればいいんだわ。
******
夫も美亜も寝静まった真夜中。
私はこっそり起きだすと、そっと寝室を抜け出した。
夫は寝つきがいい人だから、少々のことでは起きてこない。
暗闇の中でタンスから衣装を取り出すと、私はマウスの衣装に着替えていった。
肌の露出を抑えるためにすべすべの肌色のストッキングを穿き、同じくすべすべのグレーのハイネックのレオタードを着て背中のファスナーを閉じる。
こうしてナイロンの衣装に包まれるとなんだかとっても気持ちがいい。
私は少しの間すべすべの感触を楽しんだあとでグレーの長手袋を嵌め、口元と目だけが出る丸い耳付きのマスクをかぶって髪を中に入れてしまう。
腰にベルトポーチをつけたら玄関に行き、グレーのひざ上までのブーツを履く。
こうしてマウスの衣装に身を包んだ私は、静かに夜の街に飛び出した。
引っ掛け鍵やワイヤーを使って、私は屋根の上を飛び回る。
下手に地上を動くより、このほうが距離も時間も稼げるのだ。
むかしのニンジャはいろいろと考えていたのよね。
夜のひんやりした空気がナイロンから熱を奪って心地よい。
動きが阻害されない肌に密着したこの衣装。
アニメやマンガだってかまわない。
だって、こんなに気持ちいいんだもん。
程なく私は目的の場所に着く。
都心の真ん中に邸宅を構えている大物の自宅。
おそらくここには何らかの証拠があるはず。
二、三日昼間にいろいろと調べてみて、私はそれを確信していた。
夜だというのに玄関先にはガードマンもいる。
ご苦労様だわ。
私は塀伝いに歩き母屋の屋根に飛び移る。
ハイヒールのかかとが屋根瓦にこつんとあたるが、それ以外に音はしない。
くノ一はどんな服装でも活動できなくてはならないとの教えから、私はドレスやハイヒールでの訓練を常時受けてきた。
そのせいか、足元はハイヒールのほうがかえって動きやすいのよね。
レオタード姿にハイヒールのブーツなんて我ながら盗みには不向きだと思うけど、これが一番しっくり来るのだから仕方がないわ。
こういう日本家屋はどこからでも侵入できる。
特に屋根裏は無防備なことが多い。
いくつかのセンサーを付けてはいるようだけど、そんなの私には意味がない。
私はベルトのポーチから携帯電話を取り出すと、デジタルカメラを起動させる。
携帯のデジカメ程度でも赤外線は見えるのだ。
私は難なく赤外線センサーを避け、屋根裏に忍び込む。
目的の場所は屋敷の中心部。
人間、何か隠したかったり守りたかったりするものは、中央部に置くことが多いのよ。
誰もいない静かな書斎。
私の勘がここに何かあることを告げている。
私は周囲を確認し、そっと室内に飛び降りた。
いくつもの本棚が置かれ、結構な量の蔵書がある。
でも、それらはあまり手を付けられた様子がない。
きっと格好付けというか見せるためだけの蔵書なんだろう。
あきれちゃうわね。
さてと・・・
私は室内を見渡した。
「見~つけた」
壁にかけられている小さな絵。
書斎には不釣合いな感じの絵に私はピンときた。
私はセンサー類や警報機がないか確認し、そっと額縁を取り外す。
「ビンゴ」
そこには壁に取り外せるふたがあり、外すことで金庫の扉が現れたのだ。
少なくともこうして隠してある以上、表ざたにはしたくないものが入っているに違いない。
私はマスクから覗く唇を舌で舐めながら、金庫のダイヤルに手を伸ばす。
そしてマスク越しに耳を付け、そっとダイヤルを回していった。
ダイヤルキーは簡単に合わせられ、口の中で針金に気を込めて曲げたもので鍵も簡単に開けられた。
隠すことに熱心だと、意外と鍵そのものには気を使わないもの。
見つけられないと思っているからなんでしょうね。
私はレバーを回して金庫を開ける。
これで証拠はいただきだわ。
『ご苦労様』
私は息を飲んだ。
金庫の中にはこう書かれた紙切れが一枚あっただけ。
これはいったい?
私はこれが罠だったことに気が付いた。
急いで逃げなければ。
そう思った私の前に男たちが現れる。
「罠にかかったようだな。ネズミめ」
いっせいに拳銃を構える男たち。
私は悔しさに唇を噛む。
「少しの間おとなしくしてもらおう」
中央の男がそういうと、拳銃から何かが発射される。
腹部に痛みを感じた私は、反射的にお腹に手を当てそこを見る。
これは、ます・・・い・・・?
そこには小さなダーツの矢のようなものが刺さっていて、私は急速に意識を失った。
******
「ん・・・」
徐々に意識が戻ってくる。
私はいったい・・・
ハッとして目を開ける。
ここは?
私は自分の状況を確認した。
どうやら椅子に座らせられているらしい。
ご丁寧に両手と両脚は椅子に固定されている。
囚われの身ってことね。
幸い服は脱がされておらず、レオタードもストッキングもそのまま。
陵辱などがされた気配は無い。
まずいのはマスクが取り去られているということ。
素顔が晒されてしまっている。
どうしよう・・・
マウスの正体が私だと世間に知れたら・・・
夫も美亜も大変なことになっちゃうわ。
「目が覚めたようだね。素襖(すおう)美香子君」
えっ?
どうして私の名前を?
素顔が知られたからってこんなに早く?
私は驚いた。
まさか名前まで知られているとは思わなかったのだ。
「ようこそ我が家へ、素襖美香子君。いや、怪盗マウスというべきかな?」
現れたのは車椅子に座った老人。
やせこけてはいるものの、鋭い眼光は私を射抜くように見つめてくる。
確か・・・この屋敷の大物の父親だわ。
なるほど、息子のバックにはこいつがいるということなのね。
「無言かね、怪盗マウス? それともここから逃げる算段でもしているのかな?」
私は黙って老人をにらみつける。
どこにチャンスがあるかわからないのだ。
そのチャンスを掴むためにも今は逃げることだけを考えたほうがいい。
「まあいい、バカ息子が不用意なことをしたおかげで、こうして君を手に入れることができたのだ。あいつには感謝せんとならんな」
老人の背後には二人の男が立っている。
いずれも屈強そうで、懐には拳銃を忍ばせているのは間違いない。
暗がりだというのにご丁寧にサングラスをかけているとはね。
「君を探すのには苦労したよ。甚左衛門(じんざえもん)はわしに黙って君を解放してしまったのだから」
えっ?
どうしてここでお爺様の名前が?
「甚左衛門は君がモノにならなかったと言っていた。だが、こうして君を見ると、奴は立派に君を仕込んでくれたようだな」
「私を仕込んだ?」
私はつい黙っていられなくなってしまった。
「そうだ。奴をバックアップし、くノ一を育てさせたのはこのわしだ。この国の政界で権力を維持するためには、優秀なスパイが必要じゃでな」
「そういうことだったの・・・」
私は納得した。
時代錯誤なくノ一として育てられたのにはそういうわけがあったんだわ。
「世間を騒がす怪盗マウスが女性らしいと知ったとき、わしはすぐに甚左衛門の仕込んだくノ一のことを考えたよ。そこでいろいろと調べさせ、あのときの娘が素襖美香子という名で暮らしていることを知ったのだ」
なんてこと・・・
調べられていたなんて・・・
私は後悔した。
マウスなんてやるんじゃなかったのだ。
「そして今回、バカ息子の件を利用して、こうして罠を仕掛けたというわけなのだ。いや、苦労させられたものよ」
老人が笑っている。
七つ道具の入っているベルトポーチも奪われている今、私は悔しさに歯噛みするしかなかった。
- 2009/07/17(金) 21:38:16|
- ネズミとネコ
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予想外の展開になってきました。
簡単に侵入させて捕まえる。まさに「袋の中のネズミ」ですね。
大物政治家と美香子の祖父の意外な繋がりが明らかに。
これはまさかの悪堕ちの予感? それとも、「窮鼠猫を噛む」か?
- 2009/07/17(金) 22:35:53 |
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